第51話 大きな一歩

 捕虜になった刺客達をヴァンデンスに任せた俺とアルマは、急いで洞穴へと向かった。


 洞穴の前には、避難していた皆が座り込んでいる。


 軽いやけどや擦り傷など、怪我をしている人だけでなく、酷く咳き込んでいる人もいる。


 そんな怪我人たちを放っておくわけにもいかず、俺達は片っ端から治療を施してゆく。


 と言っても、俺は見ていただけなんだが。


 傷口付近に顔を近づけたアルマは、涙や唾液と言った様々な方法で、彼らの怪我を治していった。


 彼女の力で傷や症状が消えて行くその様は、まさに奇跡と呼んで差し支えないだろう。


「ありがとう!」


 淡々と治療をこなしていったアルマに対して、そんな言葉が沢山投げかけられた。


 その度に、アルマは不思議そうな表情を俺に向けてくる。


「もしかして、ありがとうの意味が分からないのか?」


「……?」


 そう問いかけてみても、アルマは首を傾げるばかりだった。


 程なくして全員の治療を終えた俺達は、そのまま洞穴の奥に向かう。


 もちろん、マーニャを元に戻すためだ。


 相変わらず地べたに横たわったままの彼女の傍にしゃがみ込んだ俺は、そっと手を握った。


 まるで石のような、冷たい感触。


 いつも通りであれば、このまま熱を注いでいくのだが、もうそれをする必要は無いらしい。


 どこか逸る気持ちを抑えながらも、俺は隣に立つアルマを見上げた。


「アルマ、頼む、この娘を……マーニャを元に戻してくれ」


 俺の言葉を聞いたアルマは、俺とマーニャの姿を何度か見比べた後、マーニャの横に跪いた。


 前のめりに身を乗り出し、マーニャの頭の真上に顔を持って行くアルマ。


 その体勢のまま、ゆっくりと目を瞑ったアルマの目頭から、一滴の雫が漏れ出してくる。


 微かな軌跡を残しながら伝ってゆくその雫は、鼻先に到達したかと思うと、音を立てることなく、滴り落ちた。


 ピチョン


 優しく響いたその音は、周囲の空気を柔らかく濡らすように、染み込んでゆく。


 その様子を、ただ黙って見つめていた俺は、無意識のうちにマーニャの手を握り締めていた。


 と、そんな俺の手をギュッと、マーニャが握り返してくる。


「マーニャ!?」


 手に感じたその圧力に気づいた俺は、咄嗟に身を乗り出すと、マーニャの顔を覗き込む。


 初めに異変が起きたのは、彼女の胸元だった。


 ピタリと固まってしまっていた彼女の呼吸が、目に見えて分かるほどに再開されたのだ。


 そうして吸収された酸素が体中に巡り始めたのだろう、心なしかマーニャの顔色が温かみのあるものになってきたような気がする。


 そこでようやく、眉間にしわを寄せたマーニャは、ゆっくりと目を開けると、口を開いた。


「……ニッシュ?」


「マーニャ!! 良かった!」


 俺は思わずそう叫ぶと、大きく息を吐きながら、握り締めていた彼女の手を自分の額に押し付ける。


 これは大きな一歩だ。


 俺は、心の中でそう呟いた。


 傷の男達の助けを借りて、何とか母さんを取り返したあの日から、俺の中に残っていた後悔。


 マーニャを助け出すことが出来なかったこと。


 それは言うまでも無く、俺自身の弱さと未熟さが招いた結果だった。


 あの時、マーニャ達を攫おうとしていた奴らに、勝てるだけの力があれば、彼女が凍らされることは無かっただろう。


 そして今、アルマの力を借りることで、マーニャを元に戻すことが出来たのだ。


 あとは、ようやく取り返した沢山の物を、守り抜くだけの強さを身に付けなければならない。


 もう、奪われることが無いように。


「ニッシュ……どうしたの? 何があったの?」


 顔を埋めている俺の背中をさすりながら、マーニャが声を掛けて来る。


 背中に感じるその温もりに、思わず涙を溢しそうになった俺は、顔を大きく横に振ると、なるべく明るい声で告げた。


「いや、大丈夫だ! それより、どこか痛むところとかないか?」


「痛むところ? ないけど……それより! ニッシュは!? 怪我してないの!? それに、アイツらは!?」


 ようやく色々と思い出し始めたのか、マーニャは辺りを見わたしたかと思うと、傍にいたアルマを見て動きを止めた。


「……あなたは?」


「……?」


「そうだ、詳しい事は後で話すけど、彼女がマーニャを救ってくれたんだ。アルマ、本当にありがとう!」


「え? そうなの? アルマさん。ありがとうございます」


 上半身を起こしたマーニャはおずおずと頭を下げてお礼を述べる。


 と、穏やかな空気が俺達の間に流れ出した時。


 その隙を狙っていたかのように、シエルが洞穴の外から飛び込んできた。


「ニッシュ! 感動の再会は終わったの? だったらちょっと手伝ってくれない? 邪魔な気があるのよ。多分あれは、アンタの魔法のせいで飛んで来た奴だわ」


「おう! 分かった! すぐに行く!」


「え? あれ? ニッシュ、背中の拘束箱は?」


「ん? あぁ、そう言えばそうだった。シエル! せっかくだから自己紹介していけよ!」


 俺の言葉を聞いたシエルは、ゆっくりとこちらに近づいて来ると、マーニャのことを観察し始めた。


「えっと……もしかして、ニッシュのバディなの?」


 ジロジロと見られることに戸惑いながらも、マーニャが問いかけてくる。


 しかし、俺がその問いに答える前に、シエルが口を開いた。


「そうよ! 私がニッシュのバディ、保護者みたいなものなの。で? アンタがニッシュのガールフレンドってやつ? ふ~ん?」


「な、何を言ってるのよ!? 私は別に……」


「マーニャは前から、初対面の人には気が弱くなるよなぁ。気にすんなって、シエルは俺のバディで、ペットみたいなもんだから」


「誰がペットよ! って、ちょ!? アルマ? 今は止めなさいよ!」


 大声で文句を言い出したシエルは、いつの間にか背後に迫っていたアルマによって、ギュッと抱きしめられていた。


 そんな姿を見て、マーニャが薄っすらと笑みを溢す。


「後でマーニャのバディも解放してやるから、もう少しここで休んでてくれ。俺はちょっと、外を手伝ってくる」


 俺の言葉を聞いたマーニャが小さく頷いたのを見て、俺は洞穴から駆け出した。


 心なしか、身体が軽く感じられたのは、気のせいでは無いのだろう。

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