第12話 嫌な予感
広場を囲んでいる木々をかき分けて現れたのは、巨大なトロールだった。
黄色く光る大きな瞳で、足元に居る俺たちのことを見下ろすと、半開きの口で舌なめずりをする。
そんなトロールの一番近くで、ゴブリン達の死骸を漁っていた爺さんとひょろい男は、甲高い悲鳴を上げて逃げ出した。
その反応は当然のものと言えるだろう。
木と殆ど同じくらいの背丈があるトロールに、生身の人間が太刀打ちできるわけが無い。
「なんてデカさなんだよ……あの手に捕まったら、ひとたまりもねぇぞ」
駆け出してゆく爺さんと男を横目で見ていた俺は、すぐにその場から逃げ出すために、動き出す。
未だに地べたに座りこんだままの少女の手を取り、トルテの脇を駆け抜ける。
恐怖のあまりに、呆然としているのか、トルテと体格の良い男はトロールを見上げたまま動かなかった。
かといって、俺に何かできるわけでもないし、するつもりもない。
がむしゃらに走り続け、もう少しで、入って来た洞窟に辿り着きそうになり、俺は言い聞かせるように呟いた。
「ここまで来れば……!?」
狭い洞窟に逃げ込めれば、トロールが追いかけてくることは無いだろう。
そんな算段をした俺の言葉を遮るように、突然の轟音が背後で響き渡る。
音と共に押し寄せる地響きで、体勢を崩した俺は、少女を抱きかかえながらもその場に尻餅をつく。
そして、トルテ達が居るであろう方を見て、目を疑った。
圧倒的な存在感を示していた筈のトロールが、背中から地面に押し倒されている。
「なにが……!?」
俺の口から零れた疑問に答えるように、ゆっくりと振り返ったトルテは、やれやれといった風に、小さく手招きをする。
「は?」
トルテの行動の意味を推し量れない俺にしびれを切らしたのか、トルテは再び手招きをして見せる。
「来いって事か? いや、早く逃げた方が……」
俺の言葉に機嫌を悪くしている体格の良い男とは対照的に、どこか楽しんでいる風のトルテは、もう一度手招きをした。
途端、俺は猛烈な嫌な予感とともに、強い力で引っ張られることになる。
まるで、屈強な腕に胸倉を掴まれたように、トルテの元へと引っ張り寄せられた俺達は、勢いのまま、地面を転がった。
何が起きたのか、いまいち理解が追い付かない。
そんな俺の様子を知ってか、何者かが説明を始める。
「オレッチ達の魔法に決まってるじゃん? なにそんなに驚いてんの? もしかして、魔法も知らないようなガキなのか? だったら、こいつには無理なんじゃね? トルテ」
いつの間にそこに居たのか、トルテの頭上に、胡坐をかいているバディが浮かんでいた。
その要旨は、さながら妖精と言ったところだろうか。
半透明の羽を持った小さな青年に見える。
そんなバディの言葉に溜息を吐いたトルテは、バディを睨んだ後、俺を見下ろしながら告げる。
「余計なことを言うな。それに、このクソガキに気を遣う必要はない。おい、クソガキ、お前、このトロールを一人でしとめてみろ」
「は!? そんなこと出来るわけ……!」
「言葉を慎め! このガキが!」
トルテの言葉に反射的に反論してしまった俺に、体格の良い男が拳骨を喰らわせる。
頭の痛みに悶えながら地面を転がる俺は、何とか立ち上がると、体格の良い男を睨みつけた。
何か文句でも言ってやろうか……。
と考えたのも束の間、俺と少女の身体が、再び宙に浮かび上がり、そのままトロールの眼前まで飛ばされてしまう。
「ちょ! おい! この子は関係無いだろ!?」
「つべこべ言うな。トロールが体勢を崩している今ならまだ、お前にも勝機があるかもな」
抵抗する術も無い俺達は、地面を転がる。
落ちている小石を背中で踏んでしまい、激痛が走る。
そんな痛みに耐えながらも、その場に立ち上がった俺は傍に突っ伏している少女に駆け寄った。
ボロボロと涙を溢しながら、身体を震わせている彼女は、俺を見あげることも無く、ただ俯いている。
「おい! 大丈夫か!? 早く立ち上がって、逃げるぞ!」
完全に泣きじゃくる彼女を、無理やりに立ち上がらせようとする俺だったが、悉く失敗する。
未だに煌々と輝く右手と、気力をなくしてしまっている少女の姿を見ているうちに、俺は苛立ちを覚え始めて居た。
「おい! もういい加減にしてくれ! 早く逃げないと、二人とも……」
膝を抱え込んで座ってしまう少女の肩を掴み、思わず怒鳴ってしまった俺は、キッと睨みつけて来る少女の眼光に、怯んでしまう。
それを知ってか、少女も負けじと怒鳴り返してくる。
「逃げれる訳ない! 逃げれる訳ないんだもん!」
震える声で紡がれる彼女の言葉が、俺の心を蝕んでゆく。
まるで、追い打ちを掛けるように、トロールが体勢を立て直してしまった。
片膝立ちから直立まで、立ち上がろうとトロールが脚を踏ん張るたびに、俺の腹に振動が伝わる。
これで完全に、逃げる余裕はなくなってしまった。
仮に逃げようとしても、トルテが何もせずに見守るわけが無い。
詰んだ。
途端、俺の左手が煌々と光を放ち始める。
「はっ……そりゃそうだよなぁ」
閻魔がなぜ、俺にこのような呪いをかけたのか分からない。
ただ、こうして自分が諦めてしまったっことを、目に見えて分かる形で示されるのは、意外と堪えるものだ。
光った時点で、これ以上の努力が何の意味も無いと言われているようなものではないか。
何しろ、自分が既に諦めてしまっているのだから。
そもそも、地獄に落とされて閻魔大王に呪われてしまうような人間が、真っ当な死に方をするわけが無い。
このまま、トロールに食われて死ぬのが、関の山なんだろう。
もしくは、ぺちゃんこに潰されてしまうのだろうか。
俺たちに向けてゆっくりと伸ばされるトロールの右腕を、呆然と見上げた俺は、少しずつ体が火照り出したことに気が付く。
―――本当にそうなのか?
その感情を、俺は良く知っている。
―――お前が望んでいるのは、こんな終わりなのか?
頭の中から、沸々と沸き起こって来るその感情は、まるで俺に問いかけているようだった。
―――まだ、やり残していることが、あるんじゃないのか?
頭の中を、そして、体中を反芻する問い掛けに呼応するように、俺は歯を喰いしばる。
両の拳を握り締め、両足を強く踏ん張った俺は、そのまま目の前に、拳を突き出した。
伸ばされるトロールの右腕に打ち付けるように。
次の瞬間、まるで針で刺された風船のように、トロールの右腕がはじけ飛んだのだった。
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