第3話 幼馴染と囲う食卓

 学校が終わった後は、宿題やら漫画やらでその時間を過ごすのが俺の日課だ。今日に関しては部屋でだらだらと小説を読んでいた。

 そういえば、今日は木曜日。だからだ。そろそろかなと思い時計を見上げると、針は既に五時半を回っていた。


 ピンポーン。

 俺の予想が的中したようでインターホンが鳴る。

「はーい」

 妹の花恋かれんの陽気な声が俺の部屋にまで届く。


 来たな。


 部屋を出て早足で階段をかけ降りる。


「お邪魔しまーす」


 出迎える母と妹の花恋の奥には、可愛らしい服を着た俺の幼馴染が立っていた。心春だ。


 毎週木曜日の夕方はこうして幼馴染の心春がうちを訪ねてくるのだ。火曜日や木曜日には、心春の母親も父親も仕事で夜遅くまで帰ってこない。だから心春はひとりぼっちでご飯を食べ、風呂に入って、ベットに潜り込まなくてはならなかった。


 だが、さすがに一人でご飯を食べるのは寂しいだろうから、という理由でうちの母が一緒に夕食を食べることを提案したのだ。だから心春は小さい頃から火曜日と木曜日にはこうしてうちで一緒に食卓を囲んでいる。


 昔は一緒に遊んで母が作る夕食を待っていたものの、中学生ごろになってからか、ただ食べさせてもらうのは申し訳ないと思ったのだろう、心春は母の手伝いを始めた。心春に料理を教えたのも母だった。

 それで、妹の花恋までそっち側につくものだから、一人で夕食ができるまで待つというのも気が引けて、こうして俺も夕食作りを手伝う始末である。まあ、お手伝いは大切だ。


「今日は何作るんですか?」

「エビフライよ。心春ちゃん、いつも手伝ってくれてありがとね」

「こちらこそお世話になってます」

「はいはい! 私がエビフライやる!」


 最近何故か料理に対するポテンシャルの高い花恋。メインをやりたがるお年頃だ。


「じゃあ、私味噌汁やります」

「それで光は……」

「はいはい、その他全般ね」


 きんぴらごぼうとサラダを適当に分けてから、俺はキュウリの叩きを作るため台所に入る。そこには心春がいて、鍋とにらめっこをしていた。


 母と花恋は台所に三人以上入ると狭いからという理由で、ダイニングテーブルで揚げる前の作業をしていた。


 よって俺と心春はキッチンで二人きりであった。最初に口を開いたのは心春がだった。


「もう今日みたいなことはやめてよね。バレると困る」


 咎める眼差しでこちらの顔を覗く。


「つい魔が差して……でも心春も見てくるし」

「そもそも光が私のこと見てきたのが始まりだからね?」

「そうでした、すみません」


 静寂が漂う。


「それで……何でそんなに私のこと見てたの?」


 流れる沈黙のなかで心春が呟いた。心春は一切こちらに顔を向けず、淡々と作業をしていた。


 それを聞いてしまうのか……出来れば一番掘り下げられたくなかった箇所だ。


「眼鏡姿の心春が新鮮だったから……」


 嘘ではない。可愛いかったとか、見惚れていたとかもあるけど、眼鏡姿だったことも一つの原因であることに間違いはない。


 それを聞いた心春はこちらに顔を向ける。心春は透き通るような焦げ茶色の目を大きく見開いていた。


「えっ、それだけ?」

「それだけ……」


 心春の驚きの声に俺はただ頷く。


「いつも学校ではつけてるよ?」

「でも、改めて見るのは初めてだったし……ほら、学校では関わらないから」

「本当にそれだけなの?」

「うん……」

「そうなんだ……」


 何となく気まずい空気が流れた。しばらくして心春が作業に戻ったので、俺もキュウリを叩き始めた。


「うーん、少し薄いかな……」


 小さな皿に取った味噌汁を飲んで、心春はそう呟いた。


「光、ちょっと飲んでくれない?」

「ああ、いいよ」


 心春はお玉で掬った味噌汁を手に持っていた皿に入れる。


「はい」

「ありがとう」


 俺は皿を口元に近づける。


 ん? ちょっと待て、これさっきまで心春が使ってた皿じゃ?


 焦って俺は心春の方を見る。心春はその事に気付いていないのか、気にしてないだけなのか、俺に感想を求めるが如く期待の眼差しを俺に向けていた。


 まあ、気付いてないなら変に言う必要もないかな。長年幼馴染やってれば、間接キスなんて幾度もなくあった。それで俺だけ気にしてるのもなんか悔しい。


「それじゃあ、いただきます」


 皿を口の手前まで持ってくる。そして、味噌汁を口のなかに注ぎ込む。その瞬間心春が声を漏らした。


「あっ、ちょっと待って、それじゃ間接……」


 ちょっとだけ言いかけて、心春は顔を真っ赤にしながらその後の言葉を引っ込めた。


 気付いてなかったのか………


 俺は気付かないふりをして乗り切ろうと思ってたのに、言葉に出して『間接キス』なんて言われたらこっちも意識してしまって恥ずかしくなる。耳が熱くなっていくのを感じた。


 昔はこんなことお互いに気にしてなかったのにな……


「大丈夫、おいしい……」

「うん、ありがと……」

「……」

「……」


 お互い頬をほんのり紅色に染め、気まずい空気がその場を支配した。


「ちょっと二人ともラブラブしてないでこっち手伝ってよ」

「ラブラブなんてしてねぇ!!」

「ラブラブなんてしてないよ!!」

「わぁ、息ピッタリ!」


 沈黙を打ち破ったのは花恋が投下した爆弾だった。


 全く何てこと言うんだ。


 俺は恥ずかしさからすぐさま台所から離れた。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




「それじゃあ、いただきます」

「いただきます」


 食事が始まるなり俺は味噌汁に手を伸ばした。やっぱり味噌汁は温かいうちに飲みたい。


「ふぅ……」

「おいしい?」

「ああ」


 心春が目を細めて、嬉しそうに笑った。


「良かった」

「もうお兄ちゃん、心春ちゃんにこれから毎日味噌汁作ってもらえば?」


 花恋がニヤニヤしてそう言う。さすがにそれが何を意味しているのか俺も知っている。心春は極力自分に話が回ってこないようにか、目を逸らしていた。


「さっきから調子に乗りすぎだ」

「てへ」

「てへじゃない」


 今日はやけに絡んでくるな。


「なんでそんなに今日鬱陶しいの?」

「私だってこうやって誰かをからかって馬鹿にしていないとやってけないよ」

「クズみたいな発想だな。何かあったのか?」


 花恋が真面目なトーンで言うので少しばかり心配になる。


「うん、まあ……」

「へぇ珍しいな。お前にもそんな時があるのか」

「当たり前でしょ……誰にだって愚痴を言いたい時はあるよ」

「ああ…………ん?」


 聞き覚えのあるフレーズに花恋の顔を見ると、花恋はなにやらニコニコしていた。


「ちょっと待て! おい、花恋、ちょっと来い!」

「何、どうしたのお兄ちゃん?」


 ニヤニヤ顔の花恋の腕を引いてダイニングルームからリビングの方へ連れていく。


「お前、なんで知ってる?」

「何の話かな~?」

「昨夜の俺と心春の会話を盗み聞きしてただろ?」

「盗み聞きなんて人聞きの悪いなあ。私はただ夜風に当たりたいなぁーって窓を開けてただけだよ。そしたら話し声が聞こえてきて、私も窓を開けたまま部屋にいただけだよ。不可抗力!」

「ちなみにどこから聞いてた?」

「最初から」

「何てこった……」


 じゃあ、心春のこと可愛いって言ったことも全部聞かれてたのか。これは恥ずかしい。


「一部始終聞いていたのか?」

「さすがに私だってそこまで暇じゃないよ。お兄ちゃんが言葉に詰まりながら心春ちゃんに『かわいい』って言ってたことくらいしか聞いてない」

「お前、許さん」


 一番聞いちゃいけないとこだよ、それ。


「そもそも私の隣の部屋なのにあんな大声で話してる方が悪いよ。私だって聞こうと思ってた訳じゃない」

「おっしゃる通りで」


 確かに正論だな。


「アイス一個」

「は?」

「アイス一個で黙っておいて上げる」

「脅そうってのか?」

「だって学校では二人の関係黙ってるんでしょー? 二人が愛し合う仲だって」

「愛し合う仲じゃない!!」

「じゃあ、ただの片思い?」

「片思いもしてねぇ」

「あれぇ? 私は一言もお兄ちゃんの片思いだなんて言ってないけどなぁ?」

「言わなくても分かるだろ。そもそも心春が俺のこと好きなわけ……」


『時間…………じゃないかな? 一緒に過ごした時間、楽しいことを共有した時間、居心地の良い時間……そういう時間の積み重ねが恋になるんじゃないかな?』


 頭に心春の言葉がよぎって、俺は吐きかけていた言葉を引き戻す。


「おやおや~? 心春ちゃんがお兄ちゃんを好きではないとは言いきれないのかな? そうだよね、大切なのはだもんね?」

「お前やっぱり一部始終聞いてただろ!?」

「あは、バレた」

「ちょっとぉー、二人とも早くご飯食べちゃいなさい」

「はーい!」


 母の声をきっかけに花恋はニマニマしながらテーブルに戻り、俺の追求から逃れた。


「おい、ちょっ、待て!」


 俺も花恋の後を追って食卓に戻った。


「何の話してたの?」


 心春が不思議そうに頭を傾げた。


「いや別に……」

「お兄ちゃんが恋に落ちてる話だよね~」

「えっ?」

「あら」

「おい、嘘をつくんじゃない」

「ええー、本当に違うの~?」

「事実無根だ」




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




「ごちそうさまー」

「おかず余っちゃいましたね」

「そうねぇ。明日光のお弁当に入れるわ。心春ちゃんも持って帰る? 明日のお弁当に入れたらどう?」

「ありがとうございます。持って帰らせていただきます」

「分かったわ。それにしても偉いわねぇ、自分でお弁当作って」

「いえいえ、そんな」


 心春は褒められて嬉しいようで笑顔を浮かべた。


「うちの子達はどっちも出来ないから」

「私だってやろうと思えば出来るもん」

「やらなきゃ一緒だろ」

「うるさいなぁー、そんなんだから片思いなんだよ」

「さっきから何なんだよ」


 心春の前でそれを言うのはマジでやめてくれ。


「洗い物私やりますよ」

「あら、心春ちゃんさすがにそこまで任せるのは悪いわよ」

「大丈夫です。いつもお世話になってるのでやらせてください」

「それじゃあ、遠慮せずにお願いしようかしら」


 花恋が俺に近寄ってきて耳打ちする。


「心春ちゃん家庭的で将来も安心だね」

「うるさいな、お前はもう部屋に行ってろ」


 花恋を追い払ってから台所に入る。


「俺も手伝うよ」

「うん、ありがと」


 俺は流し台の前で心春の横に並ぶ。互いの肩と肩は微かに触れていた。少し動くだけでぶつかってしまい、そのときには互いにビクッと肩を揺らす。

 この距離感に俺は少し緊張していた。


「私これ終わったら帰るね」

「もう帰るのか? もう少しいても良いんだぞ?」

「ひかるはいてほしい?」

「まあ、花恋の相手を一人でするのも大変だし……」


 直接いてほしいなんて言うのは恥ずかしくて、言い訳を並べた。


「ふふっ、確かに……でも、帰るよ。家に帰ってやらなきゃいけないことがあるから……」

「そうか……勉強か?」

「うん」

「頑張れ」

「うん、光もね」

「俺はもう終わってる」

「さすが」

「なんかあれだな。自分より頭のいい人に『さすが』って言われるのはおかしな気分だ」

「要領がいいことを褒めてるんだよ」

「どうも」


 もし、俺が心春にいてほしいと言ったら、心春はもう少し家に残ってくれたのだろうか?


 そんなこと考えたってもう仕方がない。頭のなかから変な期待を掻き消すため、俺は適当に話題を作って話に集中することにした。


「お母さんとお父さんは何時くらいに帰ってくるんだ?」

「分かんない。いつも私が寝たあとに帰ってくるから」

「へえ……ぶっちゃけ寂しかったりしないの?」

「寂しいよ。何か言っても返ってくるのは静けさだけ。音が無さすぎてたまに本当に怖い。

 この世から私以外のみんながいなくなっちゃったんじゃないかって……」

「…………」

「でもまあ、もう高校生だしそんなに寂しくもないけどね」


 心春は笑みを。それが俺には分かった。


「寂しくなったときとか、この世界から自分以外が消えたかもしれないって思ったときは、いつでも俺に電話してくれ。俺がこの世界にまだ生きてるってことを教えて上げるよ」


 心春には、強がらないでもっと俺を頼ってほしい。俺が心春の孤独を埋めてやりたい。

 心春にとってのそういう存在に、俺はなりたい。


「うん、ありがと……寂しなったら電話するかも」

「ああ、そうしてくれ」

「まぁーたお兄ちゃんがキザなこと言ってる」

「また人の話を盗み聞きしてるんじゃねぇ!!」




 ※ ※ ※ ※ ※ ※




「困ったときはいつでもいらっしゃいね」

「ありがとうございます、おばさん」

「じゃあねー心春ちゃん!」

「ばいばい、花恋ちゃん」


 花恋に手を振ると、今度は俺の方を向いて手を振った。


「ひかるも」

「ああ。また明日な」

「うん、また明日ね」


 俺も心春に手を振り返した。

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