第17話 襲撃者
「ちょっと! ニッシュ、いつまで抱えてるつもり?」
マーニャにそう促されるまで、俺は屋敷の様子を呆然と見つめてしまっていた。
轟々と燃え盛る炎は既に屋敷を包みこんでしまっており、助けに行けるような状態ではない。
それだけではなく、屋敷の炎は敷地を囲んでいる庭木にまで飛び火し始めている。
あのまま小屋に居れば、いずれは炎に飲まれてしまっていただろう。
改めてマーニャに対して感謝の念を抱きながら、俺は彼女をその場に降ろしてあげた。
地面に脚を付けるなり、衣服の乱れを直したマーニャは、間髪入れずに屋敷に目を向ける。
「マーニャ、俺はさっきの奴隷たちを助けて来るから、ここで待っててくれ!」
開いた口が塞がらない様子のマーニャに向けて告げると、俺はそのまま駆け出した。
背後から鋭い口調で呼び止められたような気もするが、今は無視しておく。
正門を施錠している錠前を、力づくで壊し、扉を開く。
そうして、敷地内に入った俺は、すぐに左手にある小さな扉へと向かった。
庭木で囲まれた空間へと入る為の、小さな扉だ。その奥に、先ほど立ち往生していた奴隷たちがいる。
相変わらず声を荒げて叫んでいる声を聞きながら、俺は正門を開けた時と同じように、錠前を破壊し、扉を勢いよく開放した。
途端に、雪崩のように駆け出してきた奴隷たちに飲み込まれそうになりながらも、俺は何とか横に避ける。
取り敢えず、奴隷たちはこれで助かるだろう。
「あとは……」
呟きながら、俺は燃えている屋敷の方へと目を向けた。
大勢の庭師によって整えられている、庭木に挟まれたレンガ造りのアプローチ。
アプローチ沿いには、屋敷を護衛していたであろう衛兵が数名、転がっていた。
その中でも一番近場に倒れていた者の元へ駆け寄った俺は、思わず短い声を漏らしてしまった。
「うわっ……」
仰向けに倒れている衛兵の体中いたるところが、ブクブクと膨れ上がっているのだ。
まるで全身にやけどを負ったようなその状態を、俺はあまり長い時間直視することは出来なかった。
間違いなく、既に事切れているその遺体から視線を外した俺は、相変わらず燃えている屋敷に目を向ける。
「とてつもなく、嫌な予感がするな……」
呟いたと同時に、俺は屋敷の二階の窓が、一瞬だけ光り輝いたのを目にした。
「……あの中にまだ、誰かがいるってことか?」
その光の原因が母さんである可能性は、極めて低い。
普通に考えれば、ここで俺が屋敷に助けに向かうのは、自殺行為だし、成功する可能性もほぼゼロに近いだろう。
それでも、俺は一歩足を踏み出していた。
歩きから小走りへ、そして駆け出しながら、俺は自分の左手を確認する。
今のところ、左手が光るような素振りは見せていない。
それはつまり、俺はまだ、諦めきれていないと言う事なのだ。
「諦めるのはもう少し後からでも良いよな! マーニャ、すまん!」
真っすぐ屋敷に向けて走りながら、俺は小さく呟いていた。
屋敷に近づくにつれ、倒れている衛兵の数が加速度的に増えている。当たり前だが、襲撃者にやられたのだろう。
なるべく倒れている衛兵たちを視界に入れないように走った俺は、ついに屋敷の玄関前に辿り着いた。
そこで初めて、明確な人の気配を察知する。
「さっきまでの威勢はどうした!? 口ほどにもないな!」
どうやら、玄関扉を挟んだエントランスで、バーバリウスが誰かに叫んでいるようだ。
その声音は今までに聞いたことが無いほどに怒りを含んでおり、聞くだけで背筋が凍りそうになる。
しかし、ここで止まるわけにはいかない。
バーバリウスがまだ生きているのなら、母さんの居場所を聞き出すチャンスなのだ。
走っていた勢いのまま玄関に突撃した俺は、力任せに扉を開け放った。
握ったノブの熱で、右手の掌が焼け焦げて行く感触を覚えながら、エントランスを見渡す。
広いエントランスの中も、炎と煙に満たされていた。
しかし、まるで透明なドームにでも囲まれているかのように、煙がエントランスに降りてくることは無いようだった。
そんなドームの中には、4人の人間がいた。
その内の三人は、バーバリウスとトルテと母さん。その三人に対峙するように、謎の人間が立ち尽くしている。
位置関係で言えば、俺とバーバリウス達で謎の男を挟み撃ちしている状況だ。
「母さん!」
状況を理解した俺は、いの一番に母さんに呼び掛けていた。
トルテに拘束されているものの、何とか無事ではある母さんは、驚きの眼差しを俺に飛ばしている。
ずいぶんとやつれてしまっているように見えるのは、揺らめく炎の灯りのせいだろうか。
「ガキ! 良いところに来たじゃないか! 今すぐにその不届き者を殺せ! さもなくば、分かっているだろう?」
いつものように、憎たらしい笑みを浮かべるトルテが、俺に気が付くと同時に声を張り上げる。
本音を言えば、トルテの命令など無視して、今すぐにでも母さんを助け出してやりたい。
しかし、それはトルテも承知の上なのだろう、俺を凝視しながら母さんの首にナイフを突き立てている。
「くそっ!」
これでは迂闊に動くことが出来ない。
最善の選択は何だ? 必死に頭をフル回転させた俺は、改めて謎の男に目を向けた。
深々とフードを被っているその男は、一瞬だけ、俺の方に注意を向けたかと思うと、すぐに対面しているバーバリウス達に注意を戻す。
俺は警戒するに値しない存在だと考えたのだろう。
何しろ、10歳そこらの子供が、この状況で役に立つ道理が無いのだ。
つまり、男は油断をしている。
「……やるしかないか」
左手が光り出すのを確認した俺は、深く息を吸うと、謎の男目掛けて身構えたのだった。
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