第21話 幼馴染と夜更かし

 今日でちょうど期末試験一週間前に入った。来週の火曜日には、期末テストが始まる。中間テストがまだ最近のことのように感じられる。

 時間が経つのは早いな。なにせ文化祭組で遊びに行ってから早くも一週間が過ぎているから。


 俺は授業に集中する心春の横顔を見つめた。


 あれ以来、心春と変に気まずくなったりはせず、ほとんどのことはいつも通りなんだけど……


 俺の視線を感じてか心春がゆっくりこちらを振り向いた。俺は反射的に顔を逸らす。


 いつも通りなんだけど、ただ例外があるとすれば、俺が心春の目をまっすぐ見ることが出来なくなっていた。心春が近くにいるだけで心臓がバクバクして苦しくなる時が多々あった。


 席替えした当初はどっちが先に音を上げるかだなんて言って見つめあっていたのに。


 そしてもう一つ、あの日確かに変わったことがあるとするならば、それは俺の意思だった。


 期末テストまであと一週間。

 中間テストの時に約束した、勝った方が負けた方に何でもお願いできる権利は今回のテストに持ち越しされていた。


 一週間後には全てが決まる。今回の期末試験だけは負けられない。


 ただそれ以外に俺は今日心春に話さなければいけないことがあった。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




「心春、心春」


 授業終わりに俺は小声で心春に呼び掛ける。


「どうしたの?」


 心春は辺りを警戒しながら俺の方に顔を近づけた。


「母さんが予定があって、夜帰るの遅くなるらしいんだ。だから今日三人なんだけど、大丈夫?」

「もちろん、大丈夫だよ」

「あのそれでなんだけど……」


 言葉につまる。今さら言いにくいことではないんだけど、六人で遊んだとき以来、小さいことにも恥ずかしさを覚えてしまう自分がいた。今だってやっぱり心春の目を見れない。


「あのですね……」

「うん?」

「その…………ねえ、さっきから何でいるの?」


 思わず俺は心春の背後でニコニコしている二人に問いかけてしまう。


「ちょっ、二人ともいたの?」


 心春は驚いて振り返った。


「あっ、秋谷くん、ひよったねぇー」


 うるさい、七瀬。俺にだって色々あるんだ。


「ほら、二人きりで話しているよりも、私たちが一緒にいる方が周りに怪しまれないでしょ? 少なくとも二人がサシで喋っているとは思われないじゃん?」

「ごもっとも」

「だから私たちのことは気にしないで、さっきの続きを話してよ」


 いや、二人とも何か面白そうって顔に書いてあるんですけど。


「いや、あのですね……」

「うん?」


 心春は俺の目をじっと見つめてくる。ああ、やめてくれ、その綺麗な目で見ないでくれ……


「……放課後、買い物行かない? 夕食の材料を求めて」

「もちろん! むしろちゃんと私にも手伝わせて」


 心春は元気よく了承してくれた。


「それって、放課後デーむぐっ!!」


 藤島は七瀬の口を押さえた。デートだと心春に変に身構えられるのも嫌だったので助かった。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




「ごめん、ひかる……待った?」


 小走りで駆け寄ってくる制服姿の心春。とてつもなく可愛い。


「いや、待ってないよ」


 否めない、このデートの待ち合わせ感。自分で勝手にそう考えて、少し恥ずかしくなった。


「ごめんな、買い物に付き合わせちゃって」

「いやいや、私だって食べるんだもん。任せきりにはできないよ」


 俺たちが来ていたのは近所のスーパー。


「今日夕御飯何作る?」

「うーん、何がいいかね?メニューってどうやって決めるの?」

「前の木曜日は一緒に唐揚げ作ったよね……ひかるは昨日何食べた?」

「俺は……焼き魚だったかな」

「じゃあ、ハンバーグにする?」

「うん、そうしようか」


 この会話、同棲してるカップルみたい。


「じゃあ、メインはそれとして、あとのおかずは……あっ、今日れんこん安いね。ニンジンも買ってきんぴらにしようか」


 早い手つきで野菜を籠に入れていく心春。


「慣れてるな」

「まあこれでも昔は全部一人でやってたからね。おばさんに誘われる前までは」

「やっぱり頼んでよかった。頼りになるよ」

「ふふっ、でしょ?」


 彼女は嬉しそうに微笑んだ。


 そんな心春のお陰もあって、買い物はてきぱき終わらせることができた。


「心春、荷物持つよ」

「ありがとう」

「それにしても寒いな……」

「寒いね……」


 冬の寒さが身に染みる。もう十二月になるもんな……


「そういえば、うちこたつ出したんだよ」

「うそっ! やったぁー! うちこたつないからひかるの家のこたつを毎年待ちわびているんだよね」

「確かに小さい頃は冬になるとしょっちゅううちに遊びに来てたね。俺と遊ぶことより、こたつ目当てだったのか」

「ふふっ、バレましたか」


 心春の手の甲が俺の手の甲に微かに触れた。


「それから……昔は寒いとき、こうして手を握り合っていたよね?」

「ああ……」


 遊んで以降は、俺からは握らないようにしてたのに……ずるいよ、心春は……


 俺は心春の手を取って握り締めた。心春もそれに答えて俺の手をギュッと握り返した。


 とにかく、体も心も温かくなっていた。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




 買い物を終え、家に帰ってからしばらくして心春が訪ねてきた。


「いらっしゃい心春ちゃん」


 俺より先に花恋が玄関で心春を出迎えていた。


「お邪魔します」

「ようこそ心春」

「うん」

「お兄ちゃんから聞いてる?」

「うん、聞いてるよ。おばさんがいないんでしょ?」

「だからさっきちゃんと夕食の材料を買ってきたんだぞ」

「ええ!? 別にコンビニで良くない?」

「良くない」

「ダメだ」

「もー二人とも真面目だなぁ」


 呆れる様子で花恋は頭を横に振った。


「さて、仕事にかかろう」


 母がいなかったことで夕食作りは難航した。しかし、やはり頼りになる心春指揮のもと、何とか夕食を完成させることができた。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




「さあ二人とも、今日は目一杯遊びましょう」


 夕食を終え、風呂も済ませた後、こたつのテーブルでノートと教科書を開いていた俺と心春。そんな二人のもとに、何やら上機嫌な花恋が陽気に近づいてくる。


「俺勉強残ってんだよな……」

「うん、私も」

「そういや心春に教えてほしいところがあるんだけど」

「どこどこ?」

「ちょいちょい、二人とも! 私を置き去りにするんじゃない! なに勉強しようとしてんの!? 親は誰もいないんだよ!? こんなの遊び呆けるしかないでしょう!? あんたら真面目か!!」

「キイキイうるさいなぁ……お前は親がいたっていなくなって、構わず遊び呆けてるだろ。俺は一週間後の期末試験で心春を何としても倒さなくちゃいけないんだよ!」


 中間テストでの心春との約束は結局期末テストに持ち越され、俺も心春も闘志に燃えていた。もとより心春は、勝負に関わらず、毎テストごとに闘志を燃やして取り組んでいるが。


「まだ一週間前なんでしょ?」

「もう一週間前だ!」


 うんうんと俺に同意するように心春が頷く。花恋は信じられないという顔をしていた。価値観の相違ですね、これは。


「ええー、つまんなーい」


 花恋が嘆く横で、心春が俺の服の裾をグイグイっと引っ張った。


「ちょっとだけ一緒に遊ばない? 私たちの息抜きにもなるしさ」

「仕方ないな……だが勉強の息抜き程度だからな?」

「やったー」


 本当に、花恋こいつはいつまで経っても子供だなあ……


「俺たち勉強もあるから、少しの時間で出来るものにしろよ。間違ってもゲームとかは……」


 ゲームは絶対止められなくなる。


「……分かりました。ではトランプをやりましょう」

「なに俺たち修学旅行にでも来てるの?」

「お兄ちゃんがゲームヤダとかわがままなこと言うからでしょ!」

「わがままはお前だろ」

「まあまあ、いいじゃん。童心に帰ってトランプ楽しも?」


 心春が胸の前でトランプの箱を持って見せる。


「まあ、心春がそう言うなら……」


 心春にそう言われちゃ……なあ?


「それで花恋ちゃん、何するの?」

「そりゃ、もちろん。ババ抜きです!」




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




 何で俺は高校生にもなって、ババ抜きをしているんだろう?


 久々にやってみると、そんな考えはすぐに追い出されて、結構楽しいもんだな、これ。


 俺は少なくなった手札の中からジョーカーのカードを一枚だけ飛び出させた。


 俺の顔をじっと見つめて熟考する心春。出来ればそんなに見ないでほしいものだが。


「これだ! あ、あぁ……」

「心春ちゃん、今絶対ジョーカー取ったよね?」

「と、取ってないよ」


 第三者の花恋にもバレバレだ。というかこういうことになると何故か花恋が物凄く強い。ゲームになると天才的な実力を見せるのはなぜ?


 そのまま花恋は一抜けしてしまった。


「わあ、一騎討ちだねっ!」

「さあ、ひかる! どっちがジョーカーか分かるかな?」


 カードを二枚突き出して勝負を挑んできた心春。


「こっちか?」

「違うよ」

「じゃあ、こっち?」

「違います」


 やっぱり昔から一緒だな。


「こっちだな」

「ああ~!」

「えっ、お兄ちゃん何で分かったの?」

「ははっ、心春は嘘つけない性格だから嘘ついてるときに少し問いただすと眉が微かに動いちゃんだよね」


 じゃんけんの癖といい、単純だな心春は。まあ、そこが可愛いんだけど。


「そうなんだ……知らなかった」

「何でお兄ちゃんがそんなこと知ってるのさ?」

「まあ、幼馴染だからかな……」

「えぇー、お兄ちゃんキモい……」

「おい、キモいとか言うなよ」

「お兄ちゃん心春ちゃんのこと見すぎなんだよ」


 確かに、今まで見すぎたのかもしれない。今となってはまっすぐ見ることも出来ないけど。


 って俺キモい? 心春が黙り込んじゃったよ……


「ごめん、心春。俺キモかった?」

「いやいや、まさか! む、むしろひかるが私のことそんなに見てくれてたって分かって、恥ずかしかったけど…………その、何というか……嬉しかったよ?」


 俯いてしまう心春。花恋はニヤニヤしてたけどそんなことはどうでもよかった。


 ただ心臓が激しくなって、同時に苦しくなってくる。


 そんなこと言われたら本当に心臓がもたなくなっちまう……


 ババ抜きはそれでお開きとなり、俺は心を落ち着かせようと必死で勉強に取り組んだ。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




「二人とも、まだ勉強してんの? もう十二時になるよ? 私寝るね」

「花恋ちゃん、おやすみ」

「おやすみ、花恋」


 一日が更新されようとしている。いつもの俺ならベッドに入っている時間だ。


「珍しいな、心春がこんな時間まで起きてるって。確か十時寝でしょ?」

「うん、いつもはね」

「テスト前だから?」

「そんな一週間前からずっと夜更かししてたら私の体がもたないよ。ただひかるが隣にいるから不思議と頑張れちゃうんだよね、勉強」

「俺も」


 確かにいつもの俺なら夜更かしをしようとは思わないけど、今日ばかりはペンを置こうとは思わなかった。


「何でもお願いできる権利もかかってるしね」


 俺の向かいに座る心春はニコッと笑みを見せた。


 それからしばらくして、心春がこたつから立ち上がった。


「ひかる、ここってさ……」


 そして俺の隣に体を入れた。


「うん、そこは接点の座標を自分で置けば、微分した式に代入して傾きを求められるから……」

「なるほど」


 そのまま問題を解き始め、一向に俺の隣から出ていくの様子のない心春。

 席なら俺の隣以外にもたくさん空いてるよ?


「いや、ここで勉強するの?」

「こたつが温かくて、一度入ったらもう出たくないよ~」

「確かにそうだけど……」


 心春の意見には同意しながらも、こんなに至近距離で心春が勉強をしていると落ち着かない気分になる。


「心春は今回何位くらい目指すの?」


 話しかけて何とか気を紛らわした。


「前回はあんまり良くなかったから不安だけど……もちろん目指すのは一位。目指すだけなら自由だからね」


 心春はニコッと微笑んで、再びノートに視線を落とした。


 ノートに向かい合う心春の様子を見て思う。

 ドキマギしてる暇なんてない。俺は何としても心春に今回のテストで勝ちたいんだ。勝たなきゃいけないんだ。一つだけお願いができる権利とかどうでもいい。


 それから俺は無心で勉強に励んだ。ひたすらに隣で頑張る心春を見ていたら、手を緩めることなんて出来なかった。


 問題を解き終えたところで、俺はペンを置いた。


 さすがに疲れた。どれくらいの時間が経ったのかよく分からなかったし、時計を確認しようという気力も生まれてこなかった。とりあえず俺はぐぐぐっと伸びをする。


「心春?」


 俺の声が消えた後の静寂の中に耳を済ませてみれば、隣からはすぅ、すぅと小さな寝息が聞こえてきた。心春は机の上に広げたノートに右頬を乗せて、眠っていた。


「寝ちゃったのか……」


 自室にしまってあった毛布を持ってきて、こたつから出ている心春の華奢な上半身に覆いかける。


 ようやく思い出したかのように時計を見てみれば、針はもう夜中の一時を指していた。


「さすがに俺もそろそろ寝ようかな……」


 ふと心春の方を向く。可愛らしい寝息をたてる心春の下敷きになっているノートは、びっしりと文字や図、細かいメモで埋まっていた。赤、青、オレンジと色ペンも駆使されていた。必死に板書し、先生の言葉をメモする心春の姿が目に浮かぶ。


 心春の左頬に優しく指を添わせた。多分心春は今日まで自分を追い込むべく何時間も勉強をして来たんだろう。辛くても苦しくても、心春はその手を休めない。


 俺は知っている。


 心春は不器用で、それでも懸命に努力を惜しまないことを。心春は自身の質の悪さを量で補うくらいに、必死にしがみついていることを。ただ一人で、強くなろうとしていたことを。


 俺は知っていた。


 生半可な覚悟じゃ心春には勝てない。心春の横に立つことはできない。


 心春にテストで勝つ方法。それは心春より多くの時間だけ勉強すること。単純でいて、とても難しいこと。


「もう少しだけ、頑張るか」




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




「おはよー……」


 階段を下りながら言ったけど、返事はなし。案の定一階の電気はついておらず、カーテン越しに太陽の光が微かに注ぎ込まれている。


 眠い目を擦りながら電気のスイッチを探していると、段々目が覚めてきて、目の前の光景がよく見えるようになった。


 あれ?


 わっ、お兄ちゃんと心春ちゃんが一緒のこたつで寝てるよ……


 しかも驚くべきことに、座れる場所はいくらでもあるのに二人が隣に座りあって眠っているのだ。


 昨日二人が夜遅くまで勉強してたことは知ってたけど、まさか寝落ちしちゃうまでやってたなんて……


 疲れ果てて、ぐっすり眠っている二人。やっぱり昨日の細やかな口論は私の方が正しかったように思われる。


「まったく……まだ一週間前なんでしょ?」


 っていうかいくらなんでも顔近くない、二人とも!?


 絶対あとでからかってやろ。とりあえず激写っと。


 ん?


 私はお兄ちゃんの下敷きになったノートを上から覗き込んだ。広げたままのそのノートには、心春ちゃんに負けないくらいの努力のあとが残っていた。


『もう一週間前だ!』


 慣れないことしちゃってさ……


 今回ばかりは特別にからかわないでおいてやるか。

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