第21話 広がり始める破壊と悲鳴
「マーニャ、俺はさっきの奴隷たちを助けて来るから、ここで待っててくれ!」
「え!? ちょ、ニッシュ! 待って!」
燃え盛る屋敷の様子を、息を呑みながら見つめていた私は、ウィーニッシュの言葉を一瞬理解できなかった。
咄嗟に呼び止めようと手を伸ばして見せるが、彼は既に走り出しており、私では追い付くことは出来ない。
門をこじ開けて敷地内へと入って行く彼の姿を見送りながら、私はふと、先ほど小屋でウィーニッシュが溢していた言葉を思い出す。
「……母さん……って、言ってたよね」
燃え盛る屋敷の方を見上げながら叫んでいた彼の姿は、今思い返してみても、並々ならぬ必死さを感じる。
今にも、屋敷に向かって一直線に飛び出してしまいそうなほどに。
だからこそ、私は彼の手を握って、引き留めてしまったのかもしれない。
危険だから?
違う。
彼が居なくなるかもしれないから。
少し考えれば分かる話だ。現に私も、何度もその噂を聞いたことがある。
ウィーニッシュがバーバリウスの元から逃げ出さず、奴隷として居続けている理由。
彼の力をもってすれば、この奴隷の首枷を自力で取り外し、逃げ出すことなど容易い筈。
それが出来ない理由があって、仕方なくこの場所に留まっているのだろう。そんな噂が、奴隷たちの間で広がっていたのだ。
当人であるウィーニッシュは、この5年間、何も口に出すことは無かったけど、私は知ってる。
魔物狩りから帰ってくる時、ウィーニッシュは決まって屋敷の方を一瞥していた。
それが何を意味していたのか、ぼんやりと察していたけど、今日、ハッキリとしてしまった。
もし、燃えている屋敷にウィーニッシュが飛び込んで、母親を助け出してしまったら、私の所には戻って来ないかもしれない。
「……私、最低だな」
気付いてしまったその考えの重さに引っ張られ、私の視線は自分のつま先に落ちて行く。
そうして、一人項垂れていると、ウィーニッシュが消えていった正門の方が騒がしくなった。
咄嗟に顔を上げて様子を伺ってみると、どうやら先程の奴隷たちが逃げて来たらしい、こじ開けられたままの正門が大きく開かれた。
飛び出して来た奴隷たちは、我先にと道に溢れ出すと、蜘蛛の子を散らすように、逃げ出し始める。
屋敷の様子を見に来ていた通行人をかき分けるように、逃げて行く奴隷たち。
そんな奴隷たちの中に、ウィーニッシュの姿を探そうと目を凝らしていた私は、激しい衝撃と共に地面に突き飛ばされてしまう。
「きゃっ!」
尻餅をついた反動で擦りむいた右手を庇いながら、何とか人の荒波から逃げ出した私は、改めて正門の様子を見る。
既に正門から出て来る奴隷たちの波は途切れているのだが、一向にウィーニッシュが出て来る様子がない。
「もしかして……」
嫌な予感を覚えた私は、周囲が更にざわつき始めるのを無視して、正門へと駆け寄った。
初めに見たときよりも火の勢いが増している。
流石のウィーニッシュでも、あの中に入ってしまえば、危ない。それに、ウィーニッシュの母親も、助かる可能性は低いだろう。
ましてや、私が助けに行ったところで……。
抱いてしまった考えを、私は否定することもできず、開かれている門の前から駆け出すことが出来なかった。
そうして突っ立っている私に追い打ちを掛けるように、背後から甲高い悲鳴が響いてくる。
「きゃあーーーーー!」
その悲鳴に呼応するように、屋敷を取り囲んでいた人々の間に、ざわざわとした動揺が浸透していった。
当然、私も動揺した一人だ。その理由は一目瞭然。振り返りざまに見た街の様子が、先程までと一変していたのだ。
バーバリウスの屋敷と道を挟んだ建物に、火が放たれている。
それだけではなく、街のいたるところから火の手が上がり始めているようで、夜の闇が赤く染まり始めている。
「……何が起きてるの?」
街に広がり始める破壊と悲鳴。
不安と恐怖がジワジワと溢れ出し、私は自分の身体が震え出していることに気が付く。
どうすれば、この不安や恐怖を振り切ることが出来るのか。
頭を過る考えの答えを求めるように、私は屋敷へと目を向けた。
「ウィーニッシュ……」
漏れ出る言葉もまた、小刻みに震えている。
情けない私の声が、彼に届くのだろうか。
そんなことを考えた時、私は丸い影のような物が、屋敷に向かって飛んでゆくのを目にした。
屋敷に向かって左側から飛んで来たそれは、燃えて崩れた屋敷の壁から中に飛び込んでゆく。
「あれは何? ……もう、早く戻って来てよ……」
理解できない物を見たことで、更に頭が混乱してゆくのを感じた私は、小さく呟いた。
と、その時。背後で何者かが大声を上げ始める。
「全員この場を離れろ! これは命令だ! 東のマルセリク広場に向かえ! そこで指示を仰ぐんだ!」
軽装の鎧に身を包んだ男が、槍を空に突き上げながら叫んでいる。治安維持局がようやく事態の収拾に動き出したのだろう。
そんな男の言葉に従うように、その場にいた人々は渋々移動を開始した。
「どうしよう……」
移動を始める大勢の人々と屋敷を見比べた私は、ふと、治安維持局の兵士と思われる男に目を向ける。
私の視線に気が付いた様子の男は、ゆっくりと歩み寄って来ると、目の前に片膝を付いた。
「あ、あの……」
ジロジロと嘗め回すように向けられる視線に耐え切れず、私は声を漏らしてしまう。
途端、男は私の胸倉をつかむと、高々と掲げ、声を上げた。
「全員よく聞け! 奴隷を見つけたら、速やかに治安維持局へ報告する事! そして、逃げ出した奴隷共に告げる! 速やかに、我々の元へ出頭しろ! さもなくば、打ち首の刑に処す!」
男の声が周辺に響き渡ったのと同時に、私は突然の浮遊感に襲われた。
ドサッと言う鈍い音と共に、私は背中から地面に落下する。
何の支えも無く背中を打ち付けたことで、鋭い痛みに悶えていた私だったが、それを目にしたことで、瞬く間に痛みを忘れる。
そして、甲高い悲鳴を上げてしまった。
「きゃあっ!」
私を掴んでいた男の、肘から先の部分が、顔のすぐ横に転がっていたのだ。
当の本人である男は、転がっている自身の腕を見下ろしながら目を見開いている。
「な……っ……ぁ」
どうなってるの? なんで、腕が落ちてるの? 訳が分からない、怖い、怖い。
ものすごい勢いで湧き上がってくる感情が、口から吐き出されることなく、胸に溜まってゆく。
そんな私の様子を楽しむかのように、何者かの声が、降り注いできた。
「困るなぁ……それは、アタシらの獲物なんだよねぇ。アンタらに渡すわけにはいかないんだよぉ」
私を含めたその場の全員が、頭上から掛けられた女性の声の方を見あげる。
その視線と入違うように、何かが私の眼前に降り立つ。
「命令の上書きだぁ! あんたら、奴隷を見つけたら、アタシら、モノポリーの所に持ってきな! 良いね!?」
どこからか降りて来たその女性は、両手に携えた短剣を大きく振り抜いた体勢で着地を決めている。
女性らしいシルエットとは裏腹に鍛え上げられた四肢と、背中で一つに結われた黒髪。
そして、端正に整っている顔立ちに私が見惚れてしまった瞬間、彼女の背後に立っていた男が血しぶきを上げて崩れていった。
文字通り、細かく崩れていくその光景を目にしてしまい、私は涙を溢してしまうのだった。
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