第45話 迎撃態勢

 しきりに「アルマ」と呟き続ける彼女のことを、俺達がアルマと呼ぶようになって、数日が経った頃。


 アルマはようやく、俺達への警戒を解き始めていた。


 狭い場所が苦手なのか、アルマは基本的に洞穴の中に入りたがらない。


 例外として、シエルやリノが傍にいる時だけは、警戒しつつも俺達の傍に寄って来るのだった。


 あと一つ例外があるとすれば、俺に対する態度だろうか。


 サラマンダーを退けた翌日、彼女の右脚と右翼に取りつけられていた重たい金具を、俺が破壊したのだ。


 そのおかげだろう、アルマは俺にも少しだけ懐いているように見える。


「まぁ、シエルとリノ程じゃないんだけどな……」


 空を見上げながらボーっとしているアルマを、洞穴の中から観察しながら、俺は呟く。


 彼女の傍には、いつも通りシエルとリノが腰を下ろしていた。


「結局、なんでアルマがサラマンダーに追いかけられていたのか、わかってないんですよね」


 燻した木の実を口に放り込んだザックが、俺と同じようにアルマを眺めながら呟く。


「そうなんだよなぁ。あの金具のことを考えると、アルマも奴隷だったって考えるのが、妥当なんだろうけど」


 それが分かったとしても、彼女が追いかけられる理由は分からない。


 当の彼女自身は、まともに会話をすることが出来ないため、事情を聞くこともできない。


 唯一の手掛かりは、ヴァンデンスが森の西側で見たと言う、巨大な荷車の残骸だろうか。


 黒焦げになっていたそれは、恐らくサラマンダーを捉えていたものなのだろう。


「誰かがあのサラマンダーを、ここまで連れて来たってことだよな。考えうるのは、ハウンズの連中か? だとしたら、なんで?」


「僕たちを炙り出すため、でしょうか? で、アルマはそのための囮だった……とか」


「なるほどなぁ」


 俺は最後の木の実を口に放り込むと、両手をパンパンと叩いた。


 そうして、近くに横たわっているマーニャの手を握り、いつも通り魔法を発動する。


 両手の掌からマーニャに向けて、俺の熱が少しずつ流れ込んでゆく。


 日に日に、熱が伝わって行きやすくなっているように感じるが、気のせいだろうか。


 いや、それが一つの成果だと、俺は思いたい。


 手の感触に反して、回復の兆しの見えない彼女の様子に、心の隅っこで不安を覚えながらも、俺はゆっくりと熱を弱めていった。


「よしっ! 今日はこれでオッケーだな。そろそろ見張りに行くかねぇ」


 背伸びをしながら呟いた俺は、正面から歩み寄って来るメリッサに気が付く。


 頭の上に手のひらサイズの蜘蛛を乗せている彼女は、いつも通りの微笑みを浮かべながら、俺に服のような物を手渡してきた。


「これ、使ってちょうだい。ウィーニッシュさん用に作ったものだから。きっと、身を守ってくれるわ」


「お! もう出来たんですか!? 流石、元服屋さんは手際が良いですね」


 俺はメリッサからそれを受け取ると、着ていたシャツから着替えた。


 柔らかな肌触りのシャツに、何やら硬い鱗のような物が縫い付けられている。


 俺の胸から腹にかけて縫い付けられているその鱗のような物は、いうまでも無く、サラマンダーのそれだ。


「これはザックさんの分です。良かったら、着てくださいね」


 手にしていた袋からもう一着取り出したメリッサは、隣に座りこんでいたザックにも手渡す。


「ありがとうございます! ほぅ……これは結構丈夫そうですね。一つ疑問なんですが、この布はどこから調達してるんですか?」


 手にしたシャツをまじまじと見ながら問いかけるザックに、メリッサは軽く笑みを浮かべると、頭の上に乗っている雲を指差す。


「エイミーが定期的に糸の束を作ってくれるから。それを、ザックさんに作ってもらった簡易織機で、服にしてるの」


「ここにいる皆って、案外器用な人多いですよね……俺にはそんなことできないな」


「僕も、まさかあんな急ごしらえの織機で、服を作るとは思って無かったです。メリッサさんの腕がよほどいいんでしょう」


「ふふふ、ありがとう。まぁ、ウチも長い事やってるからね。奴隷になっても、ずっと布を織ってたし。魔法が使える今の方が、ずっと簡単だわ」


 そう言うメリッサの表情は、満面の笑みに染められているが、内心はどうなのだろう。


 元々服屋を営んでいたという話はここ数日の間に聞いたが、なぜ奴隷になってしまったのかは、聞けないでいる。


 と言うか、ここにいる全員の中で、その話を探るのはタブーになっていた。


 俺自身も、俺や母さんやマーニャに何があったのかを、詳しく話すつもりは無い。


 それでいいのだ。


「そろそろ、見張りに行くよ。メリッサさん、ザックさん、ありがとう」


 それだけ言い残した俺は、腕を大きく回しながら外に歩いた。


「シエルー。そろそろ行くぞ!」


「おっけ~。リノ、アンタはいかなくていいの?」


「ん? オレッチはもう少し大丈夫だぜ。ドワイトから、時間になったら呼びに来るって言われてるしよ」


「ふ~ん」


「……?」


 興味なさげに鼻を鳴らしたシエルは、おもむろに俺の方へと飛んでくる。


 そんなシエルの後ろ姿を目で追ったアルマは、俺と目が合うと、じーっとこちらを見つめてきた。


「アルマ、今日も元気か?」


 俺の問いかけに、アルマが鼻を鳴らして答えた時。


 見張り班の叫び声が、辺りに響き渡る。


「敵襲! 敵襲! 迎撃態勢を取れ!」


 その声を聞いた途端、その場にいた全員の面持ちが、引き締まる。


 叫び声が聞こえてきた方角は西。


 つまり、ゼネヒットのある方角だ。


 今はヴァンデンスが見張りに行っている時間のはずだから、恐らく、師匠が食い止めているのだろう。


 しかし、今までの経験から、俺達は学んでいた。


「全員! 洞穴に入って! 人数確認をするんだ!」


 俺はそう叫んだあと、周囲に目を走らせた。


 事前に決めていた通り、洞穴の中に入って点呼を取った皆は、入口付近の茂みに隠していた木製の柵を取り出し始める。


 洞穴の入口に並べられたその柵は、入口を完全に塞いで敵の侵入を阻むだけでなく、内側から弓や槍で攻撃が出来るような仕組みが施されている。


 逆に、敵の弓矢などは殆ど通さないようになっているので、余程のことが無い限り、大丈夫だろう。


「俺がここを死守すれば良いってことだよな」


 一人、バリケードの中に入らず周囲の様子を伺いながら、俺は呟く。


 久しく光っているところを見ることが無くなった両手を握り締めながら、俺は西側の森を睨みつけたのだった。

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