第5話 幼馴染とホラーな休日

 休日ってなかなか暇だ。平日には来る休日に誰もが心を馳せるものだが、いざ休日になってみると何もやることがないってよくあること。


 俺は、今日は小説を読んで過ごそうと思っていたのだが、読む予定だった本を朝だけで読み終えてしまった。だが、新しい小説や漫画を買いに行こうとも、映画を借りに行こうとも思えなかった。何となく体が重くて、体が俺に家から出るなと告げている。


 さあ、こうなると暇なわけだ。


「暇だなー」


 リビングのソファに寝っ転がってふと声を漏らした。


「お兄ちゃん今暇なの!!?」


 コップに入ったお茶を喉に注いでいた花恋が、待ってましたと言わんばかりの笑みで目を輝かせていた。


「訂正。超忙しい」

「超忙しいようには見えないんだけど?」

「どうせろくなこと考えてないだろ?」

「いやいや、これはお兄ちゃんのためだよ?」

「は? 俺のため? 何しようって言うの?」

「映画を見ましょう」


 花恋が手にDVDのケースを持つ。ケースのデザインからして海外のホラー映画のようだ。


「おお、いいな」


 映画鑑賞は好きだし丁度良い。ホラー映画はあまり見ないけどいい機会だ。


「早速見るか」

「ちょっと待ちぃ! お兄ちゃん、木曜日にした約束忘れてない?」

「約束?」


 そんなのあったっけ?


「もう、心春ちゃんとの関係黙っとく代わりにアイス奢ってくれるって」

「ああ、あれマジなの?」

「マジです」

「マジですか」

「別に高いアイスは所望しないからさ。そこら辺のコンビニのアイスで良いからバニラとチョコとイチゴのアイス買ってきて」

「お前、三つも食べる気なのか?」

「違う違う。どれか一つはお兄ちゃん用。ホラー映画といえばアイスでしょ?」

「そうなのか? それはホラー映画を夏に見るからじゃないのか? もう九月の下旬だぞ?」

「ゴタゴタ言わずに買ってくる!!」

「りょーかい」


 花恋の有無を言わせぬ口調に俺は家から飛び出た。もうアイスのために外出るくらいなら本屋にだって行けたのにな。まあ、ホラー映画を見るっていうのもいい機会だし。こういう日があってもいいかな?




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




 家に着くなり玄関の家族のものではない靴が目につく。見知らぬ靴という訳じゃなかった。誰の靴かは一目瞭然だった。


「ただいま」

「おかえりー」

「おかえりなさい」


 リビングから勢いよく飛び出して来た花恋の後ろから心春が姿を現した。


「やっぱり」

「お邪魔してます……」

「おう……」


 そのぎこちないやり取りをして、俺たちはお互いに目を逸らす。


 微妙に気まずい。金曜日の夜には一切電話を繋げなかったため、お弁当の一件以降顔を合わせるのは初めてだ。あの心春の発言の真意は何だったのか?


「二人ともなんかあった?」


 迷惑なことに花恋はこういう時には本当に勘が鋭い。


「別に何も」

「嘘だぁー!!」

「そんなことより映画見るんだろ?」

「そうだそうだ! ちゃんとアイス買ってきた?」

「なるほどそれで三個ね」


 花恋、俺、心春の分ってことか。


「そういうこと! じゃあ、準備しよう!」


 そう言って花恋はリビングの方へ走っていった。


「ごめんな、心春。花恋に付き合わせちゃって」

「大丈夫だよ、私も暇してたから」

「でも大丈夫か?」

「なにが?」


 心春はキョトンと首を傾げる。


「今日見るのホラーだよ?」

「えっ…………ちょっと私用事を思い出したかも」


 帰ろうと玄関に足を向ける心春。


「ダメだよ、心春ちゃん!」


 そんな心春の腕にリビングにいたはずの花恋が飛びついた。


「ホラーだなんて聞いてない」

「うん、言ってない」

「おい、無理やりはやめろよ。心春が可哀想だから」

「お願い、心春ちゃん!」


 花恋の上目遣いに心春はどうしようと頭を抱える。


「……分かった、一緒に見よう」

「やったぁー」


 花恋が歓喜を上げる。


「なあ本当に大丈夫か、心春?」

「大丈夫。私だってもう高校生だし」

「これ結構怖いことで有名な映画だぞ?」

「えっ……」


 心春が不安そうな目でこちらを見てくる。そんな可愛い顔したってどうにもならない。


「それじゃあ始めるよー!!」


 全く空気を読まない花恋の声で映画は始まった。


 前半までは三人とも俺の奢りのアイスを口にしながら映画の導入部を頭で追っていく。だが、後半になるにつれ次第にホラー度が増していき……


「ひゃっ!!」


 短く悲鳴を上げた心春が俺の左腕を見事にホールドして、俺の腕に顔をうずくめた。


「心春、大丈夫か?」


 心春がうずめた顔を上げたので、俺と目が合う。その目はうるうるとして涙目になっていた。


『キャァーーーーー』


 テレビの中から子供の悲鳴と不気味な音が流れ出て、心春は再び俺の腕に顔を沈めた。

 心春の小さくて折れそうなくらいに細い肩が、プルプルと震えていた。


 怖がっている心春をどうにか安心させてやりたいと思った。俺は掴まれていない方の手を心春の頭の上に置く。最初手を置いたとき、ビクッと心春が体を揺らした。

 そして心春の茶色い髪の毛を撫でる。指が綺麗に髪の毛の間をさらさらと潜り抜けていく。柔らかくてさらさらな質感が手にしっかりと残る感覚を覚えた。心春も安心したのか次第に体の重心を俺の方へ預けていった。


 途中から映画の恐怖度がさらに増していったので、俺は心春の頭を撫でるのを止めて心春の耳を塞いでやるのに専念していた。映画の音だけで心春がビクビク怯えてるのが分かったからだ。


 俺はというと、意識のほとんどが心春に持っていかれて、映画の後半の内容はほとんど頭から抜け落ちていた。というのも俺が心春の耳を塞ぐ頃には、心春は俺の左腕ではなく俺の体を抱き締めているのと大して相違はなかったからだ。


 それに、もしあのまま映画に全意識を向けていたら、その恐怖から心春を思わず抱き締めてしまうなんていう事故が起こりかねないという不安もあった。


 それから単純に自分の心臓の高鳴りが、俺の胸に頭を預ける心春に聞かれてしまうんじゃないかという焦りもあった。好きな子に抱き締められてるんだぞ? すごいドキドキするに決まってる。


 いずれにせよ映画に集中できるほど、俺に理性があるわけではなかったということだ。


「心春、終わったぞ」


 心春の耳から手を外して心春に伝える。


「ほんと? 良かった…………」


 心春が安堵の息を漏らして、顔を俺の体から離した。心春は一瞬こちらを見上げた。俺と目が合うと頬を赤く染め、プイッと目をそらした。


「いやぁ、映画は随分と怖かったね。ところでお二人さん。どうして、抱き合ってるんです?」


 花恋がニヤニヤ顔で尋ねる。


「お前が心春を無理やり連れるからこうなったんだぞ。少しは反省しろ」


 そう言うと花恋は笑みを崩して、頭を下げる。


「心春ちゃん、ごめんなさい。どうしても一緒に見たくて……」

「別に大丈夫だよ。わたしには怖すぎたかな……だって光ですら怖く感じるやつでしょ?」

「俺そんなに怖がってなかったと思うけど?」


 というかそもそも集中して映画を見れていないから内容も頭に入っていない。


「嘘つかなくてもいいよ、心臓の音がバクバク言ってるの聞こえてたよ? よっぽど怖いやつだったんだね」


 多分その胸の高鳴りはホラーじゃなくて心春のせいだ。好きな人に、心春に抱き締められてドキドキしていただけだ。


「ま、まあ、そうだな。すごく怖かった」


 でも、そんなことは言えない。俺にはこう誤魔化すしかなかった。依然として花恋はニヤニヤしていた。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




 プルルル、プルルル。

 時計が夜の十時に差し掛かった頃、携帯電話が部屋のなかで鳴り響いた。


「もしもし、心春?」

『そうだよ……』

「一体どうしたんだ?」

『今ベットの中にいるんだけど…………昼間見たホラーのせいで眠れなくてさ』


 心春は少し弱ったような声で答えた。


「家に誰もいないのか?」

『うん。親がいなくてとても静かだから余計怖くって……一昨日、寂しくなったらいつでも連絡していいって光が言ってくれたから…………ごめん、迷惑だった?』

「まさか。迷惑なわけないよ。言っただろ、せめて俺の前だけでは無理しないで頼ってくれって」

『ありがとう、助かる』


 俺はさっきまで読んでいた小説にしおりを挟んでベットに潜り込む。


『今何してるの?』


 俺がゴソゴソ動いているからか、心春が尋ねてきた。


「俺もちょうど今ベットに入ったところ」

『そうなんだ……なんか不思議な気分だね』

「何が?」

『二人ともベットに入ってると思うと、凄く近くにいるみたい』

「まあ、実際近いけどな。すぐ隣の家だし」

『そういうことを言ってるんじゃないよ。ねえ、ひかる。目をつぶってみて』


 俺は心春に言われた通りに目を閉じる。


『どう? 同じベットの中のいるみたいでしょ?』


 視界のなかは真っ暗だ。目の前には無限の広さの宇宙が広がっている。その宇宙のなかで心春の声がこだまする。

 全ての感覚が耳元に集約され、聴覚が研ぎ澄まされる。心春が耳元で囁く声が体を駆け巡って行くのが分かった。まるで俺のすぐ隣に心春がいるようだ。


「まあ……確かに……」


 だが心春と同じベットに入ってるのを想像するなんて、思春期の男子には絶対良くない。凄い罪悪感を感じる。


 でも、それで心春が寂しさを感じないっていうなら……


「じゃあ、心春はずっと目を瞑っておけ。それで眠くなったら眠ればいいよ」

『でもそうしたらひかるは?』

「俺はまだそんなに眠くないから大丈夫だよ。心春が眠ることだけに集中して」

『ありがとう、優しいね』


 心春の声がどこか甘くなったように感じた。


「どう? このまま話してれば眠れそう?」

『うん、ひかるが側にいるって思うだけで安心する』

「そ、そうか……」


 そんなことを言われると何だかむず痒い。俺は一人ベットのなかで顔を赤らめていた。心春は今どんな表情をしているんだろう?


「ごめんな、うちの花恋せいで」

『別に大丈夫だよ。私も楽しかったし』

「じゃあ、今度また一緒に映画見ようよ。もちろんホラー以外で」

『うん……楽しみにしてる』


 それから心春が眠れるまで、俺と心春は他愛もない話を広げた。


「そういえばもうすぐで文化祭だな。心春は何かするの?」

『吹奏楽部があるかな……体育館で発表があるんだ……すごく緊張する』

「頑張れよ。絶対聞きに行くから」

『うん、約束だよ』

「ああ……」


 心春が少しだけふふっと笑い声を漏らした。


「それにしても文化祭を一緒に回れないのが残念だ」

『うん、そうだね……』


 心春は眠そうな声で相槌を打った。


「クラス企画でやりたいものとかあるの?」


 質問に返答はない。電話のなかに沈黙が続いた。


「心春?」


 耳に意識を集中すると、すぅと可愛らしい寝息が電話越しに聞こえてきた。


 眠れたのか。


 俺は思わず小さな笑みを漏らした。


「おやすみ、心春」


 そう囁いて、俺は電話を切った。

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