第16話 壊れる日常
ダンジョンから出る時の足取りは、入る時のそれと比べて、軽く感じるものだ。
その上、軽くなるのは足だけではないらしく、洞窟を抜けた頃には、自然と会話が始まっていた。
「そういえば、俺達がいつも集めてる魔物の素材って、結局何に使われてるんだ?」
「装備品とか、そういう物じゃない? 私も詳しくは知らない」
「装備品か……確かに、さっきの大鎌を使えば、良い武器が作れそうだよな」
前を歩く奴隷たちの後を歩きながら、マーニャと言葉を交わす。
内容は殆ど無い、単なる雑談だ。
そんな風に通いなれた道を歩くこと数十分、大穴の縁に辿り着いたところで、トルテと合流を果たす。
「遅かったじゃないか」
顔を合わせると、いつも嫌味を告げて来るこの男が、俺は本当に嫌いだ。初めて会った日の出来事も相まって、日に日に嫌悪感が強まっている。
そんなトルテに連れられ、いつも通り、小屋に戻った俺達は、例の如く休息のために寝床に向かった。
流石に二日間もダンジョンに潜っていたのだ、いくら身体能力が向上しているとはいえ、疲労は蓄積している。
そのおかげか、深くため息を吐きながら横になった俺は瞬く間に眠りに落ちていった。
外から吹き込んでくる隙間風も、複数人の体臭が入り混じった鼻を突くような悪臭も。全てがいつも通り。
再び目が覚める時も、いつも通りウンザリとするものだと思っていた俺は、思いも拠らない衝撃で目を醒ます。
荒々しく扉を開け放つ音と、大勢の人間が騒ぎ立てる音。そして、冷たい水を頭からぶっかけられたような刺激。
突然降りかかってきたそれらの情報に、俺は困惑する。と同時に、俺の肩を揺すっている人物へと目を向けた。
「マーニャ? どうかしたのか?」
「ニッシュ! 早く起きて! 逃げなくちゃ!」
「逃げる? 何を言って……」
マーニャの言葉にさらに混乱を抱いた俺は、ふと小屋の中に目を通し、異変に気が付いた。
同じ小屋で休息をとっていた筈の奴隷たちが、誰一人いない。
まるで、慌てて小屋から逃げ出してしまったかのように、何枚かの布切れが散乱している。
続けて、開け放たれた扉へと目を移した俺は、2つの事に気が付いた。
1つは、まだ夜が明けていない事。
もう1つは、夜にしては外が明るい事。
相反する情報にさらに混乱しそうになった俺は、湧き上がる疑問を目の前のマーニャにぶつけることにした。
「何があった? どういう状況なんだ?」
「詳しくは分からないけど、誰かが屋敷を襲撃したみたい……」
「屋敷を襲撃!?」
咄嗟に立ち上がり、小屋の入口から外の様子を伺った俺は、息を呑んだ。
俺達の今いる小屋は、バーバリウスの住む屋敷の隣に建ち並んでいる。
表向きは大量の庭木で隠されているのだが、小屋の方からは屋敷の二階部分が見て取れるのだ。
そんな屋敷の二階部分を、轟々と燃え盛る炎が包みこんでいる。
「マジか……うそだろ?」
バーバリウスの住む屋敷は、ゼネヒットの治安部隊によって厳重に守られていた筈だ。
簡単に言えば、小さな軍隊に守られているような物であり、簡単に守りを崩すことは、不可能だろう。
そんな難事を、こうしてやってのけている存在が居ることに驚きを隠せない。
同時に、俺は大きな焦りを抱いていた。
「母さん!」
母さんの居場所は未だに分かっていない。しかし、俺は一つの疑念を密かに抱いていたのだ。
それは、バーバリウスの屋敷にいるのではないかという疑念。
奴隷が入ることを許されていない屋敷の中であれば、俺から母さんを隠すのにうってつけだ。
それに、バーバリウス達が俺の弱みを握る場合、身近に置いて管理するのが、一番手っ取り早いと考えるだろう。
もし、俺の推測が合っているなら、いままさに燃えているあの屋敷の中に、母さんがいる可能性は高い。
すぐにでも助けに行こう。そんな考えが頭の中を埋め尽くし始めた時、俺の右手首を誰かが握り締めた。
「どこに行くつもり!?」
「マーニャ……」
離すつもりは無いとばかりに、俺の手を両手で握るマーニャ。
そんな彼女の瞳は、揺れる炎の灯りに照らされて、強く深く輝いているように見える。
しかし、目と口で強がってはいるものの、彼女の肩や手は、小刻みに震えていた。
この状況で不安や恐怖を抱かない方がおかしい。なにしろ、彼女は10歳の少女なのだ。
正直に言えば、俺も怖い。それでも恐怖に震えることが無いのは、多少なりとも身体能力に自信があるからだろうか。
「マーニャ。取り敢えず、ここを出よう。敷地外に出れば、安全なはずだろ? なっ?」
なるべく普段通りの口調を装った俺の言葉に、彼女は小さく頷いて見せる。
すぐにマーニャの左手を握った俺は、いつも通っている外への道を駆け出した。
左手から轟々と燃え盛る屋敷の音が聞こえ、前方からは大勢の人間が騒いでいる声が聞こえた。
どうやら、出入口の門が閉じられたままのようで、奴隷たちが皆、足止めをくらっているらしい。
「おい! だれかいないのか!」
「開けてくれ! 開けろぉ!」
「このクソ野郎ども! 俺達を見捨てる気か!」
門の前でけたたましく騒いでいる奴隷たちを見た俺は、すぐさま足を止めて、マーニャの方を振り返った。
突然足を止めた俺に驚いたのか、マーニャは息を荒げながらも疑問を口にしようとする。
そんな彼女に構うことなく、俺はマーニャの腹に自身の右肩をあてがい、勢いよく持ち上げた。
「ちょっ!? ニッシュ!? 何するの!?」
肩に担がれた状態で騒ぐマーニャに、俺は大声で告げる。
「あんな人ごみに子供が突っ込んで行ったら、危ないだろ? 仕方ないから、塀を飛び越える! 舌を噛んだら危ないから、喋るなよ!」
「でも! ニッシュなら!」
「それこそ、俺が全力で突っ込んで行ったら、死人が出るじゃん!」
マーニャの言わんとすることを汲み取った俺は、自嘲交じりの苦笑を漏らしながら言った。
二、三歩の助走を付けて、勢いよく飛び上がった俺は、近くにあった小屋の上に着地すると、続けざまに跳躍する。
そうすることで、街の路地に面した塀を飛び越えた俺は、路地にあふれていたやじ馬達の眼前に着地した。
驚きのあまり、黙り込んでしまうやじ馬達を無視し、俺はマーニャを担いだまま屋敷の正面へと移動する。
そこで初めて、燃え盛り、崩れかけている屋敷の全貌を目の当たりにしたのだった。
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