第275話 ジゴク
真っ赤な部屋の中で、椅子に腰を下ろしている俺は、項垂れている重たい頭をゆっくりと起こした。
そうして、周囲の様子を見まわす。
俺が今いる場所は、地獄で初めて閻魔大王と対面した例の部屋だ。
目の前には巨大な机と椅子があり、閻魔大王が腰かけて何やら事務作業をしている。
右隣には俺が座っている物と同じ椅子が1つあり、シエルが座っていた。
その他にも、部屋の中には地獄らしい物が色々と置いてあったが、それらを観察する前に閻魔大王が口を開いた。
「目を醒ましたか」
「……えーっと、はい」
突然話しかけられたことで緊張した俺は、ぎこちなく応える。
対する閻魔大王は、右手で走らせていた羽ペンをペン立てに置くと、落としていた視線を俺達の方に上げた。
「貴様に割く時間はそれほど多くない。故に、手短に済ませるとしよう」
「ちょっと待ちなさいよ! あんた誰? ニッシュ、ここはどこなの!? 私たち、バーバリウスと戦ってたはずじゃないの!?」
その場を仕切ろうとする閻魔大王に、シエルが食って掛かる。
てっきり、隣にいるシエルはミノーラなんだと思い込み始めていた俺は、驚きを隠せなかった。
「え? シエル!? お前、シエルなのか!?」
「は? 何変なこと言ってんの? 当たり前でしょ?」
「いやいやいや、俺はてっきりミノーラなんだと思ってた」
「そんなことより、何がどうなってるわけ? 私達、バーバリウスの爆発に巻き込まれて……どうなったの? もしかして、死んだの?」
「ちょっと待ってくれ、俺も少し混乱してきた。なんでここにシエルが居るんだ? ここに来れるのは俺だけじゃないのか?」
「馬鹿なのか、自覚が無いのか。まぁ良い。貴様もようやく理解したらしい」
混乱する俺とシエルを置いてきぼりにするように、閻魔大王がそう告げる。
彼の言葉を聞いた俺達は、一度顔を見合わせた後、何かを話し始めようとする閻魔大王に注目した。
「早坂明。お前は既に、全てを理解しているはずだ。貴様がここにいる理由を。何が貴様を、ここに繋ぎ止めていたのかも」
「え? いや、それはどういう……?」
「見ただろう?」
疑問を呈する俺に対し、閻魔大王は短く、そして鋭く問いかけてきた。
そんな問いを聞いた俺は、ふと、今しがた見た記憶のことを思い出す。
それは、俺が早坂明として生き、そして死ぬまでの記憶。俺が自ら命を絶った、その理由。
思い出すだけでも、自己嫌悪と罪悪感に苛まれるその記憶を、俺は胸の内でゆっくり咀嚼すると、口を開いた。
「俺は、辛い状況から逃れるために、自らの命を絶ちました」
言いながら、俺は閻魔大王の言った言葉の意味を考える。
俺がここにいる理由と、何が俺をここに繋ぎ止めているのか。
単純に考えれば、自ら命を絶つという禁忌を犯したがために、俺はここにいる。
そして、そんな俺を地獄に繋ぎ止めているのは、他ならぬ閻魔大王だ。
『本当にそうなのか?』
頭の中で構築した理由に、俺は一抹の疑問を覚えた。
その疑問がどこから生み出されているのか、少し考えた俺は、ふと、記憶の中で最期の最期に見た光景を思い出す。
それは、病院の窓から飛び出し、落下している最中に見た光景。
廊下を歩く彼女の両親と、ベッドに横たわっていた彼女の姿。
そんな彼女と、俺は一瞬だけ目が合ったのだ。
それが何を意味するのか、分からないわけじゃない。
彼女は生還したんだ。緊急手術を受けている彼女を見て、もうだめだと判断した俺とは違い、全力で生きていたんだ。
あれだけのひどい仕打ちを受けたにもかかわらず、諦めず、生きたんだ。
なのに俺は、そんな彼女を、置き去りにした。
辛くて苦しくてきつくて、誰かの助けが必要だったのは、彼女のはずなのに。
後悔してもしきれない、自分のことが許せない。そんな罪悪感。
そんな考えに至った俺は、思わず口を噤んでしまった。
歯を食いしばり、少しずつ熱を帯び始める目頭を抑え込むために、目をギュッと閉じる。
と、そうして項垂れている俺の手を、誰かがそっと握った。
ふさふさで、慣れ親しんだその感触に、思わず目を開けた俺は、俺を見上げて来るシエルの姿を目にする。
「ニッシュ。大丈夫?」
心からの心配が込められた彼女の言葉を聞き、俺は思わず胸が熱くなった。
シエルは、俺のバディなんだ。
そんな事実を改めて思い返した俺は、大きく息を吐いて、自分の感情を落ち着かせる。
と、ここまで俺達の様子をずっと見ていた閻魔大王が、おもむろに口を開いた。
「ここは地獄。自らの罪を理解しない愚か者が、自らを獄するためにあるジゴク」
そこで一旦言葉を切った閻魔は、ゆっくりと首を横に振って見せる。
「貴様は全てを理解した。が、今こうしてここにいる。それは紋章に身を委ねたことが理由だ」
「紋章に……」
確かに俺は、鬼と化したバーバリウスとの戦いで窮地に追い込まれ、紋章の力を全力で使った。
ということは、どうなるんだろうか。
そんな疑問を俺が抱いた時、閻魔大王が呟いた。
「一歩遅かったな」
「え? それはどういう……」
呟いたと同時に、ゆっくりと椅子から立ち上がった閻魔大王は、のそのそと俺達の元に歩み寄ってくる。
「ちょ、閻魔大王様……もしかして」
「貴様は気づくのが一歩遅かったと言っているのだ」
「ニッシュ!? どういうこと!? 体が動かないんだけど!!」
「シエル!!」
歩み寄ってくる閻魔大王から逃げ出そうとする俺達は、しかし、身体が全く言うことを聞かないことに気が付いた。
何の抵抗もできないままに、鷲掴みにされた俺達は、ゆっくりと身体を持ち上げられる。
そんな俺達を見上げた閻魔大王は、その大きな口を開いたかと思うと、俺達を口の中に放り込んだ。
「嘘だろ!? 待ってくれ!! 閻魔大王!!」
動かない身体でもがきながら、叫んだ俺は、ゆっくりと閉じてゆく閻魔の口を見上げながら、暗闇の中に落ちていった。
一緒に放り込まれたシエルも、俺と同じようにもがいている。
大量の唾液と共に嚥下されてゆくのを感じた俺は、ゆっくりと薄れてゆく意識の中で、微かな光を見る。
その光が少しずつ近づいて来るのを全身で感じながら、俺は深い眠りに落ちたのだった。
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