第2章 湧き立つ心
第33話 風魔法
俺達がゼネヒットの東の森に逃げ込んで、既に7日が経とうとしている。
その間に、俺達は森で生活するための様々な準備を進めていた。まず初めに取り掛かったのは、寝床の確保だ。
出来る限り安全に夜を過ごすためには、寝床の確保が重要になってくる。
その点、俺達は比較的幸運だったと言えるだろう。
と言うのも、シエルのように空を飛べるバディが複数人いたからだ。
おかげで、ちょうどいい感じの洞穴を森の北東に見つけることが出来た。
次に取り掛かったのは食料と水の確保だ。
生きていくうえでもっとも重要な二つのうち、水については難なくクリアすることが出来た。
これもシエルたちのお陰である。
森の北西から南東にかけて、小さな川が流れているのを発見してくれたのだ。
残すところは食料なのだが、それについては、ザックと一緒にいた奴隷たちが試行錯誤してくれている。
「腹減ったなぁ……」
今朝食べた野草と木の実のことを思い返して、俺が呟くと、同じく腹部を抑えているヴァンデンスが、鋭く告げた。
「少年、集中するんだ。でないと、いつまでたってもうまくいかないぞ?」
「腹が減ってるから、集中出来ないって」
「才能が無い言い訳は止めたらどうだ?」
「ニッシュ、もう一回やりましょう! この呑兵衛をギャフンと言わせるのよ!」
「そうだな!」
「おいおい、誰が呑兵衛だ! この一週間、おじさんも酒を我慢してるんだぞ!? これでも、頑張ってるんだ!」
そう言いながら、指先が若干震えてるのは、禁断症状じゃねぇのかよ。と、俺は心の中で呟きながらも、目の前へと意識を集中する。
木々の並ぶ森の中に立ち尽くしている俺は、前に突き出した右腕を、数メートル離れた一本の木に向けている。
そんな俺の右腕に手を添えているシエルが、俺に目配せをすると、小さく頷いてくる。
それを合図に、俺は右の掌を強く握り込んだ。
途端、右手の先からか細い音が鳴り響いたかと思うと、反動が右肩にまで上がってくる。
「ダメダメだな……このやり方は、少年には向いてないのかもしれない……さて、どうしたもんか」
今俺がやろうとしているのは、風魔法と呼ばれるものらしい。
何でも、ヴァンデンスが空を飛ぶ際に使う魔法の基本中の基本と言うことで、機動力を上げる目的で、初めに練習を始めた。
のだが、一向に上達する気配が見られない。
「風魔法、風魔法、こう、腕の先から、風が飛び出してくるようなイメージで良いんだろ?」
「そうだ、魔法はイメージが大切だからな。肩から肘を通って、腕先から放出されるイメージだ。そんなに難しいイメージではないはずだが……」
「そうなんだけどなぁ……」
自身の腕をなぞるジェスチャーを交えながら、何とか説明しようとしているヴァンデンス。
そんな彼を見ながら、俺は再び右腕を構えた。
「肩……肘……拳の先……出ねぇんだよなぁ」
何度イメージをしてみるものの、俺の拳の先から風が放出されることは無かった。
初めてこのイメージを聞いた時は、前世で見聞きしたゲームや漫画のことを連想したのだが、そう上手くはいかないようだ。
「やっぱり、ニッシュには才能が無いのかもしれないわね」
「マジ? けど、もしそうなら、どうすれば良いんだよ」
「いや、少年に才能が無い訳じゃないと、おじさんは思うけどね。広場で暴走した時は、ちゃんと魔法使ってたわけだし」
「え? 俺、魔法使ってたの?」
「使ってたと言うか、暴走させてたかな。全身から熱気を出したり、地面を叩き割ったり。記憶にないのかい?」
言われてみれば、そうだったかもしれない。
けど、あの状態をどうやって引き出せば良いのか、ひいては、制御するにはどうすれば良いのか、皆目見当もつかない。
「何か、魔法を使うのに大切な物って、他に無いのか? イメージだけ? 魔力が必要とか、よくある話だろ?」
何かしらのヒントが無いのかと、俺はヴァンデンスに問いかける。
「他にねぇ……魔力については、あまり聞いたことないが、バディがいれば、基本的に誰でも使える筈なんだけどなぁ」
一瞬の沈黙ののちに、シエルがハッと思いついたように、呟いた。
「ちょっと思ったんだけど、ニッシュのその手の紋章が、何か関係あるとかは?」
「暴走した時に魔法は使えてたってことは、関係ないんじゃないのか? もしくは、光ってるときだけ、魔法を使えるとか……」
「紋章については、おじさん良く分からないなぁ……あと、あり得るとすれば、少年のイメージの醸成が上手くできていないことくらいかな」
顎に手を当てながら何やら考え込んでいるヴァンデンスが、そのように告げる。
彼の言った言葉に、どことなく引っ掛かりを覚えた俺は、シエルと視線を交わしながらも、短く問い返してみた。
「イメージの醸成?」
「そそ、風魔法とは如何なるものなのか、普通は生活の中で少しずつ培っていくイメージが、少年の中で固まっていないのかもしれない。何しろ、奴隷として生活していたんだからねぇ」
「生活の中で少しずつ培っていく……?」
ヴァンデンスの言葉を範唱しながら、俺は今までの人生を思い返していた。
ゼネヒットで慎ましい生活を送っている間は、それほど魔法に触れる機会は無かったように思える。
それでも、自分なりに練習を重ねていた結果、小石を少しだけ飛ばせる程度にしか上達しなかった。
その後、奴隷として魔物を狩る中で、風魔法と思われるものは何度か目にしてきたはずだ。
機会こそ少なかったが、ゼロでは無かったはずなのだ。
であるならば、多少なりともイメージの醸成が出来ていてもおかしくは無いのではないだろうか。
そこまで考えた俺は、ふと、一つの事実に思い至る。
「イメージの醸成? ってことは、既に確固たるイメージを持ち合わせてしまっている場合、別の新しいイメージを作り上げるのは、難しいってことか?」
「別の新しいイメージ? 少年、何か思いついたようだな」
「分からないけど、取り敢えず、もう一回やってみる」
言いながら俺は、俺の中にある“風”について、もう一度イメージを膨らませてみた。
「確か、風って気圧の差で発生するんだよな……ん? 気圧の差って、どんなイメージだ? そうだ、天気予報とかどうだ!? あれは確か、矢印で風の向きを現してたよな……矢印と言えば、ベクトル? いや、なんか難しくなってきたぞ?」
「ニッシュ、さっきから何言ってるの?」
俺の右腕に手を添えたシエルが、呆れた表情を浮かべながら視線を投げ掛けてくる。
そんな彼女を一旦無視して、なんとなくイメージを浮かべた俺は、一つ深呼吸をすると、シエルとヴァンデンスに向けて告げた。
「よし、やってみるぞ」
構えた右腕の延長線上にある木を睨み、もう一度深呼吸をした俺は、一思いに拳を握り込んだ。
次の瞬間、俺の身体は右の拳に引っ張られ、瞬く間に前方に吹き飛ばされてしまう。
予想外の衝撃に、思わず目を閉じてしまった俺は、右手の拳に痛みを感じ、ゆっくりと目を開ける。
初めに視界に入ったのは、肘まで木にめり込んだ俺の腕。
深々と突き刺さっている俺の腕からは、ポタポタと血が滴っている。
「少年! 無事か!?」
「え? 何が起きたの?」
背後からはヴァンデンスとシエルの声が聞こえてくる。
取り敢えず、このままでは背後を振り返ることもできないと思った俺は、左手で木を押さえつけながら、何とか右腕を抜き取った。
肘から先に、大量の擦り傷を負ってはいるが、骨折などには至っていない。
駆け寄ってきたヴァンデンスとシエルに視線を向けながら、俺は呟く。
「どうなってんだ?」
「少年、今、どんなイメージで魔法を使ったんだ?」
「今のって風魔法なの? なんか、拳から風を出すと言うより、ニッシュの身体自体が前に吹っ飛んで行ったけど……」
興奮気味のヴァンデンスと、不安げなシエル。
そんな二人の問いに応えるために、俺は今抱いていたイメージをそのまま口にした。
「俺の拳から木に向かって、一本の矢印をイメージしてみた」
俺の答えを聞いた二人は、ただただ、困惑を示したのだった。
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