第57話 火の羽

 メアリーの手から感じる微かな冷気に、頬を強張らせながらも、俺はその赤い何かを凝視した。


 まるで周囲の時間がスローになったかのように、ゆっくりと舞い落ちて来るそれを一言で表すなら、火の羽と言ったところだろう。


 気が付けば視界一杯に舞い落ちて来るそれらの羽に、俺が気が付いた瞬間、眼前にいたメアリーが、突然悲鳴を上げる。


「ぎゃぁあ! 何!?」


 俺の顔を掴んでいた手を勢い良く跳ね上げ、後ろに飛び退いたメアリーは、視線を上げると、そう叫んだ。


 おかげで拘束から解放された俺も、釣られるように視線を上げる。


 そんな俺の視線とすれ違うように、見知った女性がゆっくりと俺の目の前に降り立った。


 宙を舞っている火の羽に全身を覆われているその女性は、両翼を大きく広げると、柔らかな仕草で俺の右足を覆い隠す。


 咄嗟に右足を引っ込めようとした俺だったが、見た目に反して熱いわけでは無いことを悟り、ホッと胸を撫でおろす。


 そうして、目の前の女性に声を掛けた。


「……アルマ、なのか?」


 問い掛けを聞いたアルマは、小さく頷いて見せると、広げていた翼を折りたたんだ。


 直後、俺は固まっていた右脚が元に戻っていることに気が付く。


「アルマ、また助けられたな。ありがとう!」


 どこか気恥ずかしそうに頭を傾げているアルマに例を言った俺は、すぐに立ち上がると、呆然としているメアリーに目を向ける。


 メアリーが呆然としているということは、この状態のアルマは普通では無いと言う事だろうか。


「どうなってるのよ!? そいつに、そんな力があるなんて……あぁ……そういう事」


 動揺を見せていたメアリーは、何かを探すように周囲を見わたすと、納得したとでも言うように、大きく頷きだした。


 視界の先に何があるのか、確かめるために俺も周囲を見わたす。


 目で確認できるものと言えば、地面にへたり込んでこちらを見つめている母さん。


 そして、母さんの傍に転がっている籠くらいだろうか。


 籠に入っていたのは恐らく、サラマンダーの鱗なのだろう。籠の周りにキラキラとした鱗が散乱している。


 俺の視線に気が付いたのだろう、肩にしがみ付いたままのシエルが、思い出したように言う。


「ニッシュ、私、さっきチラッと見たんだけど、アルマはあの鱗を食べてたわよ」


「食べた? マジか……」


 シエルの言葉に思わずそう呟いた俺は、傍で不思議そうに頭を傾げているアルマに目を向ける。


 色々と聞きたいことがあるのだが、今はそんな場合じゃないよな。


 心の中で自分に言い聞かせた俺は、思い出したようにメアリーに向き直った。


「なんかよく分かんねぇけど、これでアンタの攻撃は効かないってワケだな。どうする? 今日の所は一旦引いて、日を改めるってのは……」


「そんなこと、あるわけないでしょう?」


 俺の言葉を遮るように告げたメアリーの声には、明らかに苛立ちが含まれていた。


 強がってはいるが、アルマの力は確実に、彼女の弱点を突いているようだ。


 現に彼女は、舞い降りて来る火の羽が当たらないように、木の陰に隠れるように立っている。


 どこから降ってきているのか分からないほどの大量の火の羽は、まるで雪のようにしんしんと降り積もって行く。


 幻想的なその光景に見惚れそうになっていた俺だったが、すぐに気を取り直して、メアリーに告げる。


「そうか……? まぁ、俺達も、これ以上アンタに付き合ってる場合じゃないから、お先に失礼するよ。あ、追いかけて来るなら足元に気を付けて」


 アルマのこの力がどれほどの間持続するのか分からない。


 そうなる前に、壁の中に戻るのが、最善の選択だろう。


 そう判断した俺は、メアリーへの警戒を続けたまま、母さんの元へと駆けた。


「母さん、大丈夫? 今の内に逃げよう」


「私は大丈夫よ、それより、あなたは? 怪我してないの?」


「母さん、今はそれどころじゃないんだ。すぐに立って、鱗を集めるんだ」


 急いで籠を拾い上げた俺は、散らばっている鱗を全て拾い集めると、母さんの手を引いて走り出す。


 先導するように低空飛行して見せるアルマの後を駆けながら、俺は周囲に目を走らせた。


 森の中にモイラ達の姿は見えなかい。既に壁まで逃げきっているのだろうか。


「皆、ちゃんと逃げ切ったよな!?」


 頭の中を不安がよぎったその時、背後からメアリーのものとは思えないほど荒れた声が響いて来る。


「お前らぁ! 覚えてろよぉ! 私が! 私が絶対に、捕まえるからなぁ!」


 先程までのおしとやかな口調からは想像できない、その汚い口調は、しかし、確実にメアリーの声で響いて来ていた。


「あれは、怒らせたら怖いタイプの女だな……」


「そうね……まぁ、私たちはもう、怒らせちゃったみたいだけど」


 肩にしがみついているシエルの軽口に、苦笑いを返した俺は、前方に森の出口が近づいて来ていることに気が付く。


 それでも安心することなく走り抜けた俺達は、アルマから順番に森を抜けた。


 足元に広がっていた茂みや、視界を狭めていた木々が無い、開けた場所に出て、俺はまず壁を目にする。


 洞穴の南側に面しているその壁には、いたって変わったところは見当たらない。


 掘りかけの濠を超え、出入口用の扉まで向かった俺達は、一息に扉を開け放った。


 母さんやアルマを先に壁の中に入れた俺は、もう扉を使えないように、魔法で出入口を塞いでしまう。


「よし、まずは洞穴に向かって、状況を確認しよう。アルマも母さんも、俺から離れないで!」


 言いながら洞穴に駆けた俺達は、バリケードの張られた洞穴と、その周囲に集まっている人だかりを見つけた。


「皆! 無事か!?」


「おぉ! ウィーニッシュさん! 良かった! 無事だったんですね……え!? アルマさん? その姿は?」


 両手いっぱいに武器を抱えているザックが、人混みの中から俺たちに声を掛けて来る。


 アルマの姿を見て驚いた様子だが、今はその説明をしている場合じゃない。


「ザック、その話は後だ。状況を教えてくれ!」


 俺の言葉を聞いて、ザックは真剣な面持ちのまま、大きく頷いたのだった。

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