第23話 幸せ者
時を少し遡り、俺は火の手の上がるゼネヒットの街を、見つめていた。
燃え盛る炎と登ってゆく黒煙が、街を囲む城壁の奥に広がっている。
その光景を目にした瞬間、俺の頭の中に浮かんだのは、一人の少女の姿だった。
咄嗟に名前を叫んでみたものの、返事が返ってくるわけもない。
屋敷の前に置いて来てしまったマーニャは無事だろうか。
助けに行きたいと言う衝動に負けそうになりながらも、俺は背後に居るであろう母さんを振り返る。
地面に座り込んだままの母さんは、俺と同じようにゼネヒットの街を呆然と見つめている。
その表情には、驚きのほかに、どこか寂しさのような物が含まれているように、俺には見えた。
「ウィーニッシュ……」
気が付けば、母さんをジッと見つめていた俺に対して、母さんが心配そうに声を掛けて来る。
『やっと、逃げ出せたんだ。今ここで、また母さんを危険な目に合わせるわけにはいかないよな……』
不安げな表情の母さんを見て、そんなことを自分に言い聞かせた俺は、小さくため息を吐く。
そして、母さんの傍に歩み寄りながら告げた。
「母さん、大丈夫だよ。俺が守るから。すぐに逃げよう。取り敢えず、ここから少し行ったところに森があると思うから、そこに逃げ込もう。そして……」
「ウィーニッシュ。マーニャっていうのは、もしかしてお友達?」
「っ……」
座りこんだままの母さんを立ち上がらせようとしながら、俺は言葉を詰まらせた。
そんな俺の様子を鋭く見抜いたのか、母さんは深呼吸をすると、ゆっくりと立ち上がる。
そうして、俺の目の前に片膝を付くと、静かに話し始めた。
「お友達なのね。ウィーニッシュ、私は大丈夫だから、助けに行ってあげなさい。あなたなら、それが出来るんでしょう?」
「でも……!」
母さんを一人にすることなんてできない!
そう叫ぼうとした俺の言葉を遮るように、母さんは俺を強く抱きしめた。
微かに震えている母さんの身体に、思わず顔を埋めてしまいたくなった時、母さんが俺の耳元で囁く。
「私は凄く幸せ者だわ。だって、息子ともう一度話が出来たんだもの。でもね、私は欲張りだから、私だけの幸せじゃ足りないの。ウィーニッシュ。あなたにも幸せになって欲しい。だから、お友達を助けに行ってあげてちょうだい。そして、私に紹介して? もしかして、マーニャって女の子なのかな? あら! ウィーニッシュったら、もうガールフレンドを作っちゃったの?」
「ちょっ! 母さん! 後半のせいで台無しだって!」
俺は目に込み上げて来るものを必死に抑え込みながら、母さんの抱擁から脱出した。
俺が離れてしまった事で少し寂し気にしている母さんは、手持ち無沙汰になった手で指遊びを始める。
しばらく黙ったまま、母さんの手元を見つめていた俺は、背中の箱のことを思い出した。
「そうだ! バディ!」
バーバリウスから逃げれた以上、俺が奴隷として暮らす必要はもうない。
その事にようやく思い至った俺は、母さんの背後に駆け寄ると、背中の箱に両手を添えた。
そして、固定用の金具の根元を握り、全力で破壊する。
身体能力が増強されている俺だけに許された力技。とはいえ、使える物は全て使わないと、この世界で生き抜いて行くことは難しい。
なるべく母さんの身体に負担を掛けないように、箱を取り除いた俺は、続いて、俺自身に付いている箱も取り外す。
そうして、箱の蓋を開けた俺は、シエルとテツの姿を久しぶりに目の当たりにした。
小さな箱の中に、膝を抱えた状態でねじ込まれていた二人は、死んだように眠りこけている。
微かに呼吸はあるようなので、死んではいないようだ。
「おーい! シエル! テツ! 起きてくれ!」
「二人とも! しっかりして!」
俺と母さんがそうやって呼び掛けて数秒後、シエルとテツはゆっくりと目を開けると、驚きを表現するように飛び起きた。
「ここは!? ニッシュとセレナ!? って、何が起きてんの!?」
「……! ……!? ……!!??」
飛び起きるなり、宙へ飛びあがったシエルは、ふさふさの尻尾を揺らしながら、俺や母さんに目を向けたかと思うと、燃え盛る街を見て絶叫した。
そんなシエルの視線を追っていたテツも、言葉には発さないものの、鋭い目を大きく見開いて驚きを表現している。
二人のその様子を見て、俺は安堵しつつ、それどころでは無いと心に鞭打つ。
「シエル、テツ。助け出すのが遅くなってごめん。そして、事情は後で説明するから、今は少し、俺を手伝ってくれないか?」
「え? 何言ってんの?」
「……」
「いや、説明してる時間が無いんだ」
「そうじゃなくって、手伝うに決まってんでしょ? 私はアンタと一心同体なんだから!」
俺の言葉に業を煮やした様子のシエルが、宙に浮いたまま詰め寄ってくる。
早速母さんの肩に飛び上がったテツも、俺の方へと目を向けると、ゆっくりと頷いて見せた。
「ありがとう! さすが、俺と母さんのバディだな!」
「……で、何をすればいい?」
珍しく口を開いたテツは、俺の言葉を遮るように指示を仰いできた。時間がない事はなんとなく察してくれたのかもしれない。
「あぁ、テツは母さんと一緒に、ここから東の方にある森まで逃げてくれ。俺もするべきことが終わったら、その森に向かうから!」
「で? 私は何をすればいいの?」
「人を探してほしい。多分、屋敷の前にいるとは思うんだけど、万が一があるからな。特徴とかは、ゼネヒットに向かう途中で話す。それじゃあ、母さん、テツ、行ってくるよ!」
「ウィーニッシュ、気を付けてね」
「……うん!」
手短に説明を終わらせた俺は、母さんの言葉に短く返事をして、すぐさま全速力で走り出した。
走る俺の肩にしがみついたシエルが、風になびきながら叫んでいる。
「ニッシュ! ちょっと! 速すぎ! どうなってんのよ!」
「すまん、でも、急がないといけないんだ!」
徐々に近づく城壁を見上げ、飛び越えるのにちょうど良さそうなところまでたどり着いた俺は、しがみついているシエルを左手で掴んだ。
そのまま、両腕でシエルを抱え込むと同時に、両足で地面を思い切り蹴り、空高くへと跳躍する。
瞬く間に城壁の二倍程度の高さまで到達した俺は、落下しながらシエルに向かって叫んだ。
「俺と同じくらいの女の子! 背中にシエルたちが入ってたのと同じ箱を付けてる! 少しウェーブの掛かった栗色の髪の毛が特徴だ!」
「何それ!? アンタの彼女を探せって事!?」
問い返してくるシエルの問いかけを聞きながら、俺達は燃え盛るゼネヒットの街へと降り立ったのだった。
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