第276話 そんな世界で

 エレハイム王国の王都ネリヤで起きた騒動は、王都に住む人々に多くの被害をもたらした。


 特に、突如として姿を現した赤い鬼の爆発によって、王城周辺は跡形もなく消し飛んでしまっている。


 そんな爆発を、至近距離で受けた者が居るとすれば、きっと助からないだろう。


 誰もがそんなことを理解しているし、私も、理解している。


 けど、認めたくはない。きっと、彼はすぐに帰って来るんだ。


 そう考えながら日々を過ごし始めて、すでに1か月が経とうとしている。


 あの日、ウィーニッシュに言われた通りにタイニーバタフライ号で仲間を拾った私達は、そのままゼネヒットに退避した。


 その後、王都に残ったアンナやジャック、そしてフィリップ団長から、様々な情報が届いている。


 壊滅状態の王都の復旧が少しずつ進んでいること、エレハイム王国の窮状を知った隣国が怪しい動きをしていること。


 そして、未だにウィーニッシュの遺体が見つかっていないこと。


 それらの情報を耳に入れるたびに、私は憂鬱な気分になってしまう。


 もしかして、ウィーニッシュは本当に死んでしまったのか。


 考えたくない事実が頭の中を過る度に、私は胸が締め付けられるような思いを抱いた。


 それでも、時間は止まることなく進んでゆく。


 そんな時間の中で、私も皆も生きていかなくちゃいけない。


 きっと、ウィーニッシュもそれを望んでいるはずだし、なにより、皆で勝ち取ったこの世界を、諦めるわけにはいかない。


 だから私は、マーニャは、酷く寂しいこの世界で、生き続けていくんだ。


 改めてそう決意した私は、深いため息を吐いた後、目の前で繰り広げられている惨状に目をやった。


「国の問題に俺達がいちいち手を貸す必要があるのか!?」


「国が攻め落とされてしまえば、私たちの生活にも影響がありますのよ!? もう少し頭を使ってくださいます?」


「とはいってもなぁ、俺達も余裕がある訳じゃねぇし」


「タイニーバタフライ2号であれば、敵の想定よりも早く移動して、奇襲を仕掛けることができるやもしれん。試す価値はあると思うぞ?」


「はいはい、皆さん、会議も良いですけど、少し休憩しませんかぁ? お菓子とお茶を用意したので、自由に食べてくださいね」


 集会場の会議室に集まった私達は、とある案件について会議をしていた。


 議題は、隣国の軍隊がエレハイム王国に攻め込んで来そうな件について。


 フィリップ団長から直々に協力要請が来ているけど、アーゼンとジェラールが援軍を出すことに懐疑的で、揉めている。


 メアリーとバンドルディア先生は、援軍を出すことに賛成しているらしい。


 まぁ、二人共の思惑には、若干のズレがあるように聞こえるけど。


 再びため息を吐きそうになった私は、セレナさんが持ってきたお菓子を口に放り込むことで、自分を落ち着かせた。


 こんな時、彼だったらどうしたんだろう。


 彼が居なくなってからの1か月間、いつもこんな感じで皆が揉めるようになってしまった。


 みんなそれぞれに、考えていることとか想いがあるのは分かるけど、それらを上手くすり合わせる人が居ない。


 止めたくても、私にはそれだけの発言力は無いし。どうしたらいいのかな。


 もはや為す術などないように思えた私は、お手上げというように、窓の外に視線をやった。


 今日も雲が穏やかに空を漂っている。お菓子は甘いし、お茶は喉を潤してくれる。


 それなのに、この巨大な喪失感は何だろう。


 きっと、皆も胸の内に空いた大きな穴を埋めようと、必死にもがいているのかもしれない。


 だから、こうして揉めてでも、自分の考えを貫こうとしているのかも。


 気休めにも似た考えを抱き、なんとか心の平穏を取り戻そうとした私は、そんなことをしても無駄だと自嘲し、お茶を飲み干す。


 ずっとこのままじゃいけない。ダメなんだ。


 そろそろ、この空いた穴とうまく付き合ってゆく方法を考えなくちゃいけない。


 そんなことを考えた私が、窓の外から会議室の中にゆっくりと視線を戻しかけたその時。


 窓の外を、何か小さなものが横切った気がした。


 まるで、光り輝く線のように街の中心の方に向かって飛んで行くような、そんな影。


「……え?」


 思わず口をついて出た声は、部屋の誰にも届かない。


 だけど、その声が自分の声だと自覚した私は、不思議な感覚に陥った。


 いつの間にか、心の中に空いた穴に水が張っていて、その水面に声が波紋を作るような、そんな感覚。


 その感覚に気が付いた私は、いてもたってもいられず、座っていた椅子から勢いよく立ち上がると、急いで会議室の出口に向かって走る。


 立ち上がった拍子に椅子が倒れて、皆の注目が集まるが、気にしない。


「マーニャ? どうしたの?」


 背後からメアリーが声を掛けて来るが、そんな彼女の言葉を無視した私は、そのまま階段を駆け下りて、集会場の外に飛び出した。


 そして、先ほどの影が飛んで行った方角に目を向ける。


 街の中央の噴水広場周辺に、ぞろぞろと人だかりができ始めていた。


 そんな人だかりを見た私は、全力で駆け出し始める。


 呼吸が荒れ、胸がざわつき、額に汗が走る。


 それでも衝動を抑えられない私は、大勢の人ごみをかき分けて、噴水の元に駆け寄った。


 そして私は、噴水の縁に腰かける一人の青年を目の当たりにする。


 青年の姿を見て、思わず足を止めた私は、自分の目を疑うと同時に、胸が高鳴ったのを感じる。


 その時、少年の頭の上に乗っているバディが、私に気が付くと、いつもの軽い口調で呟いた。


「あ、マーニャ」


 そんな彼女の言葉を聞くや否や、私は彼の胸元に顔をうずめるように飛びついた。


 両腕から、彼の温もりを感じる。頬で、彼の鼓動を感じる。背中に、彼の手を感じる。


 間違いなく、彼は生きている。


 反動で彼と一緒に噴水の中に落ちてしまったけど、気にしない。


 大勢に見られている恥ずかしさも、スカートが濡れてしまう不快感も、感じない。


 ただただ、私の心は喜びに満ち溢れた。そして、少しだけの怒りを覚える。


 そんな怒りを込めて、彼の胸から顔を起こした私は、数秒の間、彼を見つめた。


 顔を濡らしながら気恥ずかしそうに視線を逸らす青年。


 そんな彼の様子に耐え切れなくなった私は、彼の背中に回していた腕を首に回して、顔を近づける。


 そして、不意打ちの口づけをした。


 唇同士がそっと触れるような、優しい口づけ。


 きっと、彼は慌てて赤面するだろう。


 そう思っていた私は、予想に反して、目の前の彼が静かに涙を零したことに気が付く。


 真っ直ぐに私を見つめながら、大粒の涙を零す彼。


 思わず、両手を彼の頬に添えた私は、彼の涙を拭いながら尋ねた。


「ニッシュ……どうして泣いてるの?」


「あ……いや、違う。違うんだ。ただ、ミノーラ様が見せたくないって言ってた意味が、分かったから」


 そこで一旦言葉を区切った彼は、おもむろに私をギュッと抱きしめると、耳元で小さく呟いた。


「でも、もう大丈夫だ。もう、全部終わったんだって分かったから」


 まるで、自分自身に言い聞かせるようなウィーニッシュの言葉を聞いた私は、彼の身体を抱きしめ返しながら、告げる。


「うん。私もそう思う。でも、まだ私達は終わりじゃないよ。まだまだ、やらなくちゃいけないこととか、一緒にやりたいことが沢山あるんだから」


「そうだな。どうせだから、もっと成り上がってやろう」


 そうして抱きしめ合う私達に、周囲の人々から多くの歓声と拍手が浴びせかけられた。


 それらの歓声を聞いて、ようやく気恥ずかしさを取り戻した私は、いつの間にか噴水広場に来ていた仲間達の驚く顔を見て笑った。


 陽射しは暖かく、青い空に浮かぶ雲は穏やかで、水は冷たい。


 そんな世界で、私達は生きていくんだ。

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