第97話 大きな三角形の耳

 俺の誕生日から、一週間が過ぎようとしていた。


 前回におけるこの一週間は、とても辛かったことだけを覚えている。


 何しろ、奴隷になりたての一週間だったのだ。


 生活の急激な変化に、肉体的にも精神的にも追いつめられた時期だ。


 もう二度と、同じような思いはしたくない。


 だからこそ俺たちは、この一週間できうる限りの準備を進めてきた。


 まず行なったのは、現状の確認。


 俺とシエルは前回の記憶を引き継いでおり、俺に関しては、地獄でのことも覚えている。


 注意するべきことは、紋章の力に頼って身を委ねてしまうと、俺は地獄の獄卒にされてしまうということ。


 最悪なことに、そんなことが既に7回繰り返されており、今が8回目で、これが最後だということ。


 唯一救いがあったとすれば、ミノーラという神が地獄に干渉して、助けようとしてくれたこと。


 そしておそらく、今俺たちが記憶を取り戻すことに成功しているのは、ミノーラのおかげらしい。


 これは非常に強力な助け舟だ。


 まず第一に、魔法を使える。


 それすなわち、ハウンズなどの脅威に対して、身を守る術を獲得できたということだ。


 次に、将来のことが少しだけ分かるということ。


 既に俺や母さんがハウンズから逃げ出していることから、完全に同じ未来が訪れるわけじゃない。


 それでも、モノポリーっていうハウンズに敵対する集団や、アルマやヴィヴィの存在、そして魔法騎士の存在を、既に知ることができている。


 これらの情報は、俺の目的を達成するためには必要不可欠な情報だ。


 使えるものは全力で使おう。


 そうでもしなければ、バーバリウスに勝つことなんて、到底できないだろう。


 更にもう二つ、記憶を引き継いだことで、俺にできることとやるべきことが分かった。


 出来ることとは、バディとのリンクだ。


 ヴァンデンスいわく、ある程度魔法を使いこなせるようにならないと、身につけることができないらしい。


 なんでも、バディとの強い繋がりや絆? のような物が必要だって話だ。


 これについては、難なく習得することができた。


 案外俺って、魔法の才能あるのかもしれない。


 そして、やるべきことについて。


 これは俺しか覚えていなかった話だが、地獄でミノーラが言っていたのだ。


『欠片を探してください! きっと、あなたが生きた記憶の欠片が、あの世界のどこかにありますから!』


 記憶の欠片。


 それがどんなものを指し示すのか、ミノーラの言葉だけでは分かりようがない。


 けど、俺は知っている。


 前回の記憶の中で、それらしき記憶が、確かにあるのだ。


 それは、ゼネヒットで暴れる焔幻獣ラージュとの戦闘のさなか。


 無残にも焼き殺されてしまった一人の女性が落とした、仮面の欠片だ。


 あれを拾った瞬間、見たことのない女性の姿が脳裏に浮かんだのだ。


 もしあれが、俺が忘れてしまっていた記憶なのだとしたら……。


 ミノーラの言う、この世界で俺が生きた記憶の欠片と呼ぶべきものではないだろうか。


 少なくとも、あの仮面を触った時に見た記憶は、とても断片的だったため、完全に取り戻せたようには思えない。


 つまり、俺がやるべきことは単純明快。


 モノポリーの仮面の女、メアリーを見つけ出して、その仮面に触れること。


 そうすれば、何か一つ、新しい情報を手に入れることができるかもしれない。


「ニッシュ? 何考えてるわけ? そろそろ集中しなさいよ!」


「……悪い」


 頭の中に響き渡るシエルの言葉を聞いた俺は、小さく呟くと、目の前の光景に視線を移した。


 薄い月明かりに照らされた静かな街並み。


 ゼネヒットの街を囲む城壁の縁に立っている俺は、眼下の光景を見下ろして、大きく深呼吸をする。


 その瞬間、背筋に走ったこそばゆい感覚に突き動かされるように、俺は城壁から飛び降りた。


「降りたぞ! 行け! 捕まえろ!」


 城壁の上から聞こえてくるそんな声を、俺はで聞き流しながら、四肢で地面に着地する。


 まるで猫のように音もなく地面に着地した俺は、躊躇することなく住居の屋根に飛び上がると、足音を消しながら駆けだした。


 夜のはずなのに、周囲が非常に明るく見える。


 それもこれも、シエルとのリンクのおかげだろうか。


「まさかニッシュ達が、そんなに暗い世界で生きてたなんて、私知らなかったわ」


「俺もビックリだよ。まさかシエルが、こんなに鋭い夜目と耳を持ってたなんて。あ、尻尾も重要だよな」


「あんた、尻尾については馬鹿にしてんでしょ? 可愛いじゃない! きっとこの姿を見たら、マーニャも惚れちゃうに決まってるわ!」


「馬鹿にしてんのはそっちだろ!?」


 背後から迫りくる足音と、大量の松明。


 それらを確かに認知した俺は、空中で体を丸めながら、屋根の上から飛び降りた。


 その際、俺の腰辺りから伸びているリスのような尻尾の先端に、魔法を発動させる。


 着地と同時に、尻尾を地面に叩きつけた俺は、先端に発動していたポイントジップの衝撃で、大きく跳躍した。


 その勢いのまま、追いかけてきていた兵隊たちの頭上を飛び越えた俺は、先ほどと同じように着地を決め、走り続ける。


「よし、これだけ引きつけられたら、上出来だよな」


「そうね、そろそろ向かいましょう!」


 俺を捕まえようと前後から群がってくる兵隊たちを、素早い動きでかく乱していた俺は、シエルの声を合図に、身構えた。


 そうして、再び尻尾に魔法を発動させる。


 ただし、今回発動した魔法はポイントジップではない。


 ふさふさとした尻尾の毛が、一本一本がピンと張りつめたかと思うと、バチバチという音を立て始める。


 時折青白い光を放つ尻尾を、大きく振り回しながら、俺は兵隊たちのど真ん中へと突っ込んだ。


 途端、バリバリという音と激しい閃光が辺りを包んでゆく。


 それらの音と光を生み出しながら、兵隊たちの間を駆け抜けた俺は、全員が地面に突っ伏して動かなくなったことを確認して、一息ついた。


「ふぅ……これでよし。そういえば、技名は何にしようかな。スタン・テイル? スタンニング・テイルとかテイル・スタンガンも良いな」


「なんでもいいわよ」


「分かって無いなぁ、シエル。こういうのは、ちゃんとカッコいい名前を付けた方が、良いに決まってるだろ?」


「それよりも、早く向かうわよ。あの娘を助けるんでしょ?」


「そうだな」


 そんな言葉を交わした俺たちは、間髪入れずに走り出したのだった。

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