第20話 夜の闇を照らす
黄色い毛並みに覆いつくされたまま、俺は様々な事を考えていた。
これからどうなるのか。母さんは無事なのか。そもそも、俺は助かったのか? それとも、シェミーに食われてしまったのか?
マーニャを置いて来てしまった。他の奴隷たちは、どうしているのだろうか。
思いながら、俺はつい先ほどまで見ていた光景を思い返す。
状況から考えると、傷の男とシェミーがバーバリウスと敵対しているのは確実と言って良いだろう。
だとするなら、もうバーバリウスの呪縛から解き放たれ、自由に暮らしていけるのだろうか。
安直な希望を胸に抱きかけた俺だったが、そのまま手放しで傷の男を信用する気にはなれなかった。
正門から屋敷へ続くアプローチに残されていた、衛兵たちの遺体。そのどれもが、酷く無残な死に方をしていたのだ。
そして、おそらくそれをしでかしたのは、傷の男で間違いないだろう。
そんな男のバディに取り込まれてしまっているのだと、改めて気づいた時、俺を包んでいたシェミーの体毛が、一斉に収縮を始めた。
背中からゆっくりと外に出た俺は、急いで周囲を確認する。
どうやらここはゼネヒットの外の草原のようで、うすぼんやりとした闇が辺りに広がっていた。
僅かな灯りは、夜空に浮かんでいる星々と、大きな月。
それらに照らされた平原に目を向けてようやく、俺は横たわっている母さんを見つける。
「母さん! 大丈夫!?」
「ウィーニッシュ? ウィーニッシュ!」
横たわっている状態の母さんを抱き上げようとした俺は、逆に、母さんの強い抱擁に引き倒されてしまう。
でも、痛くは無かった。
柔らかくて温かい雰囲気と、香り。
酷く懐かしさを覚えるそれらに、思わず涙ぐみそうになった俺は、背後から掛けられた声で我に返る。
「感動の再会をしているところ悪いんだけど? ちょっとこっちを向いてくれるかしら? ねぇ、聞いてる?」
相変わらずの甲高い声で告げるシェミー。
そんなシェミーの隣には、仏頂面の傷の男が俺たちを見下ろすように立っていた。
咄嗟に母さんの抱擁を解いた俺は、母さんを背中に庇いながらも、傷の男を睨みつけた。
ここでまた母さんを人質にでも取られようものなら、全て意味がなくなってしまう。
「ねぇ。本当にこのガキんちょが例の奴なの? あたし、さっきのちょっとだけ見てたけど、全然使い物にならないじゃない。魔法も使えないみたいだし?」
魔法は使えないのは、シエルが箱の中に閉じ込められているからだ!
そんなことを言い返そうと思った俺は、ふと気が付いた。
シェミーは一体どこにいたんだ?
カボチャ4個分くらいの大きさはありそうなシェミーを、衣服の懐などに入れて隠しておくことは、非常に困難だろう。
とは言え、屋敷の中で傷の男を初めて見た時は、男の近くには居なかった。
仮に、男とシェミーが遠く離れていたのだとすれば、一つおかしな点がある。
必然的に湧き上がってきた疑問に耐え切れなくなった俺は、首を傾げながら傷の男に問いかけた。
「あんた、何者なんだ?」
奴隷がバディを拘束されているのは、目印としての意味合いもあるが、大きくは魔法を使えないようにするためだ。
世間一般の人々は、基本的に、バディと触れ合っていないと魔法を使うことが出来ない。
もし、バディと離れた状態でも魔法を使うことが出来るとするならば、それはひとえに、その人物がそれだけの実力者なのだと言う事だ。
聞いた話なので信憑性は無いが、言ってしまえば、貴族や国に使えるような高位の人間くらいしかいないらしい。
だとするなら、色々と話がおかしくなってしまう。
バーバリウスは貴族たちに媚びを売ってるんじゃなかったのか?
それとも、案外アイツにも敵対勢力みたいなものがあるのか?
考え込む俺をじーっと見つめて来る傷の男は、何を思ったのか、一つ鼻を鳴らすと、短く告げた。
「お前、俺達を手伝うつもりは無いか?」
「手伝う? 何を?」
「……」
問いに問いで返したのが気に入らないのか、傷の男は沈黙を貫く。
その沈黙を考える時間と取った俺は、改めて傷の男とシェミーを見比べた。
正直、俺と母さんだけでこれから無事に生きていくことは難しく思える。
少なくとも、この男はあのバーバリウスとやりあうことが出来る程の実力者なのだ。できれば、力を借りたい。
借りたいのだが……。
頭の中で、焼けただれた衛兵たちの姿が再生される。
思い返すたびに、胃の奥がムカムカと煮えくり返りそうになるのを抑えながら、俺は一つ聞いてみることにした。
「あの屋敷の……衛兵を殺したのはアンタか?」
「……そうだ」
「なぜ、あんな殺し方をした?」
聞いた瞬間、傷の男の顔から表情が消えた。
強張っていた頬も、固く結ばれた唇も、吊り上がっていた眉毛も、睨みつけて来ていた目も。
何もかもが、感情を失ったかのように、無と帰す。
その表情があまりにも不気味に感じた俺は、ゆっくりと唾を飲み込むと、乾ききった喉を酷使して謝罪する。
「いや、良い。なんでもない。忘れてくれ」
しかし、俺の謝罪など届いていなかったのだろう。フッと目を閉じた傷の男は、深いため息を吐きながら、告げる。
「……お前は要らん」
それだけを告げたかと思うと、傷の男は全て無かったことにするように、その場を立ち去り始めた。
「な、ちょっと待てよ!」
なんでそうなるんだよと心の中で悪態を吐きながら、俺は男に駆け寄ろうとする。
だが、それを間髪入れずに止める者がいた。
俺と男の間に割り込んだシェミーは、つぶらな瞳を俺と母さんに向けると、ヤレヤレと言った風に言う。
「どうやら、アンタは気に入られなかったみたいね。まぁ、その方が幸運だと、アタシは思うわよ」
シェミーの言葉に、何も言い返すことが出来なかった俺は、突然背後から響いて来た音に驚きながら、振り返る。
ドンッという鈍くて低い音の方へ目を向けると、その方角には、ゼネヒットの街があった。
しかし、俺の良く見知ったゼネヒットの街とは、大きくかけ離れて見える。
街のいたるところから、激しく燃え盛る炎が立ち上がっているのだ。
城壁越しに見えるそれらの炎が、夜の闇を赤く照らしている。
余りの光景に、黙々と空に登ってゆく黒い煙までもが、赤く染まるんじゃないかと考えた俺は、思い出したように叫んだのだった。
「マーニャ!」
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