第24話 憎たらしい笑み
居ない!
バーバリウスの屋敷の前に辿り着いた俺が初めに抱いた感情は、そんな焦りだった。
荒くなった呼吸を落ち着かせるために、ゆっくりと深呼吸をしながら、俺は周囲に目を走らせる。
辺りにいる人は、その殆どが治安維持局の兵隊なのだろう。
燃えている建物の消火活動や、怪我人の運搬のために、あくせくと駆け回っている。
屋敷の目の前の建物には、逃げ遅れてい人がいるのか、誰かの泣き叫ぶ声が響き渡っていた。
俺が屋敷に入って行く前に群がっていたやじ馬達は、すっかりどこかへと姿を消してしまっている。
呼吸を整えながら頭を整理していた俺は、煙の臭いが充満した空気を深く吸ってしまったがゆえに、酷く咳き込んでしまう。
喉の奥にヒリヒリとした若干の痛みを感じながらも、俺は呟いた。
「どこに行ったんだ? マーニャ……」
「ニッシュ、あれ……何?」
俺が呟くのとほぼ同時に、シエルが屋敷の正門付近を指差しながら、動揺し始める。
右肩付近に浮かんだまま狼狽えている彼女の姿を一瞥した俺は、指し示された場所へと目を向けた。
俺がマーニャに対して、ここで待つようにと告げた場所。
そんな場所に、何かが転がっている。
「マーニャ!?」
力なく転がっているその影が、マーニャなのではないかと錯覚した俺は、駆け寄っている途中で気が付いた。
それが……それらの塊が、既に人の原型を留めていないということに。
気付いた途端、猛烈な吐き気を催してしまった俺は、その場に立ち止まり、両手で口を押える。
胃から喉を通って込み上げてきた酸っぱい液体を、何とか飲み下す。
これ以上近づいて、現実を知ってしまうのが恐ろしい。
だけど、無視をしてしまうわけにもいかなかった。
左手の紋章が煌々と輝きだしたのを確認した俺は、口を手で押さえたまま、一歩を踏み出す。
と、そのまま歩き出そうとした俺の肩を、何者かが掴んだ。
「おい、早く避難しろ! ここは危険だ」
右肩を強く引っ張られた俺は、そのまま声を掛けてきた男の方へと振り返る。
軽装鎧を纏ったその治安維持局の男は、面倒くさそうに俺を一瞥すると、流れるように視線を動かし、転がっている肉塊を見つめる。
ただ、それだけだった。
転がっている肉塊への興味など、左程も抱いていないかのように、その男は俺の腕を強く引っ張ると、ついでにシエルのことも引っ張ろうとする。
途端、俺の胃の底で、何かがグツグツと煮え立ち始める。
嘔吐感とは別の、不快な衝動に苛まれた俺は、勢いのままに、男の腕を思い切り振り払う。
いきなり腕を振り払われたことと、俺の力が予想以上に強かったことに驚いたのか、男は動揺しながら凝視してくる。
そんな男を鋭く睨みつけながら、俺は大声で叫んだ。
「お前らは! お前らは何をしてたんだ! あんな……あんなことになるまで、何をしてたんだよ!」
自分でも、何が言いたいのか分からない。
俺はただ、込み上げて来る怒りと悲しみを、目の前で呆けている男にぶつけることしか出来ない。
叫んでいるうちに、ボロボロと零れ出した涙を拭った俺は、周囲にいた全員の視線が俺に向けられていることに気づき、口を噤む。
「ニッシュ……」
不安げな表情のシエルは弱々しく呟いたかと思うと、そっと俺の左肩に頭を埋めた。
彼女の気遣いに、また涙を堪え切れなくなった俺が、激しく鼻を啜った時。
目の前の男が大きなため息を溢した。
そして、告げたのである。
「なんだよ、お前。もしかして、あいつに同情でもしてんのか? そんなことしてる暇があるなら、自分の心配しろよ」
「は?」
「あいつは運が悪かったんだよ。まぁ、この街にいる時点で、運がいい奴なんていないけどな。あー、面倒くせぇな。良いから早く来い」
気怠そうに言ってのける男の言葉に呆けてしまった俺は、そのまま引っ張られて歩き出してしまう。
男に強く引っ張られている左手は、未だに煌々と輝いている。
そこでようやく、俺は大きな違和感に気が付いた。
男が引っ張っている俺の左手は、煌々と輝いているにも関わらず、この男はそのことに全く反応しないのだ。
それはつまり、この男は俺のことを知っていながら、声を掛けてきたことを現すのではないだろうか。
全く俺の方を振り返らず歩く男の後頭部を凝視しながら、俺はあらゆる可能性を考える。
今この状況で、俺を騙してでもどこかに連れていきたがる存在は誰か。
さきほど姿を消してしまった傷の男の仲間?
それとも、バーバリウスの息のかかった人間?
どちらにせよ、着いて行くのは危険に違いないだろう。
「おい、手を離せよ!」
強く握りしめられた左手を、もう一度振り払おうとした瞬間、俺は腹部に激痛を覚えた。
俺が反抗的な態度を取るのを待っていたのだろうか、鋭く繰り出された男の後ろ蹴りが、俺の鳩尾に直撃する。
「ぐはっ……!?」
身体能力が向上しているとはいえ、鳩尾への不意打ちを完全に防御できるわけもない。
その上、左手を掴まれているせいで、後ろ蹴りの衝撃は逃げることなく俺の身体に蓄積する。
「あまり調子に乗るな。このガキが。そもそも、ご主人様の元から逃げ出そうとする時点で、許されない事なんだぞ? 黙ってついて来ればいい」
「く……そが……」
「ニッシュ! ちょっとアンタ! ニッシュを離しなさいよ!」
痛みのあまり立つことが出来ない俺と猛抗議するシェミーに構うことなく、男は俺を引きずるように歩き続ける。
しばらく引きずられた俺は、中央に噴水のある広場へと連れて来られた。
広場には、大勢の人々が寄り集まっており、そんな人々を治安維持局が見張っている。
一時的な避難場所なのだろうか。
と考えたのも束の間、俺はもう二度と会いたくないと思っていた人間の筆頭を、見つけてしまう。
「また会ったな。ウィーニッシュ」
「バーバリウス……」
噴水の縁に腰かけたバーバリウスは、俺を目にすると、非常に憎たらしい笑みを浮かべながら立ち上がる。
衣服や頭髪に、少しばかり乱れた様子が伺えるが、怪我らしいものは何も負っていない。
その様子を見て、すぐさま立ち上がろうとした俺だったが、そんなことはお見通しなのだろう。
複数の男たちが、俺の身体を地面に抑えつけ始めた。
「離せ! このっ! 離せよ!」
左手の紋章が光っている状態の怪力であるはずなのに、男たちの拘束から逃れることが出来ない。
怒りと焦燥で頭が混乱し始めた俺に対して、バーバリウスは乱れてしまっているオールバックの髪を撫で付けながら、告げたのだった。
「ウィーニッシュ。一つ取引をしようじゃあないか」
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