第66話 違和感

「上! 追って来てるわよ!」


 路地裏を走る俺の肩の上で、シエルが叫ぶ。


 とは言え、悠長に後ろを振り返っている暇は、残念ながら与えてくれないようだ。


 狭い路地を塞ぐいくつものバリケードに加え、トルテが追撃を仕掛けてくる。


 背後から飛んでくるナイフや石を、ポイントジップを駆使して避けながら、俺はひたすら前進する。


 俺の方向感覚が狂っていなければ、進んでいる方角は間違いなく南。すなわち、南門のある方角だ。


 出来れば大きな路地に出たいが、トルテが悉く邪魔をしてくる。


 そんなトルテが俺達を未だに捕まえれていないのは、ひとえに、モノポリーのお陰だろう。


 屋根の上で見張をしていた構成員たちが、背後の方へと走って行くのだ。


 哀しい事に、数秒後には悲鳴が帰って来るのだが、今は彼らに構っている余裕がない。


「ニッシュ! そこから左に抜けれるわ!」


「よし! ちゃんと掴まってろよ!」


 積まれている木箱を軽々と飛び越えながらラインを描いた俺は、直後、右足で壁を蹴りながら魔法を発動した。


 路地よりも更に細い建物の隙間を、掻い潜ってゆくラインに身を任せ、俺の身体はついに大通りへと到達する。


 しかし、そこがゴールではない。


 路地に出た俺は一旦ジップラインを解除すると、立て続けにラインを描いた。


 頭から地面に突っ込むような体勢から、無理やり足を地面に落とし込み、地面との摩擦でブレーキを掛ける。


 足裏は痛むが、なんとか停止することに成功した俺は、間髪入れずに、左側へと大きく跳躍し、屋根の上に目を向ける。


 俺を見下ろしながら並走するトルテが、剣を構えてこちらに狙いを定めている。


 そんなトルテの周囲には、鈍く光るナイフが数本、風に舞うように浮かんでいた。


「そろそろ反撃させてもらうぞ!」


 今にも攻撃を仕掛けてきそうなトルテに向け、俺はそう叫ぶと、右手をトルテに向けて伸ばした。


 同時に、トルテも構えていた剣を振り払い、魔法を発動させたようで、浮かんでいたナイフが全て、俺目掛けて飛んでくる。


 直後、俺の放ったジップラインは、近くにあったバリケードの中から幾つものガラクタを巻き込むと、四方からトルテに迫ってゆく。


 その様子を空中で確認した俺は、一直線に迫り来るナイフを避けるため、左手を前に伸ばし、ジップラインを発動させた。


 発動と同時に、俺は身体が前方に引っ張られる感覚を覚え、安堵する。


 少しずつ高度を下げながら、前進しよう。そして、もう一度走れば、取り敢えずの距離は取れそうだ。


 そう考えていた俺は、唐突に訪れた浮遊感に、意表を突かれる。


「なっ!?」


 驚きのあまり、声を上げてしまった俺は、似たような感覚を思い出しながら地面に落下してしまう。


 ゴロゴロと転がって衝撃を逃がしつつ、体勢を立て直した俺は、同じく俺の攻撃を全ていなして見せたトルテを目を合わせた。


「ニッシュ、大丈夫? 今のって」


「あぁ、あの時の鳥の刺客と同じだ。ってことはやっぱり、ジップラインは風魔法に弱いみたいだな」


 トルテが放ったナイフは全て避けることが出来たものの、逃げるために描いていたジップラインが、ナイフを乗せていた風魔法に打ち消されてしまった。


 理屈を考えれば、そういう事なのだろう。


「厄介だなぁ」


 服に付着した砂ぼこりを叩き落としながら、俺は呟く。


 モノポリーが俺に求めた条件の一つが、トルテを殺すことなのだ。


 相性としてはあまり良いとは言えない相手を、今の俺が倒すことが出来るだろうか。


「まぁ、対処法が無い訳じゃないけど……!?」


 屋根の上から飛び降りたトルテを見ながら呟いた俺は、すぐに身構える。


 そんな俺を見たトルテは、ゆっくりと拍手をしながら、歩み寄ろうとしてくる。


「中々やるじゃないか。成長期と言うやつかな? まぁ、まだまだガキだってことには変わりないみたいだけどなぁ」


 ニヤッと笑みを浮かべるトルテ。


 そんな彼を睨みつけた俺は、ふと周囲の様子に気が付き、ため息を溢す。


 いつの間にか屋根の上に姿を現していたカーズたちが、酷く真剣な表情のまま、俺達のことを見下ろしているのだ。


 面倒くさそうなクリュエルとアーゼン、そしてメアリーもいる。


 姿が見えないゲイリーや部屋にいた老人は、別の場所にいるのだろうか?


 トルテもモノポリーの面々に気が付いた様子だが、不思議と焦りなどは見せなかった。


 それ程余裕があるのか、それとも、勝算があるのか。理由は良く分からない以上、警戒を続ける必要はあるだろう。


「遅かったな……何してたんだよ」


 トルテへの警戒は続けながら、そう問いかけた俺に、彼らが応えることは無かった。


 その代わり、俺を静かに見つめるカーズが短く告げる。


「約束だ。そいつを殺せ」


「は!? 今やれって?」


 驚きのあまり、声を上げてしまった俺は、カーズとトルテを何度も見比べてしまう。


 確かにそう言う約束ではあったが、こんな急な話だとは思っていなかった。


「ニッシュ、どうするの? 本当にこいつを殺すの?」


「どうするって、やるしかないだろ。問題は、やれるかどうかって方だ」


「そうね……」


 どこか腑に落ちないのか、シエルは短くそう告げると、黙り込んだ。


 とは言え、カーズとの約束を反故にする選択肢は、今の俺には無いだろう。


 元はと言えば、トルテに騙されて俺や母さんは奴隷に落ちたのだ。


 正直、それほど躊躇いは感じてはいない。


 意を決した俺は、眼前で剣を構えたトルテに向かって右腕を伸ばす。


 そうして、指先から伸びるラインを思い描き、いつも通り、魔法を発動した。


 途端、短い地響きと共に、足元の地面が隆起し始め、次々と土砂の槍が出現する。


 俺の足元から出現したそれらの槍は、互いに何度も交差しながら伸び続け、トルテの立っている場所を直撃した。


 当然、トルテもただ突っ立ているわけもなく、迫る槍を避けるために、右側に飛び退く。


 それを見越していた俺は、すぐに残していた左腕から伸びるラインを描き、ジップラインを発動させた。


 地面の中を這うラインが、体勢を崩しているトルテの直下から、飛び出してくる。


 そんな様を思い描いていた俺は、ふと、昨晩のことを思い出す。


 お前に殺されている。


 カーズに言われたその言葉が、俺の脳裏を反芻し、その響きに引き出されたかのように、様々な記憶が頭の中を駆け巡ってゆく。


 瞬間的にそれらの記憶を垣間見た俺は、咄嗟に魔法を解除してしまう。


 当然、トルテを貫くはずだった土砂の槍は現れず、伸びていた槍も、ボロボロと音を立てながら崩れて行く。


「ニッシュ、どうしたの?」


 突然脱力したように立ち尽くす俺に向けて、シエルが心配そうに声を掛けて来る。


 トルテもまた、訝しむように、俺を睨んでいた。


 そんな二人を無視して、俺は屋根の上に立つカーズを睨みつけ、告げたのだった。


「試したのか?」

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