第30話 弟子入り

 ゼネヒットの東に広がっている森の前で、俺とヴァンデンスは寝転がって空を仰ぎながら呼吸を荒げていた。


 突然激しい運動をしたためか、両手両足がブルブルと震えてしまっている。


 何度か咳き込みながらも、ようやく息を整えた俺は、隣で大の字に寝ころんでいるヴァンデンスに向けて声を掛ける。


「どうやったらそんなに速く飛べるんだよ……」


 言葉と共に漏れ出る吐息が、薄闇の中に消えてゆく。


「ちょっと待て、今はそれどころじゃねぇ……ったく、酒を飲んだ人間に激しい運動をさせるのは、どこのどいつだよ」


「アンタが言い出したんだろうが!」


「うっ……気分悪くなってきた」


 呻き声を上げながら顔をしかめているヴァンデンスと、その鼻先に止まっているラックを見た俺は、ため息を吐く。


 ため息と共に震えが抜けていくのを感じた俺は、全身に喝を入れて、ゆっくりと立ち上がった。


「魔法で飛んでたくせに、なんで疲れてんだよ……って、今はそれどころじゃないよな」


「ニッシュ! セレナはこの森にいるんだよね? 私、ちょっと探して来るね!」


「あぁ、頼んだ! 気を付けろよ!」


「は~い!」


 倒れているヴァンデンスをあきれ顔で眺めて居たシエルが、思い出したように告げると、森の中へと飛び去ってゆく。


 彼女の後ろ姿を見送った俺は、傍に寝かせていたマーニャを背負い直すと、ゼネヒットの方へと目を向けた。


「改めて見ると、遠いよなぁ」


 思っていた以上に離れている街の灯りを見ながら、俺はつい今しがたの競争のことを思い返してみる。


 南門を飛び越えて、全速力で走った俺と、魔法で空を飛んだヴァンデンスの競争。


 浮上時のゆっくりしたスピード感を見て、これなら楽勝と思った俺だったが、現実はそう甘くは無かった。


 結論から言えば、競争に勝ったのはヴァンデンスだ。


 スタートダッシュさえしっかりしていれば、などと言う希望すら、抱かせないほどに、圧倒的だった。


「俺も魔法が使えれば……」


「なんだ? 少年は魔法を使えないのかぁ……それは、俺も大人げない事をしたなぁ」


「……腹を踏んで欲しいのか? おっさん」


 青白い顔色のままにやけて見せるヴァンデンスは、俺の言葉を聞いて更に顔色を悪くした。


 それでも、立ち上がることが出来る程には回復したらしく、近くの木に持たれながら、深呼吸をしている。


「はぁ……やっぱり、森の空気は良いねぇ。で、少年のお母様はどこに居るのかな? っと、このままじゃ流石にみすぼらしいか? 今日の朝、髭を剃っとくんだったなぁ」


「何ぶつくさ言ってんだよ……今シエルが探しに行ってくれてるから、大人しく待ってろよ。それより、色々聞きたいんだけど……」


「聞きたい事? いいぞ、何でも聞いてくれ」


 珍しく素直にそう言ったヴァンデンスは、流れるような動作で地べたに転がっていた酒瓶を拾い上げると、残っていた酒を全て、飲んでしまった。


「まだ飲むのか……」


「おじさん、酒が入ってないと、人見知りするタイプなんだよ」


 おどけて言うヴァンデンスの言葉を、俺は無視することにした。


「……まず初めに聞きたいのは、マーニャを戻す方法だ。どうやって元に戻すんだ?」


「魔法さ、その娘はさっきの仮面の女の魔法で、凍ってるからな」


「これは凍ってる状態なのか……でも、それって、マーニャは無事なのか?」


「まぁ、多分大丈夫だ」


「多分!?」


「仕方ないだろ? そればっかしは、やってみなけりゃ分かんねぇんだしよ。けど、さっき見た感じだと、命までは凍ってない気がしたから、何とかなるさ」


「何とかなるさって……おっさんが治してくれるんじゃないのか?」


「いんや、おじさんじゃなくて、少年が治すんだ」


「は!?」


 驚きのあまり声を溢した俺を見て、ヴァンデンスは反応を楽しむようにニヤついている。


 なんか、ムカつくな。


「俺、魔法使えないんだけど……どうやってマーニャを治せばいいかなんて知らないぞ?」


「そのためにおじさんが居るんだ。それに、さっき言っただろ? おじさんは彼女を治す方法を知ってるって。それに、おじさんが何の見返りもなく、少年を助けるとでも思ったのか?」


「……見返り? どういう事だ?」


「おじさん、実は弟子を探しててなぁ。ちょっと前まで、一人いたんだけど、逃げ……独り立ちしちまって、次の弟子を探してたんだ。だから、少年がおじさんの弟子になってくれれば、魔法の使い方を教えてやらんこともない」


「今、逃げられたって言いかけたよな……?」


「独り立ちの聞き間違いだ。似てるし、聞き間違えてもおかしくは無いだろ?」


「似てねぇし、おかしいんだよ!」


「まぁまぁ、良いじゃん。どっちでも。それに、少年にとってはまたとないチャンスだと思うんだけどなぁ」


 そこで言葉を区切ったヴァンデンスは、小さく首をかしげて見せると、俺に問いかけてくる。


「少年、これからどうするつもりなんだ? バーバリウスの手先に監視されてた上に、あの武装集団にも喧嘩を売ったことになってるし、正直、今の少年じゃあ、その娘も母親も、守っていけないんじゃないか?」


「……っ!? ちょっと待て、監視?」


「やっぱり気づいてなかったんだなぁ。さっき治安維持局員とすれ違った時に、俺が任務とか何とか言ってただろ? あれは、ラックが少年の監視をしていた奴らから、聞き出した情報だったんだよ。まぁ、情報を聞き出した後、ラックが気絶させたから、今はいないけどな」


「全く気付かなかった……」


 俺は、マーニャを助け出すために、バーバリウスの居た広場を後にした時のことを思い出す。


 シエルを連れて走っている時に、監視をしているような人物を見かけた覚えはない。


「まぁ、姿を見えないようにしてたからなぁ。その点、おじさんとラックはその道のプロだ。すーぐに気づいちまったよ」


 鼻高々に言ってのけたヴァンデンスに、俺は何も言い返せない。


 適当な事ばかりを言っているようにも見えるが、実際、彼は本当にその道のプロなのだろう。


「で? どうする? おじさんの舎弟になるか?」


「おい、弟子から舎弟に降格してるじゃねぇか!」


 ヴァンデンスのことを見直しかけた俺は、相変わらず適当な様子に声を張り上げてしまった。


 と、その時、森の方から聞き覚えのある声が、響いてくる。


「ウィーニッシュ!?」


「母さん!」


 俺を見つけるや否や、脇目もふらず森から飛び出して来た母さんは、そのまま抱き付いてくる。


「ちょ、母さん、危ない! それに、人前だから!」


「良かった! 無事で本当に良かった!」


 両眼に涙を溜め込んでいる母さんの様子に、どこか気恥ずかしさを覚えた俺だったが、次の瞬間には、驚きに支配される。


 母さんに続くように、大勢の奴隷たちが森から姿を現したのだ。


 そんな彼らを先導するように、シエルがフワフワと飛んで来たかと思うと、説明を始める。


「ニッシュ、この人達もゼネヒットから逃げて来たみたいなの。セレナと一緒にいたから、連れて来ちゃった」


「ゼネヒットから?」


 予想外の流れに言葉を失くしてしまった俺は、ふと、ヴァンデンスへと視線を向ける。


「ん? なんだ? 我が弟子よ」


「え? 弟子? ニッシュ、どういう事?」


「ウィーニッシュ、この方は? それに、背負ってるのは……?」


 説明をしてほしい事が多いこの状況で、なぜ、俺が説明を求められているのだろう。


 そう思いつつも、俺は母さんとシエルに対して、今までの説明を始めたのだった。

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