第34話 異なる常識
森の中で地べたに座り込みながら状況の整理をした俺達は、無言のまま、こぶし大の穴が開いている木を見つめていた。
説明するまでも無く、その穴は俺が先程開けたものだ。
「つまりだ、少年にとって風のイメージは、矢印で表現するもの……ってことで間違いないのか?」
「まぁ、そういう事になる」
「どんな認識してるのよ」
「認識は人それぞれって言うだろ?」
「私はアンタのバディなんだけど?」
「……」
シエルとヴァンデンスの訝しむような視線を受けながら、俺は口を噤んだ。
さて、どう説明すれば納得してくれるか……。
前世の記憶が残っている影響で、この世界で言う「普通」とはかけ離れた常識を持っている。
なんて、信じてもらえるのか。
と言うか、矢印が風のイメージって部分には、俺も納得していない。
「風と言うより、力だよな。ベクトルとか。運動エネルギー?」
「あー! それ私も思った。後半は何言ってるか分かんないけど……。ねぇ、ヴァンデンス。今のって本当に風魔法なの?」
「ふむ……そうだなぁ。おじさんも魔法の専門家ってわけじゃないからなぁ。確かに、風を放出したって感じでは無かった。強いて言うなら、少年の身体を包むほどの突風が発生した……とかになるのか?」
「でも、私は何も感じなかったわよ?」
深く考え込むシエルとヴァンデンスを横目に、俺は自分の手を見つめる。
なにはともあれ、魔法を使えたことに、俺は胸を躍らせていた。
完全に未知の領域だと感じていた魔法が、俺の持っているイメージで扱うことが出来る。
それだけでも大きな進歩じゃないか?
「なぁ、師匠。他の魔法はどんなのがあるんだ?」
「他の魔法? その腕で続けるつもりなのかい? 取り敢えず、先に腕を洗った方が良いんじゃ?」
「これくらい大丈夫だって!」
「そうか。まぁ、余裕もそれほどあるわけじゃないし、次に行くとしよう。次は炎魔法だ。これが使えれば、マーニャちゃんを助けることが出来るぞ」
そう言ったヴァンデンスは、右手の人差し指を突き立てる。
途端、彼の人差し指の先端に、小さな炎が生み出された。
その炎は、まるで蝋燭の炎のように赤く輝きながら、揺らめいている。
「イメージとしては、体の中から炎が湧きだしてくる感じだ。こう、ボォー! って感じで。そうして、湧き出してきた炎を、感覚で調整するだけだよ」
「……風魔法の時も思ったけど、魔法って、感覚重視なんだよなぁ」
「それは仕方が無いだろ? より効率のいい方法なんて、貴族連中が独占してるんだし」
「それじゃあ、俺がどんだけ頑張っても、バーバリウスには勝てないって事か?」
「それは、やってみなけりゃ分かんないさ。何しろ、少年は普通の人間ではないからねぇ」
ヴァンデンスの言葉に思わずため息を溢した俺は、未だに輝いている小さな炎を一瞥した後、シエルと視線を交わした。
「私は準備出来てるわよ」
宙に浮かびながら尻尾をユラユラと振って見せるシエル。
彼女の両手は既に俺の右肘辺りに添えられていて、いつでも魔法を発動できる状態のようだ。
それを確認した俺は、ゆっくりと目を閉じると、ヴァンデンスと同じように突き立てた人差し指の先端に意識を集中する。
全身から、右手の人差し指に向けて、炎が、ボォーっと……。
「出てる?」
「全く出て無いわ」
「やっぱりか……ってことは」
ヴァンデンスに教えて貰ったイメージでは、指先に火を起こすことが出来なかった。と言うことは、やはりイメージが違うのだろう。
「火ってなんだっけ? 酸化現象だったっけ? いや、イメージ難しいなぁ」
「火のイメージってそんなに難しい? ニッシュは難しく考えすぎなんじゃない?」
「少年、火が難しいなら、熱ならどうだい?」
「熱? ……あぁ、熱なら、確かにイメージしやすいかもしれない」
そう言えば、暴走してしまった時も、全身がうだるように熱かった。
「熱っ! あ、ニッシュごめん、手離しちゃった!」
シエルの言葉で、俺は目を開ける。
俺の腕に手を添えていた筈のシエルは、赤く腫れあがった両手に息を吹きかけながら、宙を漂っている。
それ程の熱を帯びていたのか、と自分の右腕に視線を落とした時、突然、ヴァンデンスが立ち上がったかと思うと、空の方を見上げだす。
「師匠? どうかしたのか?」
ヴァンデンスの視線に釣られるように空を見上げた俺は、ゆっくりと降下してくるラックの姿を見つけた。
「ラック! それは本当か!?」
唐突に声を張り上げたヴァンデンスの姿に、思わず立ち上がった俺は、視界の端で何かが動いたことに気づき、咄嗟に身構えた。
「なんだ!?」
「ニッシュ! あそこ!」
シエルの指さす方へと目を走らせた俺は、その方角の先に母さんたちが居ることを認識する。
と同時に、茂みから一人の男が転がり出てきた。
見知った男の姿に、一瞬安堵した俺だったが、彼の状態に気づき、すぐさま駆け寄った。
「ザック! その矢はどうしたんだ! 何があった!?」
ザックの左腕に深々と突き刺さっている、手製の矢。
痛々しいその姿を前に、動揺を隠せない俺に向けて、ザックが告げる。
「襲撃だ!」
「もう来たのか!?」
「少年、走れるか? 急いでみんなの所に戻るぞ!」
そう告げるヴァンデンスの表情は、いつになく険しいものになっている。
彼の予想では、もうしばらくバーバリウス達の追手が来ることは無いだろうとのことだった。
しかし、それほど上手い話はなかったということなのだろう。
「ザック! 俺達は先に行く! 敵は何人いた?」
「分からない……すまない。僕が、僕がもっとしっかり状況を判断していれば……」
左腕を抱えながら、地面に崩れ落ちているザック。
これ以上彼と話をしても、得られるものは無いと感じた俺は、傍に立つヴァンデンスを見上げる。
「行くぞ!」
俺と視線が合うや否や、駆け出したヴァンデンスを追いかけて、俺は駆け出した。
俺の肩に掴まっているシエルが、チラチラと背後を気にしているようだが、今はそれどころではない。
逸る気持ちに背中を押されて、森の中を走り抜けた俺達は、数分も立たないうちに、目的の場所へと辿り着いた。
切り立った崖の麓にある小さな洞穴。
その洞穴の入口付近で、大勢の男たちが激しくぶつかり合っているようだ。
「母さん!」
そう叫びながら茂みから飛び出した俺達は、激しく繰り広げられている乱闘の中に突っ込んだのだった。
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