第43話 決定打

「こいつは何なんだ? どうしてこんな森の中にいるんだよ?」


 ゆっくりと俺の方へと前進してくる巨大なトカゲと、一定の距離を取るように岸に向かっていた俺は、小走りをしながら転がっている石を手にした。


 正直、そんなもので太刀打ちできるとは思えないが、全く勝機が無い訳でもない。


「これでも食らっとけ!」


 大きく回り込むことで川から上がった俺は、一旦立ち止まって、石を投げつける。


 トカゲの脳天に向けて一直線に飛んで行ったその石は、ジュっという音を立てたかと思うと、ゴンッという音と共にトカゲの鱗に弾かれてしまった。


 得られた成果としては、トカゲの気を荒立てたことくらいで、状況の好転にはつながらない。


「師匠は何してるんだ!?」


 再び突進を仕掛けてきそうなトカゲを注視しながらも、俺は空に目をやる。


 ヴァンデンスのことだ、きっと森の様子を見て異変にも気が付いているに違いない。


 それでもすぐに飛んで現れないのは、何か理由があるって事だろう。


「このトカゲ野郎! こっちだ!」


 完全に俺の方に注意を向けているトカゲの背後から、ドワイトが声を張り上げた。


 何か石でも投げたのだろうか、ドワイトの気配に気が付いたトカゲは、尻尾を大きく振りながら背後を気にかけ始める。


 が、完全に俺から視線を外すことはしない。


 よほど俺のことを警戒しているのか、トカゲは威嚇するような視線を俺に向けたまま、ジリジリと移動を続けている。


「このままいくとまずいな……何か、弱点とかあれば、って、普通に考えれば水だよな」


 考えるまでも無く、すぐ傍にある川に叩き込めれば、強烈な熱を帯びているトカゲの身体は一気に冷却されるだろう。


 それが決定的な一打になれば良いが。


「ドワイト! 俺に考えがある! 少しだけこいつの注意を引いてくれ!」


「分かった! なるべく早くしろよ!」


 ドワイトは短く返事をしたかと思うと、よりいっそうトカゲの注意を引くように、声と石で刺激を与え始めた。


 おかげで、俺に注がれていた視線の矛先が、ドワイトへと向かう。


 この隙を逃すわけにはいかない。


 すぐさま川の中に走り込んだ俺は、トカゲが正面に来るように座りこむと、両手を水の中に突っ込んだ。


 冷たい水がズボンに染み込み始めるが、気にしている場合じゃない。


 両手の指先から一直線にトカゲへと向かって伸びる矢印を思い描いた俺は、躊躇することなく魔法を発動させた。


 途端、高圧水流となった川の水が、俺の眼前で立ち上がり、直角に曲がってトカゲへと飛んでゆく。


 トカゲに放たれた大量の水は、凄まじい勢いで蒸気と化し、辺りの湿度を上げて行く。


 それでも、俺が水流を止めることは無かった。


「まだだ、まだ足りない! もっと冷ませ!」


 このトカゲがどうやって熱を生み出しているのか、細かな話はこの際置いておくとして、必ず元になるエネルギーのような物があるはずだ。


 つまり、それが尽きてしまえば、トカゲにとっては致命的なダメージになるのではないか。


 それが、俺の考えだ。


 と、俺の目論見が当たったのか、激しく音を立てていた蒸気の音が、パタリと止む。


 蒸気と水流のせいで、全身ずぶ濡れになってしまった俺は、ゆっくりと魔法を解くとその場で立ち上がった。


 立ち上る蒸気がゆっくりと色を失ってゆき、次第にトカゲの様子が露になる。


「上手く行ったか?」


 先程までよりも黒ずんで見えるトカゲが、身を守るように、身体を縮めている。


 その身体が放っていた熱気は見る影もない。


 念のために、そこらに転がっている石を拾い上げた俺が、石を投げようと構えた時。


 トカゲの全身を覆っている鱗が全て、音も立てずに開いた。


 突然の事に、一瞬脚を止めた俺は、明滅するトカゲの地肌を目にして嫌な予感を覚える。


「ドワイト! 隠れろ! 身を隠せ!」


 俺は咄嗟に叫びながら、一番近くにあった大きな岩の影に飛び込む。


 岩に背中を預けて座りこみ、じっと耳を傾けた俺は、直後、何かが弾けるような激しい音と風を切るような音の二つを聞き取った。


 それらを聞きながら、岩の縁から覗き込んでいた俺は、四方八方に飛び交うトカゲの鱗を目にして、固唾をのむ。


 もし、予兆に気づかずに川辺に突っ立っていれば、四散する鱗に全身を貫かれていただろう。


「なんつーバケモンだよ……でも、これで鱗は無くなったか?」


 音が鳴り止むのを待ち、恐る恐る様子を覗き込んだ俺は、トカゲが完全に動きを止めていることを確認する。


 鱗が無くなったトカゲの肌も、完全に黒ずんでいる。問題は無さそうだ。


「ふぅ……今までに戦った魔物の中で、一番ヤバかったな。なんなんだ? こいつ」


 溜息とぼやきを溢しながら岩陰から出た俺は、ドワイトの姿を探す。


 周囲に目を凝らしていた俺は、俺が隠れていた大きな岩に、いくつものぶ厚い鱗が深々と突き刺さっているのを目にし、改めて固唾をのんだ。


「ドワイト! 無事か? トカゲはもう動いてないから、大丈夫そうだぞ!」


 声を掛けながらゆっくりとトカゲの方に歩み寄った俺は、茂みががさがさと揺れたのを確認する。


「ドワイトか?」


 小走りで茂みの方へと向かった俺は、座り込んで呻き声をあげているドワイトを見つけた。


 彼は左足を怪我してしまったようで、真っ赤な鮮血が、周囲の草を赤く染めている。


「ドワイト! 大丈夫か!?」


「大丈夫だ。直撃はしていない。ただ、一つ掠ってしまった」


 掠っただけの威力には到底思えない傷跡に、俺がたじろいでいると、静かな目でドワイトが見上げてくる。


「ウィーニッシュ。岩陰に隠れている二人を連れて、洞穴に戻れ。俺は自分で何とかする」


「何言ってんだよドワイト! ちょっと待ってろ! 何か手当てできるようなものが無いか探すから!」


 そう告げた俺は、一旦川に走ると、上着を脱いで洗浄する。


 水洗いで良いのかは分からないが、洗わないよりはマシな筈だ。


 急ぎドワイトの元に戻った俺は、洗い立ての上着をドワイトの脚の傷口に当て、止血を始めた。


「ここ、抑えてろ! 絶対に気を失うなよ!? 良いな!?」


 ドワイトに傷口を抑えさせた俺は、袖口を結んで上着を固定した後、近くにあった大きめの石の上に、彼の脚を乗せた。


「傷口はなるべく心臓より高い位置、だったよな!? で? あとは何をすればいい?」


 怪我をしている俺よりも冷静な様子のドワイトは、傷口を抑えながらも、俺の肩に手を添えてくる。


「落ち着け、ウィーニッシュ。俺はまだ大丈夫だ。それよりも、岩陰の二人を頼む。俺よりも怪我がひどいかもしれない」


「は!? それで落ち着いていられるかよ!? マジか……。ちょっと様子を見て来る! じっとしてろよ!?」


 そう言った俺は、未だに動かないトカゲのすぐ脇を通って、ドワイトの言っていた岩陰へと急いだ。


 そこに身を隠していたのは、二人の女性だった。


 一人に関しては、見覚えがある。


 つい先日、母さんと木の実の調達をしていた、調達班のリーダーであるモイラだ。


 彼女は頭を強く打ったのか、額から血を流したまま、意識を失っている。


 もう一人は、完全に見たことの無い女性だった。おまけに、見たことの無い種族だった。


 両腕が大きな翼になっている、鳥の亜人。


 両足も猛禽類のそれに近い形状をしているその女性は、右足と右の翼に重そうな金具を身に着けていた。


 彼女もまた、意識を失っているようで、緩やかな呼吸だけが確認できる。


 と、その時。


 何か大きなものが動く気配を、俺は全身で感じた。


「まさか……!?」


 咄嗟に岩陰から飛び出してトカゲの様子を見た俺は、絶望する。


 のそりと体を起こしたトカゲが、ゆっくりとドワイトの方へと目を向け始めて居るのだ。


 今いる場所から川に向かうのは時間が掛かりすぎる。直接殴りに行った方が良いか?


 一瞬、俺が躊躇したその瞬間。


 俺は一陣の風が周囲の空気を巻き上げて行くのを目にし、同時に、待ち望んだ声を耳にしていた。


「少年、サラマンダーを仕留める時は、ちゃんとコアを破壊しなくちゃいけないよ? こうやってね」


 声のする方を見上げた俺は、宙に浮かんでいるヴァンデンスと、その隣に浮かんでいる巨大な氷の杭を目の当たりにする。


 ヴァンデンスがおもむろに右腕を振るうと、その動きに合わせるように、氷の杭がトカゲ、もとい、サラマンダーに向かって急降下を始めた。


 ズシン。


 という地響きと共に、サラマンダーの胸部を、倍の大きさはありそうな氷の杭が貫く。


 見間違うことの無い決定打を目にした俺は、完全に息絶えたサラマンダーからヴァンデンスに視線を移すと、思わず声を上げたのだった。


「師匠! 遅いんだよ! この野郎!」


「それが助けに来た師匠に対していう言葉か!?」

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