第31話 掃き溜めみたいなもん

 マーニャを助けようとゼネヒットに戻って、再びバーバリウスに捕まったこと。


 そんなバーバリウスと敵対している謎の組織の存在や、マーニャが凍ってしまった経緯、そしてヴァンデンスに助けられたことを母さんに話し終えた。


 改めて考えると、俺は相当な窮地を、ヴァンデンスに救われたことになる。


 地べたに座っている俺の傍らに寝かせてあるマーニャの頭を、俺はそっと撫でた俺は、少しずつ動かなくなっていった彼女の姿を思い返しながら呟く。


「マーニャ……絶対に元に戻してやるからな」


「安心しろ、おじさんが付いてんだ。絶対に助かるさ」


 根拠に欠けるヴァンデンスの言葉が、今は何故か頼もしい。


 そこでふと、俺はバーバリウスの言っていた言葉を思い出す。


 少し忘れかけていたが、今この状況も、バーバリウスのバディに監視されている可能性が高い。


 しかし、ヴァンデンスの幻覚があれば、その監視も逃れられるかもしれない。


「なぁ、おっさん。今俺たちって監視されてたりするか?」


「監視かぁ……変な視線は感じないぞ? 今はいないんじゃないか? っていうか、本当にバディで監視してんのか? まぁ良いか、可愛い弟子のために、俺が一肌脱いでやろう。なぁ、ラック」


 木にもたれたままのヴァンデンスは、頭上をヒラヒラと飛んでいるラックに語り掛ける。


 声を掛けられたラックは、何かを承知したのか、月光に紛れるように空高くへと飛び去って行った。


「……もしかして、無視されたのか?」


「何を言ってる? ラックがおじさんの事を無視するわけが無いだろう? 辺りの偵察に行ってくれたんだよ」


「ウィーニッシュ。恩人に対して、少し失礼じゃない?」


「……ごめんなさい」


 母さんに言われては、流石の俺も謝るしかない。


「ぶははっ! 生意気なウィーニッシュでも、母親に怒られたら、さすがにしおらしいじゃねぇか! セレナさんでしたっけ? もっと怒ってやってくださいよ!」


 母さんの前でヴァンデンスをからかうのは控えよう。


 ニタニタと笑って見せるヴァンデンスを見ながら、俺が歯を喰いしばっていると、母さんが小さなため息を吐いた。


「ヴァンデンスさん。息子を助けて頂いたこと、本当に感謝しています。ありがとうございます。……ですが、もう少しお酒は控えて頂けないでしょうか? ここまでお酒のニオイが届いてますよ?」


「……すみません」


「アンタたち、似た者同士で、いい師弟関係なんじゃない?」


 母さんの指摘に平謝りするヴァンデンスを見て、シエルがぼそりと呟く。


 その呟きを聞いた俺は、反射的に声を上げてしまう。


「「どこが似てんだよ! ……っ」」


 俺と同時に声を上げたヴァンデンスが、頬を硬直させながら、こちらに視線を注いでくる。


 多分、俺も同じような顔をしているのだろう。


 シエルはそんな俺達の顔を見比べながら、短く呟いた。


「ほら」


「あ、あの~」


 シエルの呟きの後、一瞬の沈黙が広がろうとした瞬間、その隙を狙っていたかのように、奴隷の男が声を掛けて来る。


 なんとなく奴隷達に声を掛けるタイミングを逃していた俺は、立ち尽くしている彼らへと視線を移した。


 自然と、声を発した奴隷に、皆の視線が集中してゆく。


「お、僕はザックだ。よろしく」


 そう言ったパッとしない姿の男は、俺の姿をまじまじと見ながら言葉を溢す。


「君が、セレナさんの息子さんで合ってるんだよね? ……噂のバーサーカーが、本当にこんな少年だったなんて」


「ちょっと待ってくれないか? バーサーカー? え? 俺の事?」


「う、うん。凄く有名だったよ? ダンジョンで嬉々として魔物を倒してしまう子供の奴隷がいるって。皆、狂戦士とかバーサーカーだって言ってた」


「嬉々として……って。いや、そんなことはどうでも良いや。それより、ザック達はどうしてこの森にいるんだ?」


「君たちと一緒だよ。僕らも、ゼネヒットから逃げて来たんだ。突然街のあちこちで火事が起きて、その騒動に紛れてね。まぁ、僕たちは運が良かったんだと思う。けど……」


 そこで口を噤んだザックは、重たいため息を溢すと、周囲に立っている他の奴隷たちを見て、改めて言葉を溢す。


「僕らがまた捕まっちゃうのも、時間の問題だよね」


 ザックが溢したその言葉には、様々な感情が込められているのだろう。


 不安や恐怖だけでなく、ここまで逃げおおせた事に対する希望や、透けて見える未来への絶望。


 それらの感情を吐き出して、何とか心の平穏を保とうとしているのか、ザックや他の奴隷たちは拳を握り締めながら立ち尽くしている。


「……まだ分からないだろ? そうだ、俺がみんなのバディを開放するから! そうすれば、魔法だって使えるようになるし、もしかしたら……」


 少しでも希望を抱いて貰えたら。


 そんな思いでザックに語り掛けた俺は、薄っすらと微笑みを浮かべる彼の表情を前に、理解する。


 感情を吐き出して、吐き出して、吐き出しきった彼の中に残っているのは、残りカスの諦念だけなんだと。


 視界の端で、俺の右手が煌々と光を放ち始めた。


 間違いない。


 ここに来て俺は、ようやく気が付いた。


 左手は、俺が諦念を抱いた時。


 右手は、誰かが諦念を抱いていると、俺が気付いた時。


 こうして、光を放つのだ。


 まるで、もう全てを諦めてしまえと語り掛けて来るように。


「おいおいおいおい! なぁに辛気臭い空気になってんだぁ!?」


 ザックの表情を前にして、言葉を失っていた俺は、唐突に叫び声をあげるヴァンデンスの言葉で我に返る。


 相変わらず空の酒瓶を手放そうとしないヴァンデンスは、もたれていた木からよっこらせっと立ち上がると、その場の全員の中心に歩み出た。


 その場の誰しもが、黙ったままヴァンデンスの姿を見つめている。


 正直な話をすれば、この時、俺を含めた全員が、この酔っ払いの話を真剣に聞こうとしていなかっただろう。


 だからこそ、俺達は圧倒されたのかもしれない。


 俺達の中心に立ったヴァンデンスが、空に向けて右腕を高々と掲げた瞬間、彼の突き立てた人差し指から、大量の蝶が現れたのだ。


 赤に青に緑に紫に、ありとあらゆるカラフルな蝶たちが、神々しいとさえいえる程の光を携えながら、俺達を包みこんでゆく。


 その光には、どこか優しい温もりも内包されており、俺は次第に心が安らいでゆくのを感じた。


「わぁ! ニッシュ! これが魔法なんだね! 私達にも出来るかな!?」


「これは、どうなってるの!?」


 シエルや母さんが口々と溢すのを耳で聞きながら、俺は相変わらず立ち尽くしているザックの姿を凝視してしまった。


 彼の頬に伝う一筋の涙が、蝶たちの放つ大量の光を、キラキラと反射している。


 その光景に見惚れてしまいそうになった時、中心で立ち尽くしていたヴァンデンスが、今までにないほどの大声で叫び始めた。


「お前らはこの上ないほどの幸せ者だぁ! なんたって、この俺とラックに会えたんだからなぁ! 幸運なんだよバカ野郎! この際だ、嫌なもん全部吐き捨てちまえ! どうせ、この世界は掃き溜めみたいなもんなんだ! 捨てれるもんは今ここで全部吐き捨てろ! そして、空っぽになったら次は、生み出すんだよ! 良いか! 俺が教えてやる! この世界で一番強いのはな! 自分の思い通りに世界を作り直せる奴なんだぜぇ!? こんなふうにな!」


 叫び終えたヴァンデンスは、おもむろに左手に持っていた酒瓶を空高く放り投げた。


 かと思うと、俺達の周囲を飛び交っていた大量の蝶たちが、一斉に空き瓶に向かって飛び込んでゆく。


 その勢いがあまりにも強すぎるのか、突然発生した風圧に、俺は思わず目を閉じてしまう。


 刹那。


 風が止み、光が薄れ、静寂が漂った。


 俺達の中心に立っているヴァンデンスは、相変わらず誇らしげな表情のまま、右手を高々と掲げている。


「キレイ……」


 誰かが、そう呟く。


「あぁ、キレイだな」


 釣られるように呟いた俺は、ただひたすら、ヴァンデンスが掲げている巨大な蝶のガラス細工に見惚れていたのだった。

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