第41話 知らぬ間の災禍

 生い茂る木々の間を縫いながら飛び交うその様は、まさに風のようだと言っても過言では無いだろう。


 凄まじい速度で流れて行く周囲の光景を、チラッと横目で見ながら、俺は両足を前に出して着地の態勢に入った。


 前方に伸ばしていた右腕をサッと引き、ほぼ同じタイミングで踵が地面に付く。


 途端、俺の身体は一気に前のめりに倒れ込み、そのままゴロゴロと地面を転がってしまう。


 ようやく勢いが止まったことで、脱力した俺は、地面に大の字に寝転がっている状態だ。


 空を覆い隠すような枝葉の天井は、ここ何日かでもっとも頻繁に見ている景色だろう。


「くっそ~、飛び回るのは案外うまく出来るようになってきたんだけどなぁ……着地が上手く行かないなぁ」


「ふごふごふごふご」


 一人でぼやく俺の背中辺りから、もごもごと言う声が聞こえてくる。


 その声を聞き我に返った俺は、すぐに立ち上がると、背中に張り付いていた筈のシエルに声を掛けた。


「シエル、大丈夫か?」


「ちょっと! 転がるなら転がるって言っときなさいよ! ぺッ! 砂を食べちゃったじゃない!」


「すまん、今度こそ上手く行くと思ったんだよ」


「ニッシュを信じた私が馬鹿だったわ……で? 今のは何が原因で泥まみれになったの?」


「さぁ……師匠はどう思う?」


 ゆっくりと歩み寄って来ていたヴァンデンスに気が付いた俺は、背中の泥を落としながら声を掛けた。


「う~ん……そうだなぁ、手を離すのが遅すぎるように見えたなぁ」


「手か……」


 ヴァンデンスの言葉を聞き、俺は自身の右手を凝視する。


 俺の使っている魔法、ジップラインでは、力の道筋のような物を空中にイメージしている。


 その道筋に、右手を重ねることで、身体ごと引っ張ってもらっているワケだ。


 当初、風魔法で飛ぼうとしていた時と大きく異なるイメージだけど、こればかりは仕方がない。


 風に乗って飛ぶヴァンデンスの飛び方に比べて、どこか不格好に見えてしまうが、汎用性はこちらの方が高いのではないかと、俺は思っている。


 この魔法を、俺達は力魔法と呼ぶことにしていた。


 そのままと言われればそのままだが、他に呼び方も思いつかないので、勘弁してもらおう。


「タイミングが難しいんだよなぁ……でも確かに、ちょっと遅かったか?」


「あとは慣れが必要ね。そろそろ時間だし、今日はこの辺にしとく? と言うか、もう地面を転がるのはこりごりだわ」


「そうだな、少年、洞穴に戻るついでに、服の手入れもしてきたらいい。もう、ボロボロになってるぞ」


「え? あ……ほんとだ、でも、替えの服ってあったっけ?」


「いいや、でも、最近仕入れたものがあるだろ? ほら、三着ほど」


「あぁ……」


 肩眉を上げながら得意げに告げるヴァンデンス。彼の言っている言葉の意味を、俺は即座に理解した。


 つまり、山賊から剥ぎ取った衣服のことを言っているのだろう。


 結論から言えば、捕虜にしていた山賊達は、特に誰の指金と言うわけでもなかったらしい。


 それが本当か嘘かは分からないが、ヴァンデンスが言うのなら、信じる他に無い。それ以上の追及をしてもあまり意味を成さないからだ。


 そうして、尋問を受けた山賊達は、ヴァンデンスによって身ぐるみを剥がされた後、森の奥地に解放されたのだった。


 自分達が食べていくので精一杯なこの状況で、監視と食事が必要な捕虜の存在は益が無いとの判断だ。


 俺としては、少々危険な気もしていたが、かといって殺してしまうのもどうかと思っていたので、妥当だと考えている。


 そのような事を考えていた俺達は、俺の右腕によって深い穴があけられた木の元に集まる。


 その木以外には特に何もないように見えるのだが、ヴァンデンスが指を鳴らすと同時に、その認識は覆る。


 木の根元に、眠っている三人の子供達が、突然姿を現したのだ。


 まるで、透明に見えるベールを剥がされたように、突然姿を現した三人に、俺はしゃがみ込みながら声を掛ける。


「レネ、ハンター、ハキム、起きろ。そろそろ洞穴に戻るぞ」


 俺達が今こうして特訓をしているのは、まだ日が昇って間もない早朝だ。


 そんな時間になぜ、子供たちがここにいるのかと言うと、俺とヴァンデンスが、子供たちのお守り役だからだ。


 まだまだ生活の基盤が出来上がっていない状況で、他の皆は朝から忙しくしている。


 なら、特訓がてら俺達が面倒を見てあげるのが一番安全だとの結論に至ったのだ。


 ヴァンデンスの近くに居れば、姿を隠すことも容易い。


 俺はなんとなくヴァンデンスと彼の肩に止まっているラックを見上げる。


 と、子供たちの内二人が反応を示した。


「んんぅ……もう朝?」


「俺、寝てなかったよ……」


「……」


 眠そうに眼をこする少女レネと、寝ぼけた様子で寝ていなかったと言う少年ハンター、そして、ぐっすりと眠っているハキム。


 レネのバディである小さなスズメとハンターのバディであるうさ耳の小人は、二人の間で仲良く寄り添いながら寝ている。


 ハキムのバディは、恐らくハキムのもさもさとした髪の中で寝ているのだろう。


 まだ10歳にも満たない彼らにとって、この時間から起きるのは中々に辛い事のようだ。


 そんな彼らを見ていると微笑ましく見えてしまうが、そうも言っていられない。


 取り敢えず、起きる気配のないハキムの頬を軽く叩きながら、俺はもう一度声を掛けた。


「ほら、ハキム、起きろ~」


 俺の声に応えるように、ハキムが鼻をピクピクと動かす。


 と、寝ていた筈のハキムが薄っすらと目を開け、掠れた声で呟いた。


「なんだか今日は焦げ臭いなぁ……」


「焦げ臭い? そんなこと……」


 ハキムが寝ぼけていると思い、もう一度彼の頬を軽く叩こうと思った俺は、思わず手を止めた。


 彼が言うように、確かに焦げ臭いにおいが、地面を這ってきているように感じたからだ。


 咄嗟に立ち上がって、周囲を見わたしながらニオイを嗅いでみると、微かに、何かが焦げているようなニオイを感じる。


「師匠……」


「……今日は肉料理かな? なんて、冗談言ってる場合じゃないね。ゴメンって、そんな目で見るなよ」


 こんな状況でも冗談を言ってのけるヴァンデンスを、俺とシエルは鋭く睨みつける。


 流石のヴァンデンスでもそれ以上の軽口を叩くつもりは無いのか、寝ぼけ眼のレネとハンターを担ぎ上げ始めた。


 俺もすぐに、ハキムを担ぎ上げると、洞穴目掛けて走り出す。


「昨日の今日で、もう仕掛けて来たのかしら!?」


「まだ分からないだろ! また山賊かもしれないし、小さなボヤかもしれない。まずは、三人を洞穴に避難させるのが一番だ」


 シエルが言っているのは、昨日見た、ザーランドに入って行った人々の事だろう。


 その行列が何だったのか、結局分からずじまいだが、推測は立てられる。


 ヴァンデンスとも話した結果、恐らくバーバリウスが奴隷の補充を行なったのだろうとの結論に至った。


 つまり、着々と準備をしていると言う事だ。


 それを踏まえ、俺たちと同じく嫌な予感を覚えたのだろう、シエルが周囲を警戒しながら俺に声を掛けて来る。


「私だけでも、先に様子を見に行こうか!?」


「いや、シエルと少年は洞穴に戻って、皆と一緒に居るんだ。今回はおじさんが様子を見に行こう」


「分かった!」


 走りながら応えた俺とシエルの様子に、頷いて見せたヴァンデンスは、走る速度を更に加速させた。


 抱えられている二人がきつそうだなと考えながらも、俺も速度を上げる。


 瞬く間に皆の元に辿り着いた俺達は、子供たちを洞穴に降ろすと、西に広がる森を見つめる。


「じゃ、皆を頼んだよ」


 そう言い残して、飛び去ってゆくヴァンデンスを見送り、俺達は俺達で防御を固めようとした時。


 森中に甲高い悲鳴が響き渡ったのだった。

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