第15話 不本意な日常

 俺が初めて魔物狩りに出た日から、5年の月日が経とうとしていた。つまり、俺も10歳になったという事だ。


 その5年の間に、俺はこの街について様々な事を知ったと言っても良いだろう。


 まず、バーバリウスの正体について。


 あの男は、ハウンズと呼ばれる裏組織のボスをやっている男だ。


 ハウンズはゼネヒットの街を裏から操っているようで、税務局や治安部隊にまで影響力があるらしい。


 まぁ、この話はあくまでも噂ベースなので、実際どうなのかは分からない。


 しかし、バーバリウスが街のあらゆる場所に対して、絶大な影響力を持っていることは、明白な事実だ。


 街の統治をしている貴族たちに、バーバリウスがどうやって取り入ったのかは分からない。


 ヒントがあるとすれば、表向きの顔が商人だと言うことくらいか。


 言ってしまえば、俺たち奴隷もあいつにとっては商品の一つに過ぎないのである。


 次に、母さんの事。


 酷く情けない話ではあるのだが、俺は5年たった今も、母さんを助け出すことに成功していない。


 それだけでなく、居場所さえ把握できていないのだ。


 トルテやバーバリウスに何度も話をさせてもらえるように要求したが、全て突っぱねられてしまった。


 まぁ、それは当然なのかもしれない。


 5年の間、魔物狩りや坑道掘削などの重労働で鍛えられたのだ、今の俺なら、母さんを連れて逃げ出すことは造作も無いだろう。


 バーバリウスやトルテに逆らえないのは、ひとえに、人質を取られているという状況が原因だ。


「にしても、本当に情けないよなぁ……」


「ちょっと! ニッシュ! さっきから何ボーっとしてるの!?」


 聞き慣れた叫び声で我に返った俺は、改めて周囲の様子を整理する。


 暗い洞窟の中、揺れる松明に照らされた4人の奴隷たちが、体勢を低くしながら俺を振り返り、待機している。


 そんな4人のうち、一番手前で俺に声を掛けてきたのが、マーニャだ。


 5年前よりもさらにウェーブの掛かった栗色の髪は、後ろで一つに束ねられている。


 美少女と言っても差し支えない目鼻立ちを備えた彼女は、どこか呆れたような目で俺を睨みつけると、深いため息を吐いた。


「こんな時まで考え事? ちゃんとしてよ!」


「あぁ、ちょっと背中がかゆくてさ。病気かな?」


「ふざけないで!」


「ごめん」


 張り詰めた空気を和ませようとした俺の気遣いは、マーニャの気に障ったようで、いつも以上に鋭く睨まれてしまった。


 他の奴隷たちの視線にも、冷たいものを感じながら、俺は洞窟のさらに奥へと目を走らせる。


 薄暗くてよく見えないが、少し進んだ洞窟の壁や床や天井が、なにやら白いものに覆われている。


 正直、これ以上前に進みたくはない。


 今俺達がいるのは、ダンジョンの中層に当たる場所だ。


 初めて魔物狩りをしたときと同じダンジョンではあるが、更に深い位置から、横穴の洞窟に入ったと思って貰えれば分かりやすいだろう。


 そして、この辺りに人の気配は殆どない。


 理由は単純で、深層に行くにつれて現れる魔物の危険度が、異常に跳ね上がってゆくからだ。


 奴隷だけで編成されているこの部隊が、それを物語っている。


 とは言え、俺は人質を取られているため、逃げ出せるわけもない。


「レッドスパイダーだったよな。嫌だなぁ……行きたくないなぁ」


 ひそひそと愚痴を告げる俺の言葉に、マーニャもひそひそと答える。


「じゃあどうするの? このまま戻る気? 素材を持って帰れなかったら、それこそ、私たちが殺されちゃうよ!」


「そうなんだけどさ……ていうか、皆不思議に思わないのか? 高々10歳のガキに、こんな高難易度の仕事を任せるか? 見張りもつけずに!」


「それはまぁ、でも、ニッシュだし……」


 どういう意味だよ!?


 思わず声を張り上げそうになった俺は、グッと言葉を飲み込むと、意を決して一歩を踏み出す。


 そんな俺を見たマーニャ達は、待ち望んでいたとでも言うように、俺の前に道を作る。


 ゴツゴツとした岩の壁を右手でなぞりながら、少しずつ歩いていた俺は、ある程度進んだところで、右手に違和感を覚えた。


 ねばねばとした繊維状の物が、指先に張り付いてくる。


『最悪……でも、これは確実にいるよな。レッドスパイダー。どう考えても蜘蛛の巣だし。……えっと、必要な素材は、レッドスパイダーの大鎌と紅玉、つまり目ん玉だったよな』


 冷静に、頭の中で目標を再確認した俺は、暗闇の中を嘗め回すように見渡した。


 既に俺達の存在は気付かれている可能性が十二分にある。


 気を付けるべきは奇襲だろう。相手が蜘蛛なのだと言うのなら、影から忍び寄り、毒か糸で動きを制限してくるかもしれない。


 だとするなら、死角に入られるのは避けなければならない。


 とは思いながらも、妙に不安を覚えた俺は、ゆっくりと背後を覗き見た。


 先程まで居た場所から一歩も進んでいないマーニャ達が、松明に照らされながら不安げにこちらを見つめている。


「いい気なもんだよなぁ」


 ため息交じりに俺が呟いた瞬間、マーニャがすっくと立ちあがったかと思うと、こちらを指差し、声を上げた。


「ニッシュ! 後ろ!」


「おわっっと!」


 マーニャが叫ぶのとほぼ同時に、俺は両足で地面を力一杯に蹴った。


 バク転をするように後ろに飛び退くことには成功した俺だったが、しかし、着地には失敗し、背中を地面に叩き付けてしまう。


 とはいえ、最悪の事態は避けられたようだ。


 仰向けに転がった状態から急いで体勢を戻した俺は、眼前に現れたレッドスパイダーと対峙する。


 成人男性を遥かに凌ぐほどの体躯を持ったそいつは、先ほどまで俺が居た辺りに大鎌を突き立てている。


 紅玉と呼ばれる八つの眼球は、深く赤い輝きを有しており、その中でもとりわけ大きな二つが、まっすぐに俺を見つめているようだった。


「こうして近くで見ると気持ち悪いな……」


 言いながら壁に右手を触れた俺は、ちょうどいい突起を見つけ、思い切り力を込める。


 ゴリッという鈍い音とともに、壁から石をもぎ取った俺は、目の前のレッドスパイダーに狙いを定める。


 そうして、レッドスパイダーが動き出す前に、手にしていた石を思い切り投げ込んだ。


 こぶしほどの大きさの石は、淀んでいた洞窟の空気をかき混ぜるかのように、轟音を上げて飛んでゆく。


 対するレッドスパイダーは、咄嗟に頭を庇おうとしたのだろうか、石の射線から頭を逸らしながら、前足と大鎌で防御態勢をとった。


 しかし、完全に避けることは出来ず、石はレッドスパイダーの腹部に着弾する。


 途端、レッドスパイダーの腹部は見るも無残に弾け飛んだ。


 飛び散るレッドスパイダーの体液と広がる異臭に顔を歪めた俺は、引き続き洞窟の奥に警戒を続けながら、背後の皆に手招きをする。


 その合図を待っていたのだろうか、すぐに俺の元まで駆けつけたマーニャ達は、眼前に広がる惨状に、顔をしかめていた。


「これで足りるよな?」


「えーっと……うん。大鎌2つと紅玉6つ、それに、大紅玉2つ。しめて、レッドスパイダー1匹分の素材。全部回収できそう」


「やっと帰れる……」


 マーニャが確認をしている間も痙攣を続けていたレッドスパイダーが、完全に動かなくなるのを待ち、俺達は素材を剥ぎ取る。


 そして、2日ぶりの外に向けて、帰宅を始めたのだった。

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