第46話 闇を呼ぶ男

 洞穴の西に広がる森の中。


 もう少しで川に差し掛かるかという崖の上で、ヴァンデンスは見張りをしていた。


 川を見下ろせる位置に腰かけ、両足を伸ばして寛いでいる彼は、その鋭い視線を四方八方に張り巡らしている。


 サラマンダーを撃退したのが数日前。


 そろそろハウンズの奴らが動き出しても良い頃だろう。


 そんなことを考えていた彼の目が、遥か西の森で動く影を目撃する。


「ラック。俺を中心に直径1キロメートルを、鱗粉で満たしてくれ。急ぎだ」


 右肩で羽を休めていたラックにそう声を掛けたヴァンデンスは、すっくと立ちあがると、背後に広がっている森に目を向ける。


「見つけた」


 小さく呟いた彼は、近くに転がっていた拳大の石を拾い上げると、何やら両手で包みこむ。


 目を閉じ、しばらく黙り込んでいたヴァンデンスは、一つ溜息を吐いたかと思うと、包んでいた両手を開いて見せた。


 彼の手の中にあったはずの石は、姿を一変させてしまっている。


 丸い形状だった石は薄い板状に変形し、表面にはこう刻まれているのだ。


「西より敵影あり。備えろ」


 書かれてある内容を確かめるように呟いたヴァンデンスは、同じ物をあと三つ作ると、宙に放り投げた。


 空に打ち上げられたそれらの石板は、まるで風に乗って飛んでゆく木の葉のように、森の方へと飛んでゆく。


「さてと、そろそろ足止めするかな。えっと……30人かぁ。思ったよりも多いな。これは、少年にも手伝って貰う必要があるかな。ラック! そろそろ戻って来てくれ!」


 呼びかけに応じるように、どこからともなく姿を現したラックは、定位置に戻るように、ヴァンデンスの右肩に止まった。


 横目でラックの様子を確認した彼は、眼下に広がる森を見下ろしながら呟く。


「3……2……1……よし!」


 タイミングを計ったヴァンデンスはおもむろに右腕を頭上に掲げると、一回だけ、指を鳴らしてみせる。


 途端、まるで周囲に満ちていた光が根こそぎ奪われてしまったかのように、辺りを闇が包みこんだ。


「焦ってる焦ってる。やっぱり、この光景は何回見ても笑えるなぁ」


 笑みを浮かべたまま呟いて見せたヴァンデンスは、そのまま崖下へと一歩を踏み出した。


 しかし、彼の身体が落下を始めることは無い。


 仄かな風を纏った彼は、ゆっくりと上昇を始めると、少しずつ西へと移動を開始する。


「10人取りこぼしたな。まぁ、仕方ないか。今の少年なら、大丈夫でしょう……ん? 怠慢じゃないのかって? 違う違う、少年を鍛えるためだよ。これでも俺は、師匠なんでね」


 肩のラックに向けて軽口を叩いて見せるヴァンデンスは、森の上空をある程度進むと、ゆっくりと降下を始める。


 そうして地面に降り立った彼は、改めて指を鳴らしてみせた。


 すると、周囲を覆っていた闇が一気に晴れ、辺りの様子が鮮明になる。


「これはこれは、ずいぶんと大人数で。おじさんに何か用でもあるのかね?」


 両手を大きく広げてそう告げたヴァンデンスの視線の先には、5人の人間がいる。


 人間が5人いると言うことは、同じ数だけバディが居ると言うことだ。


 揃いも揃って、黒い衣服に身を包んでいる彼らは、皆一様に顔を隠すようなマスクを着用している。


 寄り集まって周囲に警戒を見せていた彼らは、ヴァンデンスに気が付くと、一斉に身構えた。


 短刀などの武器を構える者や、地面に手を添えて魔法を発動しようとする者。


 各々、攻撃の隙を伺っている様子の敵達を見わたしたヴァンデンスは、やれやれとばかりに息を吐く。


「君たち、ハウンズの指金で動いてるんだろう? ってことは、これは様子見って事かな? そうなると、おじさんは君たちを全員始末しないといけないね。情報を持ち帰られたら困るから。まぁ、それが一番楽だから、おじさんとしては良いんだけど」


「……」


 彼の言葉を聞いても動揺することなく、淡々と沈黙で応える敵達が、今まさに攻撃に移ろうとしたその瞬間。


 今一度、辺りが暗闇に包まれた。


 動揺するハウンズの刺客達を置き去りにするように、今一度闇が消えてなくなる。


 しかし、今度はヴァンデンスの姿が消えてなくなっていた。


「驚いたかい? まぁ、それが普通の反応だよ」


「……っ!?」


 いつの間にか5人のど真ん中に姿を現したヴァンデンスは、流れるように手を動かす。


 一番傍に立っていた刺客のナイフを奪い盗った彼は、無駄のない動きで敵の喉元にナイフを突き立てる。


 一人、また一人と、息の根を止められてい刺客達。


 三人が仕留められるまで、刺客達が反応できなかったのは、ヴァンデンスの動きがあまりに自然すぎたからに違いない。


 まるで、砂で出来た小さな山に木の棒を突き立てるかのように、柔らかな動作で命を奪ってゆくのだ。


「ひぃっ!」


 四人目の命が奪われる様子を見て、逃げ出そうとした最後の一人は、駆け出したと同時に、地面に組み伏せられていた。


 背中を踏みつけるヴァンデンスの脚をどかそうと藻掻く刺客は、顔の前に落ちてきたナイフを見て動きを止める。


 地面に深々と突き刺さっているそのナイフは、日の光を受け、怪しく光っているように見えた。


「悪いね。おじさんもあまり時間がないから。遊んでる時間がないんだ。一つだけ質問に応えてくれるかい?」


 刺客の背中を踏みつけたまま、ヴァンデンスが話し始める。


「数日前、この森にサラマンダーが現れたんだけど、あれは君たちの仕業で間違いないのかな?」


「サ……サラマンダー?」


 恐怖のあまりに震えている声音で、刺客が呟く。


 その声を聞いたヴァンデンスは、大きなため息を吐くと、刺客の頭を蹴とばした。


 ゴリッという音と共に、力なく伸びてしまった刺客を見下ろしながら、ヴァンデンスは再び呟く。


「やっぱり下っ端は詳しく知らないか。よし、次に行こう」


 それだけ言い残した彼は、右手を上に掲げ、指を鳴らして闇を呼んだのだった。

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