第16話 幼馴染とお風呂

 長かった中間テストも終わり、友達と映画館にカラオケに行くというリア充な二連休も過ぎ去り、ようやく非日常に区切りをつけてから早いこと一週間が過ぎた。


 何か特別なことがあるわけじゃない……平凡な日常だ。


 俺はテレビにかろうじて意識をとどめながら、ぐったりと床に横たわっていた。


「ちょっと、お湯でないんだけど!?」


 風呂場の方から花恋の叫び声が聞こえてくる。


「ああ、言い忘れてたわ。お風呂今故障しててお湯出ないのよ。ごめんね、花恋」

「あー、もうさむーい!!!」


 花恋の悲痛の叫びが家中にこだまする。もちろん俺のいるリビングにもうるさく響き渡っていた。


「二人で銭湯にでも行ってきなさい?」

「えぇー! 外寒いから出たくないよ!」

「文句言うなよ、まだ十月だぞ?」

「『この後にお湯が来る、お湯が来る』って信じながら冷水を浴びていた私の気持ちも考えて欲しいものだよ?」

「ただのバカじゃん……」

「うるさい……どうにか家から出来るだけ出ない方法を……あっ、そうだ! 良いこと思い付いた! お兄ちゃん、電話!」


 電話って……さてはこいつ……




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




「いらっしゃい!」


 心春が明るく出迎えてくれる。


「ごめんな、心春。急に家に押し掛けちゃって」

「ううん、全然。大変だね、お風呂」

「ああ、明日には修理の人が来るらしいんだけど……」

「いらっしゃい」


 俺たちを出迎える声がもうひとつ。隣に住んでいるはずなのに、ここ久しく会っていなかった気がする。


「おばさん、こんばんは!」

「こんばんは」


 目の前で俺たちを快く出迎えてくれたのは茶褐色の長髪の女性。スラッとした白い肌の美しい顔立ち。心春のような綺麗な瞳ながらも、全てを見透かしてしまうような鋭い目付き。


 そうこの人が心春のお母さんだ。


「すみません、お風呂を貸していただいて……」

「別に良いのよ、いつも心春がお世話になっているしね」

「ありがとうございます」

「ありがとうございます!」


 元気いっぱいの花恋の姿を見て、クールな表情の中にクスリと笑みを浮かべる心春ママ。心春のお母さんはしゅっとしていてクールで美人、まさに仕事ができる女性というイメージだ。

 一方、心春はふわっとしていて穏やか。美人というより可愛いという言葉の方がしっくり来るタイプだ。

 この二人ってタイプとしては真反対なんだなあ……


「湯船沸かしてあるから。ゆっくりしていって」

「待て待て、心春はまだ入っていないのか?」

「うん、さっきまで勉強してたから」

「なら先入れよ。俺と花恋がこの家の住人を差し置いて一番風呂とか、申し訳ない」

「別に気にしなくて良いのにそんなこと……」

「お兄ちゃんは心春ちゃんの残り湯を堪能したいんだよね?」

「変なこというなよ、花恋! 俺はそんな変態じゃない」

「そう? それじゃあ、心春ちゃん一緒に入ろうよ!」

「ええ? 花恋ちゃん?」

「良いじゃん、小さい頃はよく一緒に入ったじゃん!」

「わ、分かったよ~」


 花恋に腕を引っ張られて渋々お風呂に向かう心春。俺と心春のお母さんだけがその場に取り残された。


 心春のお母さんと二人きりで、気まずい沈黙が続いた。なにか喋らなくては……


「あ、あの……」

「あなたたち付き合ってるの?」

「へ!?」


 思わずすっとんきょうな声を出してしまう。俺は自分の耳を疑った。


 あのクールな心春ママに突然そんなことに聞かれるんだもん! そりゃビックリするでしょ!?

 何とか俺が口をこじ開けようとしていると、おばさんが先に口を開いた。


「あの感じはまだよね……」

「……は、はい、付き合ってなんてないですよ? ビックリしました、突然そんなこと聞かれるもんだから」


 まだ、って……


「あら、でもあながち間違ってはないでしょう?」

「うっ……」


 おばさんは俺の目をまっすぐと見つめる。頭のなかを覗かれているような感覚を覚え、俺は思わず目を逸らした。


「全部お見通しなんですね……」

「やっぱり心春のこと恋愛対象として好きなのね?」

「…………はい」


 おばさんは少し微笑んだ。


「俺なんかが心春にっていうのもあれですけど……」

「あら、私は光くんになら心春をお嫁に出して良いと思っているのよ?」

「え!?」


 マジですか……!?


「そんなに驚くことかしら?」

「大事件ですよ……なんで俺なんかに」

「私は光くんに感謝してるのよ」


 感謝されるような覚えは全くないんだけど……


「心春はあなたに本当に助けられているから」

「そんな、俺は別に何も……」

「謙遜しちゃって……知ってるのよ? あなたと心春、二人で毎晩楽しそうに話をしていることを」


 ……え?


「えぇ!!?」


 嘘でしょ、バレてたの!?


「どうしてそれを知って……」

「どうしてって、心春の部屋の近くに来たら丸聞こえよ? もう少し周囲に注意することね?」


 心春、もっと周りに気を付けてくれよ! そういう抜けたところも可愛いんだけどさ!


「もしかして話を聞いてたり?」

「まさか! 盗み聞きするようなことはしないわ! ……でもまあ、わざとじゃないのだけれども……」


 あっ、これ絶対聞いてたパターンだ。


「光くん、心春に可愛いって言ってたわよね?」


 ぐわああああぁぁぁぁあ!!!!


「さすがにそんなこと言ってたら母親として気になっちゃうわよね?」


 仕方がなかったという口ぶりなのに、イタズラっぽく笑う心春のお母さん。


 花恋といい、心春ママといい、どうして一番聞いちゃダメなとこ聞いちゃうのさ!!

 恥ずかしい……ただただ恥ずかしい……穴があったら入りたい……


「あなたと話しているときのあの子は本当に楽しそうだったわ……」


 心春のお母さんは目を細めた。


「ずっとあの子のことを厳しく育てすぎたんじゃないかって思ってたの」


 俺は心春のお母さんの顔を見た。おばさんは俺に目を合わせなかった。


「ほら、心春はああいう子だから……昔から何をするのも不器用で、危なっかしくて、何一つ自分一人じゃ出来なかった……だから厳しく育てていたのよ。ちゃんと自立した子になって欲しかったから……」


 それは心春の両親の優しさであり、不安であったのだ。将来心春が生きていくうえでの。


「でもそれがあの子のことを追い込んでしまったんじゃないかって……。心春は自立できるだけの能力を持った……でも同時に人に頼らなくなった。あの子は全部自分一人で抱え込むようになってしまったのよ」


 俺は黙って頷いた。


「多分親である私たちに言えない悩みもいっぱいあるんでしょうね……」


 心春のお母さんは少し悲しげに呟いた。


「だから光くん、あなたには本当に感謝しているのよ。あなたが心春のそばにいてくれるだけで……あなたには愚痴を聞かされるだけの迷惑かもしれないけど……」

「心春はきっと分かっています。厳しさは二人が心春を大切にしているが故ってことは。

 それに迷惑なんかじゃありませんよ。少なくとも俺が心春から離れることはありません」


 クールな表情のおばさんは少しだけ相好を崩した。


「あら、今の言葉はプロポーズの言葉と取って良いのかしら」

「やめてください……」


 どうして好きな人の母親にこんなことを言わなきゃいけないんだ……恥ずかしい。


「ただいま」


 ちょうど良いタイミングで心春の声がした。俺は立ち上がって後ろを振り向いた。


「おかえ――ッ!!」


 そこに心春が湯気と共に現れた。髪は濡れて、ストレートに首もとにはタオルをかけていた。頬はほんのりと赤く染まっていた。その姿は艶やかで美しい。


「ん? どうかしたの、ひかる?」

「いや、何でもない……」


 心春の普段見ない姿が見れて少しばかり嬉しい。本来この姿を見れる人は心春の本当に大切な人だけ。


「お兄ちゃん、心春ちゃんの髪乾かすの手伝ってあげなよ」

「別に私にだってそれくらい出来るよ!」

「手伝ってあげた方が早いでしょ?」

「いやいや、意味わからねえよ! っていうか俺風呂入らないといけないから」

「あら、お風呂なら私が先に入るけど」

「え?」

「お母さん!?」

「驚くことかしら? 一応私も家主なのよ? 光くんが先に入るのは悪いって言うから」


 勝手にまだ風呂に入らないだろうと外していたけど、確かに心春のお母さんもこの家の住人。それに俺が何か言えるわけもなく。


「光くん、お風呂貸してあげるんだから、その分働いてくれても良いと思わない? ちなみにドライヤーの場所は心春に聞いてね」

「ちょ、お母さん!?」


 それは乾かせってことか……


 心春のお母さんはいたずらっ子のようにニヤリと笑って、こちらに手を振った。


 今の顔、心春の笑みにとてもよく似ていたな……


 心春ママはそのまま洗面所に行くのかと思わせて、くるりと振り替えって付け加える。


「あっ、それから、さっきまでの話はあくまでも私の意見。夫の方は分からないからね?」


 クールだけど、案外お茶目な人なんだな……


 って待って、待って! 今結構恐ろしいこと言いましたよね? 心春のお父さんは認めないだろうってことだよね?


「ひかる、お母さんの言うこと気にしなくて良いからね?」

「……心春、やっぱり手伝うよ」


 心春が首を横に振った。湯上がりだからか心春の頬はさっきよりも熱くなっているように見えた。


「俺にやらせてほしいんだ」

「…………お願いします……」


 心春は控え目に頷いた。


「分かった」


 ドライヤーを受け取った俺は左手で優しく心春の頭に触れる。ツヤツヤで柔らかい。心春の髪の毛に指を通すと、さらさらと潜り抜けていく。手を頭の形に沿わせて、奥に下ろしていくと掌が心春のおでこに触れた。温かい。心春の肌の温かさが手を通して感じられる。


「ふふっ、ひかるの手あったかい……」


 ああ、今すぐ抱き締めたい……


 ニヤニヤと俺たちの様子を見ている花恋がいるが、今日ばかりはいてくれて本当に良かったと思う。いなければ理性を保てなかった気がする。


 最近、心春のそばにいるだけで胸が苦しくなってくる。日に日に気持ちが抑えきれなくなっていることを感じていた。


 あー、くそっ……


 俺はさっきまで優しく撫でていた手で、心春の髪の毛をグシャグシャっとした。もうこうでもしないと思いが溢れてしまいそうだ……


「ちょっと、ひかる!?」


 俺の突然の奇行に驚いた様子で振り返る心春。

 髪を乱した心春も寝起き感があって可愛い。


「もう、イタズラしないでよ。ちゃんと直してね?」


 少しムッとした表情で俺を見上げる心春。


「ごめんごめん。今直すよ」

「それならお兄ちゃん、心春ちゃんを飛びっきり可愛い髪型にしてあげなよ!」

「花恋ちゃん!?」

「だったら普通の髪型に直すだけだけど? なんならこのまま手を加えなくてもいいし……」

「え?」

「それって心春ちゃんはどんな髪型の可愛いってこと?」

「あ……」


 俺、今心春が可愛いことをまるで自明の理であるかのように語っていた……


「確かに心春ちゃんは可愛いもんね?」

「ちょっと待って、違うんだ! いや、可愛いことは違くないんだけど、とにかく違うんだ!!」


 心春の頬がさらに赤くなるのが分かる。花恋の顔がさらにムカつく顔になっているのが分かる。


 言えば言うほど墓穴になっている。俺はとりあえず黙ることにした。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




「じゃあ、お風呂いただきます」

「どうぞー」


 人の家のお風呂場に入るのは新鮮な気持ち。心春の家の風呂場は俺の家よりも広いように感じられた。


 この風呂……さっきまで心春が使ってたんだな…………


 って何を考えているんだ、俺は!? さっき変態じゃないとか自分で言っておきながら……

 落ち着け、何も考えるな! そうだ、さっきは花恋もいたんだ。その事実でこのやましい気持ちを相殺しよう。


 ふぅー。

 何とか心を落ち着けた。


 っていうかこのシャンプー、俺が使っていいのかな……高そうなシャンプー。そこら辺で売ってるようなものには見えない。使うのが憚られるなあ……

 そう思いながらもシャンプーはこれしかないし、使う他ない。


 さすがに湯船に入って残り湯を嗜むなんてことはしなかった。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




「お風呂いただきましたー」


 心春が俺の声にビクッと反応して、恐る恐るこちらに振り返った。


「おかえりー!」

「お、おかえり……」


 心春の声が次第に沈んでいく。

 心春の様子が少しおかしい。一方、花恋はまたニヤニヤしている。ってまだいたのかこいつ。心春ママの姿はリビングにはなかった。


「……今度は私がひかるの髪乾かすよ?」


 心春がためらがちに提案する。


「いや、俺は長くないから手伝ってもらう必要ないって……」

「だめ!」

「お兄ちゃん、素直にやってもらいなよ~?」


 花恋、絶対お前の差し金だろ! お前が何か心春に言っただろ!


「じゃあ、私は先帰るから! お風呂ありがとね、心春ちゃん。おばさんにもよろしく言っといてください。

 それからお兄ちゃん。帰ってきてもテレビは私が使うから見れないからね? ここでゆっくりさせてもらいなよ~」


 あいつ、調子に乗りやがって……


「ひかる、座って! 私だけやられるんじゃフェアじゃない」

「……わかったよ」


 俺は静かにソファに座った。心春は優しく俺の頭に触れ、撫でるように髪を撫で始めた。


 人に髪を乾かせられるってむず痒い。


「そういえば俺、風呂場にあるシャンプー使ったんだけど、良かった? あのちょっと高そうなやつ」

「全然大丈夫だよ」


 そう言ったかと思うと心春がぐいっと顔を俺の頭に近付けた。心春の息が頭に吹きかかる。


「ちょっと……心春さん?」

「ホントだ! うちのシャンプーの匂いだ……ひかる、私とお揃いの匂いだね!」


 ドキッ。

 俺の心臓の音が心春の耳にも聞こえてないかと不安になる。


 その台詞はズルいだろ……


 全身が熱くなっていくのを感じた。


「何がフェアだ……俺ばっかりがドキドキしてるじゃないか……」

「え?」


 あっ、やべ。

 俺は慌てて口を閉じた。今日の俺、おかしいぞ……


「ううん、それならやっぱりこれでフェアだよ……」


 心春はボソッと呟いた。それ以上は何も言わなかった。俺も何も言えないし、背中を向けたまま心春の方を振り向くことさえ出来なかった。


 心春がどんな顔をしているか気になったけど、今の俺の顔は見せるわけにはいかなかったから……

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