第87話 いささか遅すぎた
焔幻獣ラージュは、あらゆる手段を使って敵対者への攻撃を繰り出していた。
遠方から瓦礫を飛ばして攻撃する者には、口から放つ火弾で応戦する。
その隙を突くように、足元や空中から氷魔法と風魔法を繰り出す者には、全身の体毛を鞭のように駆使して反撃する。
多数を相手にひるむことなく戦い続けているその様子は、まさに戦略兵器としての真価を発揮しているといえるだろう。
迎撃をこなしつつ街の中を歩くだけで、近くの建物が燃え出してしまうのだ。
守る側の人間としては、非常に厄介な存在だといえるだろう。
「そろそろやばいよな……早く雨が降ってくれないと」
そう呟いた俺は、暴れているラージュを遠巻きに眺めた後、空へと視線を移した。
ラージュの近くにたどり着いた俺が、竜巻で塵や埃を巻き上げ始めたのは十数分前。
その間に、何度か移動を繰り返しながら、何度も竜巻を作り上げては解除を繰り返している。
幸いなことに、ゼネヒットの上空には少しずつ黒い雨雲が出来上がりつつあるのだが、このままでは雲が出来上がるより前に街が滅びてしまう。
「ニッシュ! 間に合うの!? ねぇ、これやばいんじゃない?」
「分かってる! でも、俺だけじゃこれが限界だ。ラージュの生み出した熱気で上昇気流自体はあるし、俺が巻き上げた塵も問題なく機能してるけど……問題があるとすれば、空の方か?」
「空? ってことは、アンナがさぼってるってこと?」
「いや、それはさすがにないだろ。あるとすれば、アンナの氷魔法よりも、ラージュの放つ熱気が強いって感じかな」
「どうすればいいのよ!?」
解決策は簡単だ。氷魔法を使用できる者にアンナの手伝いをしてもらう。
それだけなのだが、今それができる人間が、どこにいるのだろうか。
氷魔法を得意とする仮面の女、メアリー・エリオットが手伝ってくれればいいのだが、そう簡単にはいかないだろう。
何しろ彼女は今、ラージュと戦闘しているみたいなのだ。
時折ラージュに向けて放たれている氷魔法がその証拠。
そんな彼女を戦闘から離脱させてしまえば、拮抗している今の状況が崩れかねない。
「情報が少なすぎる……せめて、今無事なメンバーが誰なのか分かれば良いんだけど……」
「私が見てこようか?」
シエルの提案を断った俺は、発生させていた竜巻を解除し、移動を開始した。
ラージュを中心に時計周りに数十メートル進んでは、竜巻を発生させる。
そんなことを繰り返して、そろそろ一周になろうかという場所で、再び竜巻を発生させようとした俺は、誰かが頭上から呼びかけてきたことに気が付いた。
「お~い。少年、何してんだ?」
「師匠!? こんなところで何を!? もうアルマは逃がしたのか?」
相変わらず飄々とした態度で現れたヴァンデンスは、ゆっくりと俺の傍に降り立つと、にっこりと微笑みを浮かべた。
状況にそぐわない彼の態度に困惑しつつ、俺はヴァンデンスに向き合う。
「少年、少し落ち着きなさい。アルマは無事だし、君の作戦も上手くいく。おじさんが保証するよ」
「どんな根拠があって、保証できるんだよ……まぁいいや、師匠、良いところに来た! できれば上空に行って氷魔法で空気を冷やしてきてほしいんだけど」
「だから落ち着きなって。それに言っただろう? 君の作戦は上手くいく。何せ、おじさんがもう手を打ってきたからね」
「それはどういう……!?」
ヴァンデンスに言葉の意味を問いただそうとした俺は、頬に感じた一つの雫に驚き、空を見上げた。
いつの間にかゼネヒットの街を覆うほど広がっている雨雲から、パラパラと雨が降り出している。
顔にかかる雨粒を、左手でぬぐい取った俺は、ホッと安堵のため息を吐いた。
「それにしても、この作戦をよく考えついたね。流石、おじさんの弟子だ」
「まぁな……いやそんなことより、雨が降り出したなら、もうこんなことしてる場合じゃない! 師匠! ラージュのところに行こう!」
俺はそう叫ぶと、焔幻獣ラージュの方へと目を向けた。
雨脚が強まる中、明らかに火力が衰えているラージュは、アーゼン達の猛攻に苦戦し始めている。
そんなラージュの様子に追従するように、街に広がっていた火の海も、一斉に弱まっていた。
この分なら、自分たちだけでラージュを封印することができるだろう。場合によっては、倒しきることもできるかもしれない。
膨れ上がって来る希望や期待に、俺が胸を躍らせていたまさにその時。
背後に立っていたヴァンデンスが、短く告げた。
「悪いけど、ここからは何も手伝えない。少年だけで、なんとかするんだ」
「は?」
耳に入って来たその言葉に茫然とした俺は、思わず足を止め、ヴァンデンスを振り返った。
顔を見合わせたヴァンデンスは、申し訳なさそうにするでもなく、肩を竦めてみせる。
「ちょっと! こんな時に冗談言ってる場合!? せっかくあいつを弱らせることができたんだから、全員で倒すべきでしょ!?」
憤慨したシエルが、ヴァンデンスに詰め寄ってそんなことを叫ぶが、当の本人は苦笑いをするだけだった。
「師匠? それはいったい、どういうことなんだ?」
「まぁ、たぶんだけど、少年もすぐにわかると思うよ。今のおじさんにできることは、また君に会えることを願うくらいかなぁ」
「……意味分かんねぇ」
釈然としないヴァンデンスの言葉に、俺は妙な胸騒ぎを覚えた。
彼が告げた言葉の裏側に、何か、俺達が知り得ない情報があるように思えるのだ。
その情報が何なのか。そんな短絡的なことは、この際どうでもいい。
むしろ気になるのは、その情報に隠された意図のようなもの……。
ヴァンデンスは何を望んでいる? 俺に何をさせたい?
フッと湧き上がったそれらの疑問を認識した俺は、ふと思った。
それはまるで、何かの試験のようではないか。と。
「ニッシュ! もういいわよ! さっさと行きましょ! こんなところで時間を無駄にできないわ!」
深い思考に沈んでいきそうになった俺の意識を、シエルが呼び戻してくれる。
気を取り直した俺は、キッとヴァンデンスを一瞥した後、踵を返して走り出した。
とにかく今は、目先の問題を片づけることが先決だ。
「シエル、飛んでいくぞ! 掴まってろ!」
「分かったわ!」
言うと同時に、空へと延びるジップラインを描いた俺は、いつも通り上昇を始めた。
降りしきる雨は、熱くなった地面で弾け、その熱を奪ってゆく。
そんな深くて鈍い音を足元に聞きながら、俺たちはラージュの元を目指す。
アーゼンの投げる瓦礫と、メアリーの放つ氷の矢と、クリュエルの繰り出す風の刃が、弱り切ったラージュに襲い掛かっていた。
身に纏っていた光と熱気はどこへ行ってしまったのか、まるで湿気た木炭のようになってしまったラージュが、その場に倒れこんでしまう。
そんな様を空から見下ろしていた俺は、躊躇することなくラージュの傍へと着地した。
ほぼ同じ頃、アーゼン達もそこへやってくると、互いに顔を見合わせながら、ラージュを取り囲んでいく。
ここまで、特に何事もない。
ラージュの身体を俺やアーゼンが抑え、逃げ出さないようにした状態で、メアリーが氷魔法を発動する。
足先から凍り始めたラージュの姿を眺めていた俺はふと思う。
先ほどのヴァンデンスの言葉は何だったのか、と。
そして、もう少しで腰のあたりまで凍り付いてしまうという時になって、俺は思い出していた。
少し前に、俺が実際に目にした光景。
東の森でサラマンダーと戦った時の光景。
結論から言えば、俺がそのことを思い出すのは、いささか遅すぎたと言うべきだろう。
直後、ラージュの身体が激しく明滅し、辺りはまばゆい光に包まれたのだった。
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