第10話 幼馴染と文化祭後日

 文化祭後日の文化祭片付け日。


 まだお祭り気分の抜けない俺たち生徒は今日、前日のお祭り騒ぎの後片付けのためだけに招集されたいた。今日が終われば明日は文化祭の振り替え休日。だからみな軽くなった心で、また半分はまだ文化祭という夢から覚めない気分でいた。


「これは班ごとに後片付けなんだね」

「そうみたいだな」


 後片付けは班ごとに担当するようだ。つまりは心春と同じ班。

 ちらりと心春の方を見ると、心春と目が合った。その瞬間、頭のなかで昨日のことが思い出される。


 俺は昨日の後夜祭で彼女と踊った。

 薄暗い空の下、仄かな光が照らすなか踊る心春の姿は、お化けの化粧に関係なく、美しくて魅力的で、俺は純粋に心を奪われた。その時の記憶と胸の高鳴りは今もまだ鮮明に身体に染み付いていた。


 俺も心春も互いに目をそらした。


「颯心、おはよう」

「ああ、おはよう。今日も班ごとなんだね?」


 颯心が登校してきたので手招きをしてこちらに連れてくる。


「おはよう、上原くん」

「おはよう、上原」


 続いて心春、藤島が挨拶の言葉を述べる。


「ああ、おはよう」


 二人と挨拶を交わしてから、颯心はちらりと横に目をやった。視線の先には七瀬がいた。


「七瀬もおはよう」

「う、うん、おはよー!!」


 一瞬動揺の色を見せるも、いつものように元気よく挨拶を返した七瀬。


「あれ、その髪飾り……」

「……そ、その、つけないのも勿体ないと思って……つけてみました……似合ってるかな?」


 七瀬は頬を赤らめながら、髪の毛をグシグシと手で引っ張って髪型を整える。


「うん、似合ってる」

「ありがとう……」

「なんか良い雰囲気だね、二人とも」


 俺のとなりで藤島が笑みを浮かべて言った。なんだかんだ颯心も上手く行ってるんだな。


「おい、颯心!!」


 その甘い雰囲気を壊すような空気を読まない大声が教室中に響き渡った。それは凌平の声だった。


「凌平? どうしたんだ?」


 当事者の颯心より先に俺が凌平に問い掛けた。


「おいおい、聞いたぞ! 颯心、お前が後夜祭で女子と踊ってたってな!!」


 凌平が勢い颯心によく指を突きつけた。

 そこにいた凌平以外の面々はこっそりと七瀬の方に視線を向けていた。


「この野郎! 抜け駆けしやがってェ!!」


 凌平は颯心の胸ぐらを掴んで、颯心の体を揺らした。


「光、お前も抜け駆けしたりしてねぇだろうな!?」

「あ、安心しろ……」


 言えるわけがない……ましてや心春と踊ってただなんて……


「そもそもなんでそんなこと知ってるの?」

「ある生徒が目撃したんだよ! 残念ながら相手女子の顔は見えなかったようだが……一部の生徒がその情報から颯心のダンスの相手を探し回ってるぞ」


 もしかして一部の生徒ってのは颯心のことが好きな女子とかも含まれているのか?


「お前のそのモテモテぶりには本当に殺意が沸くぜ。最初この話を聞いた時は鈍器で殴り殺そうと思った。でも今はその事に関してはいい。聞かなければいけないことが他にあるからな……そのダンスの相手ってのは一体誰なんだ!?」


「いや、教えない」

「おい、俺たち親友だろ?」

「俺を殺そうとしたやつが何を言う」

「喋ったら楽になるぞー。ほれ、カツ丼食うか?」

「絶対に言わない!」


 この状況はちょっとまずいんじゃないか……?


 颯心と七瀬本人に言うわけにもいかないし、凌平は状況を理解できてうえに、状況を教えてはいけない人物だ。そして心春とは仲の悪い設定だ。となると頼れるのは彼女しかいないわけだ。


「なあ、藤島。これちょっとまずいんじゃないか? 颯心の相手を探してるやつのなかには、絶対颯心のこと好きな女子もいるよな?」


「間違いなくいるだろうね。もしダンスの相手がゆずだとバレたら、その女子たちから反感を買うかも知れないね……」


「というか今一番の容疑者は桜河だろ」


「そうだね……上原の好きな人は心春なんじゃないかって前々から噂になってたりもしてたし……

 心春とゆずの体格はあまり変わらないから、姿を見た人がいたんなら、体型とか身長から心春だと勘違いしてもおかしくないかも。

 心春は間違いなく疑われているでしょうね」


「後夜祭でお化けの格好をしていたってのも七瀬だけじゃなくて桜河に当てはまるしな」


「ん? 何で心春とゆずが後夜祭にお化け化粧のまま行ったこと知ってんの?」


 ギクッ。

 なんで知ってるってそれは会ってたからな。でも、そんなことを言うわけにもいかない。疑る藤島に俺は焦らず答えた。


「たまたま見かけたんだよ」


「じゃあ、後夜祭のとき心春が何していたか知らない? 私途中別れたから心春が何していたのか知らないんだよね……心春が誰と一緒にいたかが分かれば、心春のアリバイにもなると思うんだけど……」


「分からない」


 だめだ、心春の罪を晴らすためとも言えない。その時、心春は俺とダンスをしていたなんてことは。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




「桜河。ちょっと頼まれてくれるか?」

「いいですよ」

「この備品を返してきてほしいんだ。」

「はい、分かりました」


 学級委員長となると、こういう時によく仕事を任される。そこまで大変な仕事じゃないから別に大丈夫だけど……


 さっさと終わらせてしまおう……いや、今はひかると顔を合わせたくない。やっぱりゆっくりと時間をかけよう。


 そもそもあの時、なんで私はあんな大胆にダンスに誘ったりなんて……


 最近、自分でも自分の行動が分からなくなるときがある。恥ずかしくて私には到底できないことのはずなのに、気付いたら体が勝手に動いている。


 自分が自分じゃないみたい……


 この心臓の高まりは一体いつ収まるんだろう?


 無駄に時間をかけて、仕事をゆったりと終わらせた。


 教室への帰り道。廊下を歩いていると、前から数人の女子たちが歩いてきた。


 あ、あれは……梶谷さんだ。

 私のことを嫌っている女子の一人……

 なんで嫌われているのか、私が彼女に何をしてしまったのかいまだに分かっていない。どうすれば仲良くできるんだろう。


 正直、怖い……


 梶谷さんたちもこちらに気が付いた。


 でも、大丈夫だ。目を合わせないで、黙って通りすぎれば良い。


 よし、通りすぎる……


「周りからちやほやされて勘違いしちゃってるんじゃない」

「ちょっと勉強できて可愛いからって、調子乗ってるわ」


 大丈夫、私には何も聞こえてない。あれは別に私のことを言ってるわけじゃない。きっと違う。


 よし、急いで戻ろう……


「あっ、いた心春」

「ひかる?」


 前から歩いてきたのはひかるだった。周りに人があまりいないとはいえ、学校でひかるの方から話しかけてくるのは珍しい。


「何してるの?」

「いや、心春が遅いから」

「えっ、あっ、ごめん」


 ひかるが私の顔を覗き込んだ。


「あれ、心春? どうした?」

「別に何もないよ」


 私は笑ってそう答えた。あんまり目立って周りにバレると困るから。


「じゃあ、行くね」

「ちょっと、待て」


 背後からガシッと腕を掴まれた。


「何もないわけないだろう? 目を見れば分かる」

「何もないってば……」

「ちょっとこっちへ来い」


 私の掠れた声の否定を無視して、ひかるは私を引っ張っていった。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




 他学年とはいえども、周りに人目があったため、俺は心春を人目につかない教室まで引き連れた。


 心春が嘘をついているのは明白だった。


「…………」

「…………」

「本当に大したことはないんだよ……ただ聞こえるように陰口を言われただけで」


 沈黙に耐えかねた心春がとうとう口を割った。


「それはもう陰口じゃないだろ?」


 本当に陰湿だ。直接不満をぶつけるわけでも、陰でこそこそ悪口を言うのでもなく、本人に聞こえる程度の声で、それが誰とは明言せずに悪口を言う。


 心春は昔から人とあまり喧嘩をしないタイプだった。争い事は意味をなさないし、そんなものを好まない。そういう性格だったのだ。


 なのに心春は人が喧嘩をしているのを見て泣いていた。自分に浴びせられたわけではない罵倒で泣いていた。誰かの何気ない言葉に傷ついていた。


 彼女はそんな一言一言に、人間から湧き出る小さな悪意に、ずっと精神をすり減らしてきた。


 どうしてこんなにも弱いのに、強くあろうとするのか?

 どうしてみんなは心春を強くて、自分たちとは違う人間だと思えるんだろうか?

 どうして俺が側にいながら、頼ってくれないのか?


「心春は悪くない。心春は何も悪くないよ」


 心春の目は少し赤くなって、潤んでいた。でも心春は必死に涙を流すまいとしていた。


 心春はみんなが思っているよりずっと弱い。なのに寂しくても、辛くても文句一つ溢さない。あくまでも完璧を演じ続ける。


 ずっとなんで心春はそこまで完璧を演じるんだろうって、分からなかった。でも、それは自分の弱さを隠していただけなのかもしれない。それは心春自身の願望の姿だったのかもしれない。


 多分心春のせいじゃないと言っても、自分のせいだって、自分が弱いからだって思っちゃうんだろう。そんなわけないのに……


 それなら何とかして心春の気をそらす他ない。


 その言葉に苦しまないように。もう何も気にしなくていいように。


 俺は心春の頭に優しく手を置いた。


「心春は何も悪くないよ。だってそいつらは心春に嫉妬してるだけだから」


 ビクッと心春は肩を震わせた。


「心春が勉強できて、颯心を含めた色々な人と仲が良くて、人気者で、信頼されてて、学級委員長まで務めちゃって、そのうえとても可愛いからみんな嫉妬してるだけなんだよ」


 心春の頬が次第に赤くなっていった。


 俺の顔にも熱が籠ってきた。心春を褒める発言はかなり恥ずかしくて、こっちも大きなダメージを負っていた。好きな人の良いところを挙げるなんて、恥ずかしすぎて死ねる。


 でもこれで少しでも心春の心を和らげることができるなら……


「それに優しくて……」

「…………分かった……」

「友達思いで……」

「分かったから! お願いだからもうやめて……」


 急に大声を出したかと思うと、心春は両手で顔を覆い隠した。

 心春を落ち着かせるどころか随分と荒ぶらせてしまったらしい。

 でも、心春の瞳にはもう涙らしいものは溜まっていなかった。


「どうする? このままサボっちゃう?」「ダメだよ、みんなに迷惑かけちゃうよ……」

「まあ、そうだな。じゃあ、そろそろ戻ろうか。ちゃんと別々に別れて」


 心春の頭から手を浮かした。その時、心春の小さな手が俺の手をギュッと掴んで、俺の手を自分の頭の上に引き戻した。


「でも…………ちょっとだけならみんなも許してくれるかな?」


 心春が下から俺の顔を見上げる。ドキッと胸が鳴った。


「うん、多分大丈夫だよ」


 外の騒がしさとは打って変わって、その教室の中は俺と心春の静かで心地よい空気が広がっていた。










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