第56話 歪む視界の中で
仮面の女を視界で捉えた瞬間、俺は躊躇することなく女の眼前に飛び込んでいた。
それを予期していたかのように、仮面の女も動き出す。
周囲に生い茂っていた草木をそっと撫でながら左の方に歩き出す女。
その口元には、薄っすらと笑みが浮かんでおり、非常に不気味だ。
背筋に冷たいものを感じながらも、俺は女の行動の意味を探った。
彼女に触れられた草木が、ピキピキと言う音を立てながら凍り付き始めて居る。
見ているだけでも嫌な記憶を思い出してしまった俺は、間髪入れずに背後に向かって叫んでいた。
「皆! すぐに俺の後ろに隠れろ! この女はマーニャをあんな風にした張本人だ!」
俺の言葉を聞いた皆は、すぐさま事態を理解したらしく、息を呑みながら俺の背後に下がり始める。
もし仮に、この女の手によって誰かが氷漬けにされてしまっても、アルマの助けを借りれば、何とか治すことは可能だろう。
しかし、そんなことをすれば、目の前の女が興味を示さないわけが無い。
猶予があるとすれば、一回だけだ。
そんなことを考えながら、改めて眼前の女を睨みつけた俺は、彼女の視線を見て、自身の考えの浅さに気が付いた。
「今日の
「……なぜ知ってる?」
口元を隠して喜びを胡麻化そうとしている女に、俺は問いかけた。
問いの意味は明確だ。なぜ、仮面の女がアルマのことを知っているのか。
狙いがアルマなのか、正直なところ、確信は持てていない。
少なくとも一つ言えるのは、彼女にとってアルマの価値は、俺を無視して凝視してしまうくらい、大きなものだということだ。
「あら、ごめんなさいね。私ったら、ついつい欲しいものに目が行ってしまう癖がありまして。もちろん、あなたにも興味がありますのよ? それと、私にはメアリー・エリオットという名前がありますので、二度と、この女などと呼ばないで頂けますでしょうか?」
あくまでも朗らかな口調を崩さないメアリー。
対する俺も、なるべく穏便な口調を装いながら、女に語り掛ける。
「メアリーか、良い名前だな。そんな良い名前のお嬢様が、こんなところで何をしてるんだ? まさか、山菜を採りに来たなんて言わないよな?」
「ご冗談がお上手なのですね。こんな薄汚い森で採れる物など、私が口にするわけがありませんわ。まぁ、軽い運動のための狩りをしに来たとでも言えば良いのでしょうか? ご自覚が無いようですのでお教えしますが、あなた方が獲物なのですよ?」
「そんなの分かってるわよ! ニッシュ! この女なんなの!? メチャクチャ苛つくんだけど!」
「奇遇だなシエル、俺もこの女のことは好きになれない」
「……二度と呼ばないように。と言った筈ですっ!!」
俺とシエルの言葉を聞いたメアリーは、ため息に憤りを込めたかと思うと、両腕を大きく横に薙いだ。
それが合図とでも言うように、強烈な風が辺りを吹き抜ける。
刹那、先ほど凍らされていた草木が、一斉に俺たちに向けて飛び出してくる。
だが、それらの氷の矢が俺達の元に届くことは無かった。
馬鹿みたいに突っ立って、メアリーとの会話を楽しんでいたわけでは無いのだ。
話している間も、両手の指先から地面の中に伸びるラインを描いていた俺は、メアリーが動くのと同時に、魔法を発動させた。
途端、メアリーと俺間の地面が、一斉に盛り上がり、巨大な壁が形成されてゆく。
盛り上がる土砂が周囲に生えている木々を押し倒し、見る見るうちに、小さな山を作り上げてしまった。
しかし、俺もシエルも、そして母さんたちも。誰もその様子を眺めてはいなかった。
「よし! 走れ!」
魔法を発動した直後に、俺がそう叫んだからである。
抱えていた物資の一部は、その場に置いて行くしかないが、今はそれでいい。
資材を拾っているうちに命を落としてしまっては、意味がないからだ。
「モイラさん! このまま壁まで先導をお願いします! シエル、常に周辺に警戒しててくれ!」
最後尾を走りながら、俺がそう叫んだ時、背後で何かが炸裂するような音が響いた。
咄嗟に背後を振り返った俺は、地面すれすれを一直線に飛んでくるメアリーの姿を捉える。
「なっ!?」
「逃がしませんわっ!!」
宣言通り、殆ど一瞬で俺達への距離を詰めて来るメアリー。
その姿に恐怖を抱いた俺は、がむしゃらにラインを描くと、躊躇うことなく右足を乗せた。
「近寄るなっ!!」
ラインに乗った俺の右足は、左足を軸にして大きな半円を描き、横薙ぎの蹴りに変貌を遂げる。
かなり強引なその動きに、足腰の痛みを感じた俺だったが、今はそれにかまけている場合ではない。
勢いのままに放たれた俺の蹴りは、運よくメアリーの左わき腹に直撃した。
蹴りを受けたメアリーは短い悲鳴を上げて吹っ飛んでゆく。
「よしっ! ……!?」
何とか迎撃に成功して、短く声を出した俺は、すぐさま異変に気が付いた。
「足が……!?」
メアリーを蹴りつけた右足から、ジワジワと感覚が奪われていくのだ。
当然、右足で踏ん張ることも出来なくなった俺は、蹴りで発生した回転のエネルギーに耐え切れず、その場に崩れてしまった。
「くそっ!」
考えるまでも無い、メアリーの氷魔法を右脚に受けてしまったのだ。
ゆっくりと右足から登って来る絶望感に、心がくじけそうになりながらも、俺は吹っ飛んで行ったメアリーの方をみやる。
木々と茂みの奥に、動くものが無いか。じっと目を凝らした俺は、最悪な事に、一つの人影を見つけてしまった。
ドレスを纏った女性の姿が、ゆっくりと立ち上がり、こちらに歩き始める。
「効いてなかったのか!?」
「ニッシュ! 速くジップラインで逃げるわよ! 右脚以外は動くんでしょ!?」
右肩にしがみつき、慌てた様子のシエルが、俺の髪を引っ張りながら叫ぶ。
と、そんな俺たちに向けて、鋭い声が掛けられた。
「ウィーニッシュ! 今助けに行くからね!」
声を聞いた俺は、咄嗟に叫び返す。
「母さん! 来ちゃダメだ!」
壁の方へと駆けていた筈の母さんが、がむしゃらに俺の元へと走り出そうとしている。
ほぼ同時に、メアリーが動きを止め、俺に狙いを定めるように前傾姿勢を取った。
「母さん速く逃げて! 俺は何とかするから! 来ちゃダメだ!」
全く止まる気配を見せない母さんにそう叫んだ時、先ほどと同じ炸裂音が、周囲に鳴り響く。
一瞬で迫りくるメアリーの姿に、俺はせめてもの抵抗のため、左の拳を彼女の顔面目掛けて放つ。
あと少しでメアリーの仮面を殴り飛ばすことが出来るところで、俺の拳は軽くいなされてしまった。
大きく跳ね上げられた左腕に釣られて、俺は背中から後ろに倒れ込みそうになる。
そんな俺の顔面を掴んだメアリーは、飛んで来た勢いのままに、俺を地面に打ち付けた。
後頭部と背中に強い衝撃が走り、危うく意識を失いそうになった俺は、何とか歯を喰いしばって気絶を免れた。
しかし、メアリーの左手に顔を掴まれている以上、もう逃げ場はない。
歪む視界の中で、メアリーが微笑み、俺は深い絶望に沈みかけた。
その時、視界の端でヒラヒラと舞う、赤くて小さなものを、俺は目撃したのだった。
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