第22話 消えたはずの光

 ボトボトと音を立てて崩れてしまった男は、考えるまでも無く、既に死んでいる。


 無残に転がっている肉片から急いで視線を逸らした私は、その場から逃げ出そうとするが、恐怖で身体が動かない。


 震えるだけの四肢を凝視して、何とか思考を落ち着かせるが、焼け石に水だ。


 そうこうしていると、目の前に立っていた女がゆっくりとしゃがみ込んで、私の顔を覗き込んできた。


 何かつまらない物でも見ているように、私を見つめる女は、突然伸ばした腕で私の髪の毛を掴んだ。


「痛っ!」


 頭皮に走る痛みを訴えてみるが、女は完全に無視を決め込み、先ほどの男と同じように、私を高く掲げる。


「おい! テメェら! 聞いてんのか!? 奴隷を見つけたら、アタシらの所に連れて来いって言ってんだ! 返事はぁ!? 返事をしねぇと、この場の全員あの世行きだぞ!」


 イライラを募らせている女の言葉に、まばらな返事が返ってくる。


 そのどれもが、彼女の指示に従うことを表明しており、その時点で、私には選択権が無いことを悟った。


 万が一、この女から逃げたとしても、周囲で話を聞いていた人々に捕まってしまう。


「……助けて……」


 手も足も出ない状況で、唯一、言葉だけ発することが出来た私は、掠れる声を漏らしながら周囲に目を向ける。


 当然、助けに来てくれる人は誰も居ない。


 それでも、ウィーニッシュの姿が脳裏に浮かぶのは何故だろう。


 5年前にトロールから助けてくれた時と同じように、また彼が助けてくれるんじゃないか。


 そうなれば、良いな。


 その希望が、小さくて薄いものなのだと言うことは、心の底から分かっている。


 仮に、ウィーニッシュが燃え盛る屋敷に入って、母親を助けに行ったのだとすれば、彼も助からない可能性が高いだろう。


 もし、母親を助けて逃げ出せたとするなら、それこそ、私を助けに来る理由は無い。


 彼はきっと、そのままこの街から逃げ出すだろうから。


「……大丈夫かな?」


 頭の痛みが徐々に麻痺し始め、それと共に私の心を諦めが埋め尽くしてゆく。


 せめて、ウィーニッシュだけでも助かってくれればいい。


 そんなことを思いながら、私は燃え盛る屋敷を見た。


「……あれ?」


 見た瞬間、私は自分の目を疑った。


 つい先ほどまで、轟々と燃え盛っていた筈の屋敷が、すっかり鎮火しているのだ。


 屋敷で何かが起きたのか。心当たりがあるとすれば、さっき見た謎の影くらい。


 私が謎の影のことを思い出した直後、女も屋敷の変化に気が付いたようで、小さく呟いた。


「やっと終わったのか? 時間かけすぎなんだよ、あのうすら禿げが」


 言いながら、女は屋敷から自分の頭上へと視線を移していった。


 釣られるように女の視線を追った私は、さっき見た影と同じようなものが、すごい速度で飛び去ってゆくのを目撃する。


 丸いその影は、少し大きくなっていたような気もしたが、シルエットは変わらない。


 まるで、逃げるように飛ぶその影は、街の外、ダンジョンの方面へと消えていった。


「よし、アタシもそろそろ行くか」


 飛び去った影を見届けた女は、それだけ呟くと、掴んでいた私を小脇に抱えて歩き出す。


 脇腹の辺りを力強く締め付けられる感覚に、気分の悪さを覚えたが、私は文句ひとつ言えなかった。


 女が動き出したことで、周囲にいた人々もまた、一斉に逃げ出し始める。


 そんな民衆達を完全に無視する女は、時折遭遇する衛兵を片手間で倒しつつ、どこかへと歩き続けた。


 途中で豪快な爆発音が聞こえたが、その音にも、女は一切反応を示さない。


 どれだけの時間抱えられていたのだろうか、気が付けば私は、どこかの広場へと運ばれていた。


 広場の真ん中には、一本の木が生えており、その木の周りに、私と同じような奴隷たちが集められている。


 そして、これもまた同じように、女と同じような目つきの男女が5人、奴隷たちを見張っていた。


「遅かったじゃねぇか、何してたんだ?」


「うるさいね、良いだろ? あたしの勝手だ」


 私を抱えて近づく女に話しかけてきたのは、筋骨隆々でスキンヘッドという風貌の大男だ。


 彼は両手に無骨なガントレットを装着しており、その拳先には、べったりと赤い液体が付着している。


 そんな男の言葉を軽くあしらった女は、木の近くに渡しを放り投げた。


「くっ……」


 乱雑に投げられたせいで地面に体を打ち付けた私は、痛みに悶えながらも、女から距離を取る。


 恐らく、他の奴隷たちも同じように考えたのだろう、結果的に、私たち奴隷は木の近くへと寄り集まっていた。


「これからどうなるのかな……」


 傍で膝を抱えたまま丸くなっている奴隷が、小さく言葉を溢す。


 その言葉に、何か返事をする気にもなれなかった私は、座り込んだまま両手を見つめた。


 同じような境遇の奴隷たちに囲まれたおかげだろうか、さっきよりは呼吸も収まってきている。


 だけど、それは気休めでしかない。


「はぁ!?」


 黙り込んだまま待つしかなかった私たちは、突然広場に響き渡った怒声に体を震わせる。


「そりゃどういう意味だよ!?」


「どういう意味も無い、飛んでったんだ」


 なにやら口論を始めた様子の女達。私を連れて来た女が話している内容から察するに、さっき見た謎の影が関係ありそうだ。


「じゃあ、あいつらはどうするんだよ!?」


 スキンヘッドの大男が、女に食って掛かる。


 そんな大男を宥めるように、私を連れて来た女とは別の女が、割って入った。


 黒くて長い髪を結い上げ、シルエットが分かるような薄手のドレスに身を包んだその女は、口から上を隠すような白い仮面をつけている。


 どこか場違いに見える仮面の女は、穏やかな口調で告げた。


「クリュエルに怒っても仕方ないでしょう? それに、ボスが考えていることなら、ちゃんと理由があるはず。今は、出来ることを考える方が先決でなくて?」


 クリュエルというのは、どうやら私をここに連れて来た女の事らしい。


 仮面の女の仲裁に対し、スキンヘッドの男は顔をしかめ、再び声を張り上げようと息を吸った。


 その時。


 バンッという耳障りな音が、広場に響く。


 私を含めた奴隷達だけでなく、クリュエル達もまた、その音の方へと視線を飛ばした。


 音のした方にいたのは、一人の男だった。


 白髪交じりの茶色い短髪は、整えられることなくぼさぼさで、顔の下半分は無精ひげに覆われている。


 そんな男が勢いよく開けた扉は酒場のようで、それを証明するかのように、彼は片手に酒瓶を持っていた。


 ふらつく足取りで、数歩前に進んだ男は、ゆっくりと空を見上げ、声を上げる。


「なぁんだぁ? やけにヒッ、空が明るいと思ったら、祭りでもやってんのかぁ~!?」


 完全に酩酊しているらしいその男は、ぼんやりとした視線を空から広場へと落とすと、クリュエル達に焦点を合わせる。


「おやぁ~? この街にゃ珍しい、別嬪さんがいるじゃあないかぁ! よぉ~し! 久しぶりに、俺もヒッ、頑張ってみるかぁ~」


 ろれつが回っていないうえに、所々でしゃっくりを繰り返す男は、危うい足取りでクリュエル達の元へと歩き出した。


 そうして、クリュエルの傍までたどり着いた男は、たどたどしくお辞儀をすると、自己紹介を始める。


「どうも、俺はヴァンデンスってんだぁ、こんな夜更けに何してんだぁ? どうだい? 俺と一杯、飲まねぇか?」


 酔っ払いが気分よさげに告げた瞬間、スキンヘッドの男が酔っ払いの首根っこを掴む。


 そうして、間髪入れずに近くの建物に向けて投げられた酔っ払いは、ものすごい衝撃音とともに壁にぶつかると、地面に突っ伏してしまった。


「酔っ払いは引っ込んでろ!」


 口論の鬱憤を晴らせたからだろうか、どこかスッキリとした様子のスキンヘッドは、一つ溜息を吐くと、私たちの方へと向き直る。


「……はぁ、だりぃけど、仕方ねぇな。こいつらを運べばいいんだろ?」


 スキンヘッドの男が吐き捨てるように告げた瞬間、風を切るような音とともに、何かが広場に落ちて来た。


 広場に幾つかある入口の付近に着弾したそれは、胃に響くような轟音とともに、広場の石畳を抉る。


 何事かとそちらへ目を向けた私は、一瞬、呼吸が止まった。


 巻き上がる砂ぼこりの中に、私の中から消えたはずの光を二つ、見てしまったのだ。


「ニッシュ……?」


 自然と漏れ出る涙を止めることが出来ないまま、私は小さく呟いた。


「なんだ? ボスか?」


 怪訝そうに告げるスキンヘッドが、再び何かを発する前に、二つの光が激しく動き出す。


「マーニャ! 無事か!?」


 そんな、聞き覚えのある声とともに、ウィーニッシュが砂ぼこりの中から駆け出してきたのだった。

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