第65話 渦巻く疑念

 カーズとの取引を終えた俺は、モノポリーから与えられたささやかな夕食を摂り、ボロボロなベッドで眠りについた。


 ベッドで眠ること自体が5年ぶりだった俺が、いつになく快眠できたことは言うまでも無い。


「……よく考えたら、無防備極まりないよな」


「そうね」


 自分の危機感の無さを憂いながら、俺は深いため息を吐いた。


 精神的にも肉体的にも、色々な意味で疲れていたのかもしれない。


 ベッドに腰かけ、床に付かない脚をぶらぶらと揺らしながら、そんな風に自分を慰めてみる。


「よし、こうして悩んでても仕方ないな。すぐにでも準備して、皆の所に戻るとするか」


 出来ればゼネヒットの様子を見て回りたいのだが、街の様子を考えると、そんな悠長なことをしている余裕はなさそうだ。


 今は何よりも、ヴィヴィを守るための防御を固め、アルマを助け出す準備を進めることが第一だ。


 取り敢えず、当面の間モノポリーの協力を取り付けることが出来たのは幸いだった。


 だが、油断しちゃいけない。


 協力すると見せかけて、二人を横取りしようと企んでいる可能性は充分に考えられるのだ。


 これと言った荷物も無い俺は、ベッドから飛び降りると、その足で部屋の扉へと向かう。


 扉を開けると、静かな廊下が左右に続いている。


 俺は廊下の静けさに少しばかり気味の悪さを覚えつつ、扉を出て右側に歩き出す。


「そう言えば、あのゲイリーっていう男を連れて行かなくちゃいけないのよね……どこに居るのかな?」


「さぁな……」


 シエルの言葉に短く反応しながら、俺はゲイリーの事を思い返していた。


 俺が暴走した時に殺害してしまった男の弟。


 そんな人間を俺の元に送り込んでくることは、確実に何らかの思惑があるだろう。


 シンプルに俺の命を狙っているのか、俺の弱みを握ることが狙いなのか。


 詳細は分からないが、気を付けるべき点が一つ増えたことは間違いない。


 思案に耽りながら廊下を歩いていた俺は、突き当りにある階段を降り、そのまま建物の外に出るため、正面にある玄関扉を開けた。


 俺達が居たこの建物は、元々宿屋として使われていたようで、表には破壊された吊看板の残骸が転がっている。


 そして、建物に面している通りには、武器を持った大勢の男達がいたるところに立っていた。


 バリケードの補強をしている者、屋根や櫓で見張りをしている者、奴隷と思わしき人々を引き連れて歩いている者。


 その様子は、比喩でもなんでもなく、俺に戦争を連想させるのに充分だった。


「まぁ、経験は無いんだけどな……」


「なにが?」


「いや、こっちの話だ。それより、早く向かおう。確か、こっちだったよな」


 昨晩歩いた道を思い出しながら歩き出した俺は、道行く人々となるべく目を合わせないように、意識的に視線を落としていた。


 そのおかげか、俺に対して注意を向けて来る人は誰もおらず、無事に目的の建物の前に辿り付く。


 カーズとの取引を行ったこの建物は、恐らく彼らの本拠地なのだろう。


 そう思い、少し躊躇いながら扉を開けた俺は、一歩踏み出す前に異変に気が付いた。


「……ん?」


「ニッシュ? どうしたの?」


「いや、なんか……」


 誰もいないような気がして。


 扉を開けたと同時に覚えた直感を、シエルに告げようとしたその時。


 俺の背後で猛烈な炸裂音が鳴り響いた。


 咄嗟に背後を振り返った俺は、そこに立っている男の姿に気が付き、すぐさま身構える。


「おいクソガキ、久しぶりだな。元気そうでなによりだ」


「トルテ……!?」


 空から落ちて来たのだろうか、道のど真ん中にできたクレーターの中心に、トルテが立っている。


 あの日からほとんど変わっていない。唯一変わっていることと言えば、左目に眼帯をしていることだろうか。


 そんな彼のすぐ後方には、半透明の羽を持った小さな人間型のバディが、フワフワと宙を舞っていた。


 彼らは俺とシエルを舐めるように凝視し、躊躇することなく腰の剣を抜き取った。


「元気なら、ちゃんと働かねぇとなぁ!」


 言うと同時に勢いよく跳躍したトルテは、一瞬で俺との間を詰め、左から右に横薙ぎの斬撃を繰り出した。


 俺はトルテが跳躍したと同時に建物の中に転がり込み、床を転がる。


「シエル!」


「分かってるわ!」


 トルテとの距離を取りながらラインを描いた俺は、肩にしがみついているシエルの答えを聞き、身構えた。


 扉からゆっくりと建物の中に入って来るトルテの様子を伺い、いつでも魔法を放てるようにする。


 そんな俺の様子を面白がるように、トルテは笑みを浮かべた。


「どうしたんだ? ほら、自慢の魔法とやらでやり返してみろよ」


 扉のすぐ傍でそう告げるトルテ。


 なぜこの男が俺の魔法のことを知っているのか、今は考えないことにする。


 それよりも今、気にするべきことはモノポリーのことだ。


 誰一人、一向に姿を見せないのは何故だ?


 もしかして、モノポリーの奴らに嵌められたのか?


 ……なぜ、トルテが俺の居場所を知っているんだ?


 頭の中で渦巻く疑念を振り払うように、俺は頭を振ると、余裕そうに立っているトルテに声を掛ける。


「俺はアンタと違って、自分の力を見せびらかすのはあまり好きじゃないんだよ。それより、その目はどうしたんだ? 昼寝してる間に、カラスにでも喰われたのか?」


「当たらずと言えども遠からず。喰われたのは、その通りだ。お前もあの方の恐ろしさは知っているだろ?」


 軽口を言って挑発しようとした俺の思惑を見透かしていたのか、トルテは顔色を変えることなく、眼帯を浮かして見せた。


 浮いた眼帯の下に見えたのは、ぼっかりとへこんでいる左の瞼。


 その様子に俺が思わずたじろいだその時、トルテが大きく踏み込んでくる。


「っ!?」


 一瞬反応が遅れそうになるものの、咄嗟に魔法を発動した俺は、描いていたラインの一つに右の拳を乗せる。


 合計10本描いていたラインのうち、9本はその辺にあった家具を通過して、トルテの前方に伸ばしておいた。


 これで、少しだけでも足止めが出来るだろう。


 その間に踵を返した俺は、右の拳をラインに乗せて、建物の裏口の方へと駆ける。


 裏口の方にある壁に向かって走った俺は、右腕に全力を詰め込んで、その壁をぶん殴った。


 激しい衝撃と音を伴って崩れた壁を、俺は構うことなく通過する。


 壁を超えた先は、薄暗い路地裏。


 勢い余って前のめりに転がりそうになりながらも、何とか駆け続けた俺は、そのまま路地を走り出したのだった。

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