第29話 さすらいの男

 固まったまま動かなくなってしまったマーニャを背負った俺は、おもむろに歩き出した酔っ払いの男を追いかけていた。


 酔っていて、足元がおぼつかない筈の男は、俺の予想に反してツカツカと歩みを速めていく。


「なぁ、おっさん、あの奴隷達はどうなるんだ? それと、あいつらどこに行った? まさか、おっさんが追い払ってくれたのか? ってか、さっき俺が腕を吹き飛ばしたよな? ……どうなってるんだ?」


「まぁまぁ、混乱するのも分かるけど、今は大人しくおじさんに着いて来いよ。ほら、ラックもその方が良いって言ってるぜ?」


「言ってるって……」


 言いながら、俺はすぐ隣を飛んでいるシエルと目を合わせた。


 広場から遠ざかるように歩いている男は、飄々と俺の質問を躱すと、ヒラヒラと舞いながら付いて来る鮮やかな蝶を指差している。


 ここまでの流れから推測するに、この蝶はこのおっさんのバディなのだろう。


 読んで字のごとく、無口なその蝶は、一言も言葉を発することなく飛んでいるだけである。


 完全にガキ扱いされてるよなぁ……。と嘆息しながらも、今はおっさんに着いて行くのが賢明に思えてしまう。


 そんなことを考えながら歩いていた折に、俺は前方から掛けて来る大勢の男たちに気が付いた。


「治安維持局だ! ヤバい!」


「だぁーいじょうぶだってぇ! 俺を信じろ! このまま真っすぐ通り過ぎるぞぉ」


「ねえニッシュ、私、やっぱりこのおじさんを信じるのは危ない気がするんだけど……」


「奇遇だなシエル。今まさに、俺もおんなじこと考えてた」


 自棄にでもなったのか、更に酒を煽りながらそう叫んだおっさんは、俺の方を振り返ることも無く、歩き続けた。


 正面から駆けて来る男達に焦りを抱いた俺が、自分達だけでも逃げ出そうと進路を変更しようとした時、駆けていた男達が足を止め、俺たちに声を掛けて来る。


「おい! そこの二人止まれ!」


 すぐに足を止めた俺とおっさんは、声を掛けてきた男に意識を集中する。


「こんなところで何をしている? 任務はどうした?」


 ツカツカと歩み寄って来るその男は、訳の分からないことを言い出した。


 その問い掛けはまるで、俺達が一介の兵士に見えているような内容で、当然ふざけている訳では無さそうだ。


 混乱する俺を置いてきぼりにするかのように、おっさんはその男に対して言葉を並べ立て始める。


「任務は滞りなく完了いたしました! ですが、その過程で一名が負傷してしまったため、我々二名で搬送しているところであります! 監視対象の少年は、この先の広場で気絶していますので、残りの二名で監視を続行している状況です」


「そうか、ご苦労。負傷者を搬送次第、直ちに広場へ戻るように」


「了解!」


 酒瓶を持ったおっさんは、姿勢を正すことなく、だらけた様子でキビキビと言葉を並べていく。


 その様子をシュールだと感じた俺とは異なり、問いかけて来た男はそうでも無いらしく、厳格な面持ちのまま広場の方へと駆け出してしまった。


 そんな様子を見てようやく、俺はおっさんが何をしているのか、おぼろげに理解し始めて居た。


「幻覚でも見せてるのか?」


「ん? まぁ、そんなところかな」


 きっと、さっきの治安維持局員たちからすれば、俺もおっさんも、そしてマーニャでさえも局員に見えたのだろう。


 どうやったのかと言う疑問が湧き上がってくるが、俺は自分の中ですぐに結論付けた。


 確実に魔法だ。


 そうして、しばらく歩いた俺達は、気が付けばゼネヒットの南門へと辿り着いていた。


「よし、取り敢えずはゼネヒットを出るか。おじさんも少年も、この街に居場所は無さそうだしなぁ」


「……ちょっと待て、マーニャは? いつまで固まったままなんだ? 治せるんだよな?」


「なんだ? おじさんのことを信用できないってか? 安心しろ! 絶対に治せる! ……少し時間はかかるかもしれんがね」


「はぁ!?」


「それとも、他の誰かに頼むか? まぁ、おじさんとしては、どちらでも良いけど」


 話しが違うと言いそうになった俺は、一旦言葉を飲み込むと、おっさんの顔を見あげながら考えた。


 実際、他に頼れるような人はいない。


 俺一人で母さんの所に戻っても、マーニャを救う手立てが見つかる可能性は、限りなくゼロに近い。


「どこか、行くあてはあるのか?」


「いんや、どこか適当に野宿できるところを探すだけだな」


 あっけらかんと言ってのけるおっさんに呆れを感じた俺は、一つ溜息を溢すと、提案した。


「それなら、ゼネヒットの東にある森に行きたい。そこに、俺の母さんがいるんだ」


「ニッシュ、本当に大丈夫なの?」


 俺の言葉に不安げな表情を見せたシエル。


 そんな彼女の言葉を聞いたと同時に、湧き上がってきた不安をかき消した俺は、ゆっくりと頷いて見せた。


 俺とシエルが意を決したその時、何やら考え込んでいたおっさんが語り掛けて来る。


「……参考までに聞くだけだが、美人か?」


「おい」


「いやいや、参考だって言ってんだろ? ……ほら、そう! おじさん、絵を描くのが趣味だからよ! ぜひモデルになってもらえないかと思ってな」


 それでごまかせているつもりなのか、若干慌てた様子のおっさんは、満面の笑みを浮かべている。


 そんなおっさんの顔を見ていた俺は、ふと思い出したように尋ねる。


「そう言えば、おっさんの名前はなんて言うんだ?」


「ん? そういうのは、尋ねる前に名乗るのが礼儀だぞ? 少年、実はあまり女性にモテないタイプだな?」


「言ってることは時々メチャクチャだけど、意外と観察眼は鋭いわよね、このおっさん」


「うっせーな! シエルまで何言ってんだよ! ……くそっ。俺の名前はウィーニッシュだ。で? おっさんの名前は?」


「ウィーニッシュね、ま、知ってたけど。おじさんの名前はヴァンデンスってんだ。この子はバディのラック。良い名前だろ? よろしくなっ!」


「……っ」


 思わず悪態を吐きそうになった俺は、無邪気に笑っているヴァンデンスの顔を見て、何とか言葉を飲み込んだ。


 スッと差し出された彼の手に応えるべく、背中のマーニャが落ちないようにバランスを取った俺は、右手を差し出す。


「よろしくな、おっさん。確かに、ラックは良い名前だ。センスあると思うよ」


 そう言いながら、俺は握手しているヴァンデンスの右手を力いっぱいに握り締める。


「いだだだだだっ! おい、少年! 何をする!」


「すみません、まさか10歳の俺の力でおっさんが痛がるとは思わなくて、おっさん、意外と非力なんですね」


「なにぃっ!?」


 右手にフーッと息を吹きかけながら叫んだヴァンデンスは、一つ溜息を吐くと、俺を指差しながら宣言した。


「よぉし! それじゃあおじさんと少年で競争だ! 先に東の森に辿り着いた方が勝ちだからな。よ~い、ドン! お先!」


 言うと同時にゆっくりと浮上を始めたヴァンデンスは、速度を上げながら南門の外へと飛び上がってゆく。


 その後ろ姿を見た俺は、シエルと目を合わせると、ゆっくりと笑みを溢したのだった。

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