第86話 取り返し

 焔幻獣ラージュの攻撃によって、黒焦げになってしまった一直線の焦げ跡を走りながら、俺は状況を観察する。


 街の中心から少し北に移動したらしいラージュが、何者かと戦闘を繰り広げている。


 時々、ラージュ目掛けて巨大な瓦礫が飛んでいく様を見る限り、アーゼンが関わっているのは間違いない。


 ということは、今戦闘している面々は、バーバリウスが離脱してしまったことをすでに知っているだろう。


 それを踏まえて考えると、戦ってるのはモノポリーのメンバーか?


 思考を巡らせながら、同時にジップラインを描いた俺は、躊躇することなく空へと舞い上がった。


 なるべくラージュに見つからずに近寄りたいが、それ以上に、今は仲間を探したほうが良い。


「とりあえず、モノポリーの奴らと合流した方が良いな。それと、師匠も。いや、師匠はアルマを避難させに向かってるところか……そうなると、俺達だけで何とかしないとな」


「ニッシュ、あそこ見て! あれって、逃げ遅れた人達じゃない?」


「どこだ?」


 俺の問いかけに、シエルが左前方の地面を指さす。


 黒焦げになった家屋の残骸。


 そこには数人の人だかりができていて、なにやら瓦礫を動かそうとしているようだった。


 今の状況から考えると、彼らに構っている時間は無い。


 しかし、俺の中の義憤が、彼らの手助けをするべきだと訴えかけてくる。


 一瞬の戸惑いの後、ジップラインを解除した俺は、ポイントジップで落下の軌道を修正すると、彼らの傍に着地する。


 突然現れた俺に驚いた様子の人々。そんな彼らを無視した俺は、崩れている瓦礫を持ち上げた。


 持ち上げた瓦礫の奥に小さな空間があったようで、そこから二人の人物が這い出して来る。


 それは、幼い子供を抱きかかえた女性。


 恐らく母親なのだろう。


 全身煤だらけになっているようだが、命に支障はないようだ。


 這い出してきた女性を、周囲にいた男たちが支え、泣きながら喜びの声を上げている。


 一瞬その様子を呆けたまま見ていた俺は、思い出したようにその場を去ろうとした。


 その時。


「あんたが、ウィーニッシュか?」


 喜びに沸いていた男達の中から、一人の男が歩み出ると、俺に向けて問い掛けてくる。


「え? 俺のことを知ってるのか?」


「そりゃあ知ってるだろ。この街の人間なら、お前のことを誰だって知ってる」


「それはどういう?」


「これも全部、お前らの仕業なんだろ?」


 周囲を指さした男は、低い声でそう告げた。


 その問いかけに、俺は何も言うことができない。


「お前らがハウンズに逆らったりするから、街がこんな目に合うんだろ!? なぁ! 答えろよ!」


 黙り込む俺を睨みつけた男は、苛立ちをぶつけるように叫び出した。


 そんな男を、周囲の男たちがなだめる。


 が、誰一人として、男の言葉を取り消したりすることはなかった。


 まぁ、その場の全員が同じように考えているということだろう。


「すまない」


 俺は揉めている男たちに短く告げると、手早くジップラインを発動して、ラージュのもとに出発した。


 彼らを助けに行くべきではなかったのだろうか。


 焔幻獣ラージュを作戦に組み込むべきではなかったのだろうか。


 そもそも、アルマの救出を計画したこと自体が、間違っていたのか。


 視界の中心で暴れているラージュに少しずつ近づくにつれて、俺の中の疑念が、より激しく暴れ出していった。


 燃え盛る建物や赤くドロドロに溶け始めている地面。


 周辺の地面を駆けずり回って、何とかラージュを退治しようとしているアーゼン達。


 それらの光景を見ているうちに、俺は強烈な虚しさを抱いてしまった。


 理由は明確、先ほどの男に言われた言葉だ。


 確固たる覚悟を持って、アルマを助けるために臨んだ今回の作戦に、俺は疑問を抱いてしまった。


 できることなら、全てやり直したい。


 もっと上手にできる方法があったのではないだろうか。


 そんなことを考えている場合ではないことは理解しつつも、俺の頭の中はもう、取り返しのつかないほどの後悔に埋め尽くされている。


「ニッシュ! ニッシュ!? ちょっと、聞いてる!?」


「え? あ、悪い。ちょっと考え事してた」


「もう、こんな時にどんな考え事してるのよ。それより、これより先に近づくのは危ないわ。もうラージュにも見つかってるし、熱気もすごいし。とりあえず、どこかに降りて、雨が降るのを待つわよ」


「そうだな」


 シエルの提案を呑んだ俺は、眼下にちょうどいい塩梅の瓦礫を見つけると、その陰に降り立つ。


 肌が焼けるほど熱い空気を深く吸い込み、気分を落ち着かせようとした俺は、その熱気にむせ返ってしまう。


 せき込みつつ、瓦礫の影からラージュの様子を伺った俺は、暴れまわるその姿にため息を吐いた。


「ニッシュ。さっきからどうしたのよ? あんたらしくないわよ?」


「そりゃあ落ち込むだろ。あれだけラージュが暴れてるんだ。この被害はもう、取り返しがつかない」


「だからなに? そうなるかもしれない可能性は分かったうえで、作戦を実行したんじゃない!」


「それはそうなんだけど……計画するのと実際に見るのとじゃ、全然違うだろ?」


「はぁ……あんたもしかして、さっきの男達に言われたことを気にしてるわけ?」


「……そうだけど?」


 力ない俺の言葉を聞いたシエルは、深いため息を吐いたかと思うと、突然俺の眼前に降りてきた。


 そして、俺の顔を両手でがっしりと掴むと、浴びせかけるように言葉を並べだす。


「だとしたら、それは考えすぎよ。あたし達はただ、ハウンズに利用されることに抵抗しただけでしょ? それにあいつらが巻き込まれてしまったことは申し訳ないけど、根本的に悪いのはバーバリウスじゃん! それを、抵抗せずに大人しくしとけって言われる筋合いはないわよ!」


「それは、どうなんだ?」


 乱暴なシエルの論理に苦言を呈す俺。


 しかし、俺の言葉を鼻息で一蹴した彼女は、言葉を続けた。


「とにかく! あたしはどこまでもあんたの味方だから! いい? いまさら辞めるなんて、許されないんだからね!?」


 その言葉を聞いた俺は、暴れまわっていた数々の思いを頭の片隅に追いやった。


 シエルの言うとおりだ。


 ここまで被害が出てしまった以上、アルマの救出は必ず達成しなければならない。


 達成するためには、俺が生き残ることが必要条件に含まれる。


「やるしかないな」


 俺はそう呟くと、両手を前に突き出してラインを思い描いた。


 それらのラインは、俺を中心とした巨大な竜巻として、遥か上空まで伸びてゆく。


 その竜巻は、今の俺が思い描ける限りで最も大きなものだろう。


 躊躇することなく魔法を発動した俺は、ラインに沿って風が渦巻いてゆくのを確認する。


 これで、周囲を覆っている熱気に舞い上げられていた微細な塵や埃が、風に乗ってアンナのいる上空に向かうはずだ。


 あとは、アンナが上空の空気を急激に冷やすことで、それらの塵や埃を核とした雨粒ができ、ゼネヒットの街に雨が降るだろう。


 そうしたら、地上にいるメンバーでラージュを封印する。


 やるべきことを再確認した俺は、竜巻を維持したまま、空を睨みつけたのだった。

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