第32話 臨めば臨むほど

「少しは目が醒めただろ?」


 黙り込んでしまっていた俺達に向けて、ヴァンデンスはそう呟くと、手にしていたガラス細工を俺に向けて放り投げた。


「うわっ! ちょっ!」


 回転しながら飛んでくるガラスの蝶を、何とか両手で受け止めた俺は、その精巧な細工に目を奪われてしまう。


 羽の模様や触角のつくりなど、細かなところまで作り込まれているこれを、ヴァンデンスはほぼ一瞬で作り上げてしまった。


 そう簡単に成せる技では無いだろう。


「……これ、どうやったんだ?」


「知りたいか? だったら、これが一つ目のレクチャーだ。魔法はな、ここを使うんだよ」


 ニヤリと笑って見せたヴァンデンスは、ゆっくりと自身の頭を指差しながら告げる。


 頭を使うという意味だろうか。


「頭かぁ……」


「まぁ、具体的なことは追々教えてやるよ。それは良いとして、結局、これからどうするつもりだ?」


「どうするって……アンタが教えてくれるんじゃないのか? さっきドヤ顔で言ってたじゃん」


 つい今しがた、ヴァンデンスが告げていた言葉を思い出しながら、俺は返答した。


 すると、ヴァンデンスは大きなため息を溢し、やれやれと首を横に振って見せる。


「分かってねぇみたいだから、もう少し話してやろう。今の少年たちの状況を。ザックとやらは充分理解しているみたいだけどなぁ。恐らく、当面の間はゼネヒットからお前たちを狙った刺客が来ることは無い。少なくとも、街の中でイザコザが増えるだろうからな」


「バーバリウスと傷の男が争うって事か?」


「そういう事だ。だが、それも長くは続かない。どこかのタイミングで、こう着状態に陥るだろう。そうなると、次はどうなると思う?」


 問いかけたまま沈黙を続けるヴァンデンスを見ながら、俺は考える。


 ヴァンデンスの言う通りの状態になった場合、バーバリウスはどうするだろうか。傷の男はどうするだろうか。


 各々が、相手の組織を潰すために、戦力の増強を図るのではないだろうか。


 出来ることと言えば、傭兵や奴隷を増やしたり……。


 そこまで考えた俺は、ハッと息を呑み、母さんとマーニャに目を向けた。


 固まってしまったマーニャの傍で、静かに佇んでいる母さんは、どこか不安げな表情をしている。


「気づいたか? そう、お前さんが鍵になるんだよ、少年。残念なことに、少年の力は既に、双方に知れ渡っているんじゃないのか? なにしろ、あれだけ暴れたんだ。それも、大勢の奴隷の前で」


「だったら! 早くここから逃げてしまえば良いじゃないか! 母さんとマーニャを連れて……」


 三人で逃げ出せばいい。


 何なら、ヴァンデンスも着いて来てくれれば、何よりも安心だ。


 胸の内に浮かんでくる言葉の数々を、俺は噛み殺す。


 十人を超える奴隷たちが、何も言葉を発することなく、ただ立ち尽くしている。


 そんな彼らは、何かに縋るように、俺へと視線を飛ばしているようだった。


 なぜ、俺は彼らに配慮して、思っていることを言えないでいるのだろう。


 奴隷である彼らを助けて、俺にとって何らかのメリットがあるようには思えない。


 頭を過った考えを吐き捨てようと溜息を吐いた俺は、ふと、奴隷達の中に居る幼い子供に気が付いた。


 歳は俺よりも幼いのだろうか。


 俺と目が合ったその少年は、何か思う所でもあるのか、静かに俯いてしまった。


 そんな少年を見て、俺は思わず呟いてしまう。


「……どうすれば良いんだよ」


「ヴァンデンスさん。これ以上は止めましょう。彼はまだ、幼い子供なんです。これ以上の重責を、彼一人に押し付けるわけにはいきません。僕たちは、自分たちで身を守りますので……」


「何を言ってんだ? ザック、お前さんも充分承知してるだろ? そんなことは不可能だって。さっき自分で言ってたじゃねぇか」


 俺の呟きを聞いて耐え切れなくなったのか、ザックがヴァンデンスに対して話し始めた。


 しかし、当然のごとく、ヴァンデンスはザックの言葉を一蹴してしまう。


 これでは、先ほどまでの空気に逆戻りだ。


「ヴァンデンス。結局アンタは何が言いたいんだ?」


「ん? まだ分かんねぇのか? おじさん、さっき言ったんだけどなぁ。仕方ねぇ、もう一回言ってやるよ。世界で一番強いのは、自分の思い通りに世界を作り直せる奴なんだぜ? つまり、作っちまえば良いんだよ」


 そこで言葉を区切ったヴァンデンスは、右手の人差し指を突き上げた。


「アイツらに対抗できるような、組織を。一から作れば良いだろ?」


「対抗!? そんなこと、私たちに出来るわけが……それよりも、全員で逃げた方が良いのではないですか?」


 驚きと躊躇いの混じった声で、ザックが言う。


 対するヴァンデンスは、一つ失笑を溢すと、ツラツラと言葉を並べ始めた。


「アイツらの手が届かない場所に、確実に逃げることが出来れば、まぁ、可能性はあるな。だが、少なくともバーバリウスが率いるハウンズって組織は、既にいろんな街に手を伸ばしてるんだぜ? ゴールの無い逃避行に、勝機はねぇよ。それなら……」


 再び言葉を区切ったヴァンデンスは、ビシッという効果音と共に、背後の森を指差す。


「この森に籠って、力を付けていた方が、いくらか有意義に時間を使えるってもんだ」


 ヴァンデンスの声に導かれるように、その場の全員が森へと目を向ける。


 風で騒めく枝葉や獣の駆ける音、どこかで飛び立つ鳥の翼の音。


 突然鳴り響いた狼の遠吠えを耳にした俺達は、図らずも、全員が息を呑んだ。


「さて、そろそろ状況を理解しただろう? 改めて聞くぞ。少年、これからどうする? この選択は、一番初めに少年が決めねぇと始まらねぇ。それくらいは、分かってるだろ?」


 なぜ俺なんだ?


 母さんやザックではダメなのか?


 なんなら、ヴァンデンスでも良い。


 誰か、決めてくれよ。


 湧き上がってくる言葉の数々を飲み込みながら、俺は母さんに視線を向けた。


「ウィーニッシュ……。あなたの好きに決めなさい」


「母さん……」


 優しく微笑む母さんに背中を押されるように、俺は決心する。


「ヴァンデンス……いや、師匠。俺、強くなれるかな?」


のぞめばのぞむほど、なれる筈だ。少なくとも、おじさんの知ってる世界は、そうやって出来てる。それにしても、師匠って呼ばれるのは心地いいな……弟子よ、もう一回言ってみせてくれ」


「……ザック、だったか? そういう事だ。一応全員のバディは解放するから、付いて来たい人だけ、俺たちに着いて来てくれ。どうするかは、それぞれに任せる」


 急におどけて見せるヴァンデンスを無視した俺は、呆けて立ち尽くしているザック達に向けて言い放った。


 それから、奴隷たちのバディを開放した俺は、闇に溶け込むように、森の中へと足を踏み入れる。


 当然、俺の後に着いて来る母さんとヴァンデンスの後ろには、一人も欠けることなく、奴隷たちが歩いていた。


 肩越しにその様子を見た俺は、背負っているマーニャに聞こえないように呟いたのだった。


「マーニャが目を醒ましたら、きっと驚くだろうなぁ」

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