第44話 逃げおおせた者

 ヴァンデンスのお陰でサラマンダーからの窮地を脱した俺達は、ドワイトたち怪我人を連れて洞穴に戻ることが出来た。


 ドワイトのケガは、見た目ほど深いものでは無かったらしく、止血をしたおかげで難を逃れたらしい。


 モイラに関しては、サラマンダーの尻尾の一撃を受けたらしく、今のところまだ目を醒ましていない。


「大丈夫よ。彼女のバディはぴんぴんしてるから、時期に目を醒ますわ」


 そう言う母さんは、モイラの傍に座り込んでいる妖精のような羽を持っている小人を見ながら微笑む。


「それよりもニッシュ、あんたいつまで半裸でいるつもりなの?」


「仕方ないだろ? 着てた服は血まみれになったんだし」


 半裸で過ごすことに慣れるつもりは無いけど、少なくとも俺は後悔していない。


 座りこんだまま見張り班に指示を出しているドワイトを盗み見た俺は、ため息を吐きながら洞穴の外に出た。


 僅かに漂っている焦げ臭い香りに、俺が顔をしかめていると、少し離れたところにある木の麓が騒がしくなる。


「起きたみたいね。ニッシュ、行きましょ!」


 シエルに促されるまま、騒ぎのあった木の元に歩いた俺は、やじ馬のように突っ立っている男達をかき分けた。


 右脚と右の翼に金具を取り付けられている女性が、木の幹に括りつけられたまま、俺達を睨みつけ、威嚇の声を上げている。


 そんな彼女を宥めるように、ヴァンデンスがなにやら語り掛けているようだった。


「まぁまぁ、落ち着いて。おじさんたちは君に危害を加えるつもりは無いんだ。ただ、色々と話を聞きたくてね。落ち着いて話をしてくれると約束してくれるなら、すぐにでも拘束を解くよ」


 穏やかな口調で語り掛けるヴァンデンスに対し、鳥人の女性は視線を険しくするばかりで、一向に返事をしない。


 それだけでなく、拘束を解こうと藻掻くばかりだ。


「あんまり協力的じゃない感じかな?」


 どこか諦念を感じさせる溜息を吐いたヴァンデンスは、そう言いながら立ち上がると、俺に視線をやる。


「で、この子は誰なんだい?」


「さぁ、俺も知らない」


 ヴァンデンスの問いかけに、俺が首を振って見せていると、背後から声が掛けられた。


「その人が、あのサラマンダーを川の方に連れて来たんよ。多分、追いかけられてたんやないかなぁ」


 そう言いながら俺達の傍に歩み寄って来たのは、ふくよかな体つきをしたメリッサと言う女性だ。歳は30後半くらいだろうか。


 黒くて艶やかな長髪とおっとりとした目元が特徴的な彼女は、洞穴周辺の整備をする整備班でリーダーを務めている。


 彼女の豊満な胸の上には、手のひらサイズの蜘蛛が一匹、鎮座している。当然、バディだ。


 メリッサはモイラ達と一緒に水汲みに行っていたのだろう。淡々と何が起きたのかを説明し始めた。


「彼女が逃げるように森から出てきた様子を見て、モイラさんが助けに行ったんよ。で、二人が川を渡り始めようとした時に、森からサラマンダーが出てきて、あっという間に、二人を尻尾で弾き飛ばしてしまって……ウチらもやられるって思った時に、ドワイトさんが助けに来てくれた。その後、シエルちゃんと一緒に洞穴に戻って来たってわけ」


「サラマンダーに追いかけられてた……ねぇ」


 何か考え込むような仕草をしながら、ヴァンデンスは鳥人を見下ろす。


 対する鳥人の女性は、先ほどとは打って変わって怯えた表情を浮かべたまま、辺りを見わたし始めていた。


「アルマ……アルマ……」


 か細い声でそう告げる女性を見ていた俺は、強烈な心苦しさを覚えた。


 彼女のその姿が、まるで親を探す小鳥のように見えてしまったのだ。


 身体はとっくに成人していると思われるが、仕草や声音が非常に幼く感じられる。


「師匠……放してやろう。そんな悪い人には見えないし」


「……まぁ、そうだね。いざとなれば、おじさんと少年で何とか出来るだろう」


 俺の言葉に何か思うところでもあったのか、ヴァンデンスは一拍置いた後、女性を拘束しているロープを解いた。


 突然解放された女性は、混乱と恐怖の綯い交ぜになった目を俺たちに向けたまま、膝を抱えて蹲った。


 てっきり逃げ出すのかと思っていた俺達は、彼女の様子に驚きつつ、互いに顔を見合わせる。


 俺達がどんな言葉を掛けてあげれば良いのか、頭を捻らせていた時、一匹の犬が、彼女に向けて歩み寄って行く。


「よぉ! おめぇさん、名前は何て言うんだ? オレッチはリノってんだ! よろしくな! そうだ、もしよければ、オレッチにもおめぇさんの羽毛の温もりを分けてくれよ。さっきまで味気ない草の上で昼寝をしてたんだけどよぉ、飽きちまったぜ。たまにはフカフカな羽毛で寝たいだろ? あ、場所はどこだっていいぜ? その羽に包んでくれれば、オレッチは満足だからよ」


 尻尾を振りながら無遠慮に歩み寄って行くリノは、女性が怖がっているのも気にすることなく、自身のケツを女性に擦り付けた。


 そしてそのまま、地べたに横たわり始めたのである。


「ちょ! リノ! あんたにはデリカシーってもんが備わってないの!? 少しは遠慮しなさいよ! 彼女、怖がってるでしょ!?」


 慌てた様子でリノの傍に飛んで行ったシエルは、彼の鼻を指で突きながら告げる。


 しかし、リノも負けじとシエルの指を押し退けながら、鼻高々に言うのだった。


「はぁ!? オレッチを怖がる奴なんて、この世の中に居るわけねぇだろ!? オレッチの魅力に憑りつかれるってんなら、分かるけどよ! はっ! 分かったぞ! シエル、おめぇもしかして妬いてんのか!? そうだろ? オレッチがおめぇの尻尾から目移りしたから、妬いてんだ!」


「違うわよ! 何勘違いしてんのよ! バカじゃないの!?」


 呆れと怒りの綯い交ぜになったシエルの声は、どこか震えているように聞こえる。


 何故だろう、リノの言っていることが正しいのではないかと、俺は一瞬思ってしまった。


 と、そうやって言い争っているリノとシエルを、女性がじーっと見つめている。


 その視線にリノとシエルが気が付いた時、鳥人の女性はそっと左の翼を広げると、二人を優しく抱きかかえた。


「……アルマ」


 リノとシエルの毛並みに顔を埋めながら、女性がもう一度呟く。


 その様子を見た俺達は、ひとまず、彼女のことはシエル達に任せることにしたのだった。

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