第18話 切なる願いに似せたもの

 油断されているうちに動く必要があると考えた俺は、身構えた直後、フードの男に向けて駆け出した。


 ほんの二、三歩で背後を取ることに成功した俺は、その勢いのまま、右の拳を男の背中に叩き付ける。


 しかし、充分な手ごたえは得られなかった。


 どうやったのかは分からないが、フードの男は、直立したまま宙に飛び上がったのだ。


「なに!?」


 空ぶった勢いでバランスを崩しながらも、何とか振り返った俺は、フードの男を見あげる。


 背中に翼があるわけでもない男が、音もなく浮遊し続けている。


 そんな光景を説明できる言葉を、俺は一つしか知らない。


「魔法か……そりゃ、当然だよなぁ」


 だとするなら、フードの男はバディと一緒にいるはずだ。


 なにか対処できる方法は無いものかと、周囲を見渡した時、フードの男が短く告げる。


「邪魔をするな、殺すぞ」


 男の声を聞いた俺は、先ほど見た衛兵たちの姿を思い出し、全力で横に飛び退いた。


 一瞬、足先に熱を感じつつ床を転がった俺は、元居た場所に目を向けながら立ち上がる。


 嫌な予感が的中したようで、俺の元居た場所はメラメラと燃え上がり始めていた。


 周囲に広がってゆく炎の熱気で、少し息苦しさを感じた時、フードの男が俺を指し示すように右腕を突き出した。


 息つく暇などない。


 頭の中で鳴り響く警鐘に打ち出されるように、俺は四肢を動かす。


 一か所に留まっていれば、狙い撃ちにされるだろう。


 幸いなことに、フードの男の魔法はそれほど機動性がある物では無いらしい。


 男を中心とした弧を描くように走りながら、俺は対応策を考え続けた。


 そうして、一つの案を思いつく。


 俺が駆けた跡をなぞるように燃え広がってゆく炎。


 徐々に近づくそれに焦りを抱きながらも、何とか階段まで駆け寄った俺は、手すりを両手で掴むと、丁度良い長さになるよう破壊した。


 べきべきと音を立てながら折り取られた手すりは、それなりに硬く、充分に武器として使えそうだ。


 それだけを確認すると、俺は躊躇することなくフードの男目掛けて投擲する。


 ダンジョンで石を投げた時と同じように、それは轟音を立てながら直進した。


「よしっ!」


 流石に魔法を使っても避けられないだろう。そう思い、漏れ出た俺の声は、フードの男が払った右腕によって、虚しくかき消されてしまう。


 まるで、舞い落ちてきた木の葉を手で払いのけるように、即席の槍を弾いてしまったのだ。


 弾かれても尚、勢いを殺すことは無かった槍は、そのまま屋敷の壁に深々と突き刺さる。


「な……」


「何をしているんだ! 早く始末しろ!」


 すぐ後ろから掛けられるトルテの声に、俺は思わず振り返ってしまう。


 その隙を狙っていたのか、フードの男の気配が、一気に俺の眼前へと迫って来た。


 咄嗟に飛び退こうとするが、既に遅すぎる。


 フードの男は左腕で俺の胸倉をつかむと、右手を俺の額へと当てがった。


 あまりに突然の事で言葉を失ってしまった俺は、ただ、目の前にいる男の顔を覗き込むことしか出来ない。


 黒い短髪に、傷だらけの顔。中でも、左瞼から左頬に掛けての大きな傷は、見る者に強いインパクトを与える。


 その傷のせいだろうか、左目は閉じたままなので、失明していると思われる。


 傷の男は酷く冷め切った瞳で俺を一瞥したかと思うと、短く告げたのだった。


「死ね」


 助からない。


 そう直感した俺は、何一つ抵抗することが出来なかった。


 衛兵と同じように、無残にも焼き殺されてしまうのだろう。


 結局、母さんを助けることは出来なかった。それだけではない、俺はこの短い人生で、何かできただろうか。


 たったの十年。


 その内の半分は奴隷として、こき使われただけなのだ。


 バディという自分の半身も、助けることが出来ず、5年も背中の箱の中に閉じ込められている。


 余りに情けないではないか。


 閻魔大王は、俺に何をさせたかったのか。


 これでは、もう一度地獄に落ちるに決まっている。


 火あぶりになって地獄に落ちるのも、また皮肉な話だと、自虐気味に考えたところで、俺は異変に気が付いた。


 傷の男が魔法を使わず、固まっているのだ。


「お前だったのか……」


 目の前でそう告げる男の視線が、俺の左手へと向けられている。


 相変わらず煌々と輝いている俺の左手に、今更気が付いたのだろうか。


 一先ず、即座に殺されずに安堵したのも束の間、瞬く間に状況が変化する。


「それはどういう意味だ?」


 今の今まで静観を決め込んでいた筈のバーバリウスが、傷の男の言葉に反応を示したのだ。


 次の瞬間、傷の男が歯を喰いしばったかと思うと、俺は玄関の方へと放り投げられた。


 乱暴に投げられたことで、激しく床に打ち付けられた俺は、痛みに悶えて転がりながらも、傷の男に目を向ける。


 互いに相手の右の拳を左手で受け止めている二人は、どちらかが力負けすることも無く、膠着状態に陥っていた。


 傷の男の周辺は熱気で空気が揺らぎ、バーバリウスの周辺はパリパリと音を立てながら霜が降り始めて居る。


 二人がもたらす温度変化が原因だろうか、大量の蒸気が周囲の空間に満ち始めていた。


 その様子に圧倒され始めた俺は、ふと、母さんの姿に目を移す。


 未だにトルテによって拘束されている母さんは、俺と目が合ったと分かると、ゆっくりと首を横に振って見せた。


 離れている俺が見ても、母さんが恐怖で震えているのは分かる。そんな彼女が、なぜ俺に向けて首を振ったのか。


 そんなことは考えるまでも無く、明らかだった。


 逃げなさい。


 きっと、母さんはそう言いたいのだろう。


 5年間、ずっと会うことすら出来なかった母さんから、向けられた想い。


 そこには、5年前までと変わらない、深くて大きなものがあると、俺は確かに感じる。


 同時に、母さんの表情から、俺は一つの感情を読み取ってしまった。


 諦め。


 もう、親子で共に過ごすことは出来ないのだと。ならば、子供だけでも助かって欲しい。


 切なる願いに似せた、諦め。


 視界の端で、小さな光が明滅を始める。


 それは、俺の右手から発せられた弱々しい光。その光は徐々に強さを増してゆくと、左手と同じように煌々と輝き始めた。


 俺は光と同じように湧き上がってくる感情に身を任せながら、歯を喰いしばる。


 そして、光る両の拳を強く握り込みながら、静かに立ち上がったのだった。

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