第96話 穴の底
「そんなに知りたいのか? 少年」
浮かべていた笑みを消して、まじめな表情で問いかけてくるヴァンデンス。
そんな彼の視線を受けて、俺は妙なこっ恥ずかしさを感じ、俯き加減に呟いた。
「それは、まぁ。強くならないとだし」
「そうか、でもまぁ、とりあえずは今できることを確認しないと話にならないからな……。おっと、そこの角を右に曲がったら、大穴に出れるぞ」
話を一旦切ったヴァンデンスは、前方を指さしながら告げた。
しかし、暗すぎてよく見えない。
「そこの角って……こんな暗い中でどうして見えるのよ。私には角すら見えないわ」
「それがおじさんの特技だからかな。それもおいおい教えてやるよ」
シエルも俺と同じように見えなかったのだろう、驚きを含んだ文句を口にした。
対するヴァンデンスはというと、何でもないとばかりに、軽く言い放っている。
そんな彼の言葉を証明するかのように、俺達は丁字路に差し掛かった。
右と左に伸びている洞窟を見渡すと、確かに、右側からはうっすらと光が差し込んできている。
すぐさま右側に進路を切った俺たちは、程なくして狭い洞窟から抜け出すことに成功する。
窮屈な横穴と異なり、大きく開かれた縦穴は非常に壮大で、いつ見ても圧倒されてしまう。
「相変わらず、でっけぇ穴だよなぁ」
ぽつりと呟いた俺の言葉が、縦穴を行き交う気流に乗って、どこかへと飛ばされていく。
この穴は、どれだけの人間の声を吸い込んでいったのだろう。
ふと抱いた疑問に、俺がホッとため息を吐いた時、ヴァンデンスがゆっくり浮上を始めながら語り掛けてくる。
「ここからは飛んで行こうか」
「おう!」
彼の後に続くように、ジップ・ラインを描いた俺は、躊躇することなく飛び立った。
頭上から吹き付けてくる下降気流が心地いい。
まるで、顔面に扇風機の風を浴びているようだ。
ここまで走って、ほてった身体を冷やすにはもってこいである。
「ところで少年、君はこの穴の底に何があるのか、知っているのかい?」
「え? 穴の底? いや、それは知らないなぁ」
俺はそう言いながら、前回の記憶を思い出していた。
奴隷としてダンジョンで働いていた5年間。一度たりとも穴の底には行ったことがない。
というか、底まで降りたことのある人の話を、聞いたことすらない。
ヴァンデンスは、行ったことがあるのだろうか?
「そうか……」
どことなく言い淀むヴァンデンスに、俺は抱いた疑問をぶつけた。
「何があるんだ? どうせ師匠は知ってんだろ?」
「んー……それはさすがにまだ早いかな。少なくとも、リンクを使いこなせるようになるまで、行くのは避けた方が良い。いいかい? くれぐれも一人で行くなよ?」
「そんないい方したら、ニッシュは逆に行きたくなるんじゃない? 先に言っとくわ、私は嫌だからね」
「分かってるって、絶対に行かねぇよ」
茶化しながらも明確に拒否してくるシエルに、賛同の意を示しながら、俺は考えた。
ヴァンデンスがやめた方が良いというのなら、本当にやめた方が良いのだろう。
しかし、逆に言えば、リンクを使いこなせるようになれば、行っても良いってことだよな?
いつになるかはわからないけど……。
「よろしい。で、そろそろ上層に近づいてるわけだけど、少年の助けたい人はどこにいるのかな?」
考え込みそうになる頭を、何とか現実に引き戻した俺は、ヴァンデンスの問いかけに応えるために辺りを見渡す。
縦穴の壁面に出っ張っている細い道。
そのいくつかは、何度も見たことのあるものだ。
それらの中から、一番初めに通った道筋を見つけ出した俺は、指をさしながら告げた。
「え~っと……あそこだ! あの横穴に入った先に、ゴブリンとかトロールが居るんだ」
「ふん。すごく今更なんだが、少年のその口ぶりは、まるでこの先に何が起きるのかわかっているようだけど……」
突然の問いかけに、俺は一瞬戸惑いながらも、思っていることをそのまま口にする。
「え? あぁ、そうだな。けどまぁ、師匠に隠す必要はないだろ?」
あっけらかんと答えた俺の様子に拍子抜けしたのか、ヴァンデンスは若干苦笑いを浮かべながら告げた。
「……まぁ、例の名前が出てきた時から、なんとなく察してはいたけど……さては君も、おじさんと同じようなものを見るのか?」
例の名前、というのは、ミノーラのことだろう。
同じものを見ているわけではないはずだけど、とりあえず説明が長くなりそうなので、俺は一旦、適当に返事をしておくことにした。
「似たようなもんかな。たぶん」
「似たようなもんかしら?」
俺の答を聞いたシエルが、疑問符を浮かべながら呟いた。
そのせいだろうか、一瞬俺たちの中に沈黙が走る。
なんか、気まずい。
沈黙のまま目標の横穴前に降り立った俺たちは、会話することなく横穴へと入っていった。
しばらく歩いた先に、いつか見た、不思議な空間が現れる。
洞穴の奥であるにもかかわらず、陽が射しているように明るい空間。
開けた空間と明るい天井。
眼前に広がるその美しい光景を前に、俺達は相変わらず沈黙していた。
と、そんな空気を振り払おうとしてくれたのか、ヴァンデンスが囁きかけてくる。
「よし。この先だな。で、どうする? その探し人が来るのを待つのか?」
視線の先には、ゴブリンが数匹、焚火を囲んで何やら食事を摂っている。
俺達はというと、この空間の入り口付近にある大きめの茂みの中に身を隠している。
周囲の様子を見るに、戦闘があった様子は無いので、まだマーニャ達はここを訪れてはいないだろう。
「あれがゴブリン……? ずいぶんと弱そうじゃない?」
俺の頭上でそう呟くシエル。
確かに俺もそう思いたいが、現実はそう簡単にはいかないのだ。
「5歳の子供にとっては、十分な脅威なんだよ……とりあえず、選択肢は二択だよな……」
今のうちに危険そうなモンスターを排除しておくか。
マーニャ達がここに来るのを待つか。
どちらがより最適な選択肢なのか、考えようとした俺は、ふと気が付いた。
「っていうか、俺がトルテを気絶させたから、今日は来ない可能性もある訳か」
そんな俺の呟きを聞いたヴァンデンスが、肩を竦めながら言う。
「それじゃあ、誰も見ていないうちに倒しておくことにしようか」
「それが良いわ! ニッシュ、あんな奴ら、すぐに片づけるわよ!」
元気よく告げたシエルにつられて、俺は勢いよく茂みから飛び出すと、両手をゴブリンたちに向けて、魔法を描いたのだった。
**********************
今日はいつもと違う。
私はそう思った。
いつもなら、朝、私を起こしに来るのはウィルキンス兄弟という五つ子の男達。
だけど、今日は違う。
見たことも聞いたこともない、変な男が私達を起こしに来た。
そして、その男はこう言ったの。
「トルテ様は少々用事ができたため、今日は俺がお前らの引率を務める」
正直、私は嬉しかった。
いつも私たち奴隷をいたぶるトルテが居ないことが、嬉しかった。
だけど同時に、怖かった。
全然知らないこの男が、優しいとは限らないから。
だけどそれ以上に、今目の前に広がっている光景は、私の身体を恐怖で震え上がらせる。
「なん……だ、これは」
引率に来ていた男もまた、驚きと恐怖で震え上がっているみたい。
それもそのはず。
だって、今日私たちが狩るはずだったゴブリン達が、見るも無残な姿になって、転がってたの。
それだけじゃない。
周囲に生い茂っていたであろう木々や草花は、まるで雷にでも打たれたように真っ黒こげになっていたり。
不気味なトロールの死体が巨大な木々をなぎ倒して倒れこんでいたり。
明らかに普通ではない何かが、ここで暴れたのだと分かるような痕跡が、いたるところに残ってる。
一緒に着いて来ていた大人の奴隷たちも、口々に「こんなの見たことない」と言ってる。
怖い。
私の計り知れない何かが、ダンジョンにいる。
同じようなことを、この場の全員が感じてるはず。
出来ることなら、この惨状を作り上げた化け物には、出会いたくない。
私がそう思うことに、どんな不思議があるだろう。
「おい、マーニャ! 早くしろ! 今日はもう引き上げるってよ!」
背後から声を掛けられた私は、すぐに踵を返すと、足を全力で動かした。
逃げるように。
この時の私は……齢5歳のマーニャは知らなかったのだ。
この物語が、私や彼、そして多くの人々にとって、血生臭くて絶え間ない苦痛を伴うお話だということを。
だけど安心してほしい。
少なくともその先を歩く今の私は、大きな幸せを手にしている。
紛れもない、ハッピーエンドなのだから。
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