第12話 幼馴染と勉強会

 学校が終わり、俺は家で勉強に臨んでいた。

 怒涛の文化祭が過ぎて、日常へ舞い戻ると思われた俺たちの学校生活だったが、苦痛に満ちた中間テストが次に俺たちを待ち構えていた。


 高校生ともなればテストに本気に取り組む人を嘲笑できなくなる。今まで成績不良だったが、見事なまでの下剋上を遂げる者もいる。


 俺は定期テストでは毎回それなりの成績を収めている。もちろん毎回トップテン入りをする心春には足元にも及ばないけど、大抵三十位前後を安定して手にいれてきた。だが、高二になってから突如として現れる成り上がり者に俺の成績は脅かされてきた。俺は何としても成績を維持しようと、一人机に向かっていたのだ。


 俺がペンを走らせていると、プルルと携帯電話が振動する。心春からだ。


 電話に出る前にカーテンを開けてみると、心春がこちらを見つけて手を振ってきた。


「電話に出ないでよく分かったね」

「だって何度目よ、これ」

「確かに」


 ふふっと心春は笑った。


「今何してたの?」

「勉強……もうすぐ中間テストだから」

「そうだね。どう、ひかる? ちゃんと勉強してる?」

「まあ人並みには」

「ひかるってなんだかんだ成績は良いんだよね」

「心春には全く及ばないけど」

「あはは」

「心春も勉強してんの?」

「もちろん」

「あっ、そうだ。心春に聞きたいところがあったんだよ」


 机の上のノートを手早く取る。


「ねえ、ここ分かる?」


 窓から少し体を乗り出して、心春の前でノートを広げた。


「ちょっと、そんなに乗り出してノート落とさないでよ? そもそもひかるが落ちないでよ、昔みたいに」


 心配そうな目で見つめてくる心春。

 一度だけ過度に身を乗り出したあまり、二階から落っこちそうになったことがある。でもそれはもう数年前の話だ。


「大丈夫だよ」

「ならいいんだけど」

「ここからどうやって解けば良いの?」

「ちょっと、これじゃあよく見えない……」


 ゴソゴソと高校の鞄の中から何かを探す心春。


「あった、あった」


 手に桃色の細長い直方体のケースを持った心春はちらりとこちらを向いて言った。


「あんまり見ないでよ?」


 ケースから何を取り出すのかと思えば、それは心春がいつも学校でかけている眼鏡だった。眼鏡姿の心春の再来だ。


「えっと、まずその式をね、公式使って全部コサインの式にできるでしょ?」


 心春も少し乗り出して指を指す。


「どの式? これ?」

「違う違う、そっち。それから…………ってすごいやりづらいんだけど」

「まあ窓トゥー窓だからな」

「これじゃあ埒が明かないよ」

「といってもいちいちノートを手渡しするのは大変だし……」

「だったらさ……うち来る?」


 そういうわけで俺は心春の家に来ていた。心春の家に来るのは全く初めてじゃないんだけど、最近ホラーだの文化祭だの、何やら色んなことがあったからか、心春の家にいると思うとすごく緊張する。

 心春のご両親はまだ仕事のようで家にはいなかった。心春と二人きりということだ。いたらいたで気まずいが、二人きりというのも少しばかりいたたまれない。

 まあ何も間違いは起きないだろうけどさ、思春期の男女が家で二人きりというのはどうなの?


 心春はそんなことを全く気にする様子もなく、俺を家に招き入れた。


「こっちこっち」


 心春はリビングの机のところで手招きする。


「ここでやろうよ。ここなら隣で教えることもできるでしょ?」

「ああ、助かる」

「じゃあ、ソファに座って」


 心春は背中から崩れ落ちるようにその机のソファに腰掛けた。

 俺は心春との間に少しだけスペースを置いてソファに座った。


「それで、さっきのどこの問題?」

「ここなんだけど……」

「ああ、そこね。そこはね……」


 心春が俺に体を寄せてきて、心春の肩が俺の肩とぶつかる。彼女の細長くて折れそうな腕も、俺の体に微かに触れていた。


 せっかくさっき二人の間にスペースを置いたのに、無駄じゃないか。


「ねぇちゃんと聞いてる?」


 心春が俺の顔を下から覗き込んだ。


「あっ、悪い……」

「もうしっかりしてよね」


 体の距離だけでも手一杯なのに、心春の顔が近くて、さらにドキドキしてしまう。


 しっかりしろ。中間テストは目と鼻の先だ。勉強に集中しなくては……


「ねえ、ひかる。ここ分かる?」

「どれどれ……ああそこのthatは関係代名詞じゃなくて強調構文になってるんだよ」

「なるほど……ありがとう」

「ふっ」


 思わず笑みを漏らしてしまった。


「なんで笑ってるの?」

「いやいや、まさか心春に教えを乞われるとは思わなかったから」

「私にだって分からないところくらいあるよ」


 心春は少しムッとして答えた。


「まあそうだな。心春は地頭はそんな良くないしな」

「えっ……ちょっとそれは心外なんだけど!?」


 心春は驚きと少しの怒りが混じったような声を発した。


「冗談だよ。ちゃんと分かってるから……心春が人一倍努力してることは……俺はちゃんと知ってるから」

「ひかる……」


「それって、私が努力しないとダメなほど地頭が悪いと? 地頭悪いってことは全く否定してないよね!?」

「あれ、今結構良いこと言ったと思ったんだけどな……」

「全然よくないよ!」

「ごめん」

「もういいよ、教えてあげない!」


 柔らかそうな頬を膨らませて、プイッと顔を背ける心春。


「ごめんなさい、教えてください先生」

「やだ。おしえてあげなーい」


 少し楽しそうに微笑む心春。


「ならいいですよ! 俺一人で良い成績を収めてやらぁ」

「ふーん……じゃあ、テストで勝負しない?」


 心春が悪巧みをする子供みたいな笑みを浮かべる。


「俺が心春に勝てるわけないでしょ」


 何を言ってるだ? 俺と心春の学力は雲泥の差だ。勝負にならないだろ。


「でも私地頭悪いみたいだし?」

「もしかして、さっきのこと怒ってます?」

「もちろん怒ってます」

「すみません」

「ふふっ、冗談だよ。そんな怒ってないって」


 心春がクスクスと笑い出した。


「いいじゃん、やろうよ」

「まあ、いいけど……」

「負けたら罰ゲームね!」

「ちょっと待て! それは聞いてない」

「罰ゲームない勝負なんてつまんないでしょ?」


 いたずらっ子みたいに微笑む心春。こんな顔されたら断れないだろ……


「仕方ないな……分かった、やろうじゃないか。絶対勝ってやる!」

「私も負けない」

「それで罰ゲームの内容は?」

「うーん……お互いが何か一つだけ相手にしてほしいことをお願いして、それを聞いてもらうっていうのは?」

「そのお願いっていうのは何でも?」

「何でも」


 何でもか……。心春にお願いしたいことねぇ……

 しばらくの間沈黙が漂った。


「も、もちろん変なお願いはダメだからね! エッチなのとか……」


 心春が顔を赤らめて、慌てて訂正する。


「そんなお願いしねぇから。俺そんな風に見える?」

「見えないけど、男はみんな女の子のことをエッチな目で見てるって渚が……」

「みんながみんな見てる訳じゃないから、そんな不名誉なこと二度と言わないで」

「ごめん」


 そんなお願いしたくても出来ないわ!


「それじゃあ、約束だぞ」


 俺は右手の小指を出した。


「それするの? なんだか小さい頃に戻ったみたいだよ?」


 心春はクスッと笑みをこぼした。


「いいじゃん、別に」

「良いけどさ」


 心春も右手の小指を突き出して、その細い指を俺の小指に絡ませる。


「はい、約束な」

「うん、約束」


 俺も心春も勉強にメラメラ燃えていた。

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