第11話 右手の紋章

 洞窟の中の小さな森で、焚火を囲んでいるゴブリンたちは、談笑しながら食事を摂っているようだった。


 そんなゴブリンたちの姿を見て、俺が呆けている間に、トルテ達が前進を始める。


 慌てて彼らの後に着いて歩きだした俺は、音をたてないように身を屈めると、茂みの中に潜り込んだ。


「よし、それじゃあ、ガキ二人で囮をしろ。そして、奴らが分断したところを、一気に制圧する」


 茂みの中に入ったのと同時に、トルテのその言葉を聞いた俺は、気が付けば、ゴブリンたちの居る広場へと放り出されていた。


「うわっ!?」


 体格のいい奴隷に投げられたらしく、俺は軽く宙を舞うと、転がりながら着地する。


 同じように放り出されたのか、すぐ隣には涙を浮かべた少女がいた。


「くそっ! ふざけるなよ……!?」


 すぐにでも立ち上がって、トルテ達に文句を言おうとするが、しかし、迫りくる危険に気づき、身構える。


「肉……肉……」


 唾液を垂らしているゴブリンたちが、俺と少女を凝視しながら、ゆっくりと立ち上がったのだ。


 骨と皮しかない程にやせ細っているゴブリンたちは、近くに落ちていた石などを手に取ると、こちらににじり寄ってくる。


「やべぇ! ほら、逃げるぞ!」


 咄嗟に、トルテ達のいる方へと逃げようとした俺は、視界の端で座り込んで動かない少女を捉える。


 既に踵を返して走り出そうとしていた俺が、すぐさま何か出来るわけもない。


 かといって、見殺しにするわけにもいかない。


 突然、進行方向を変えようとしたせいだろう、俺が盛大に体勢を崩してしまったその時。


 ゴブリンたちが一斉に動き出した。


 5体のゴブリン達は、示し合わせたろうに少女に向けて走り出す。


 俺のことなど眼中にないのか、確実に彼女をしとめる気のようだ。


 強く握りしめられた石や手製の斧を振りかざし、瞬く間に少女を取り囲んでしまった。


 少女はというと、何をするでもなく、呆然と座りこんでしまっている。


 こちらを振り返って、助けを求めることなく。


 ただ一人、上を見上げながら、座り込んでいる。


 その光景を見た瞬間、俺は悟ってしまった。


 彼女は知っているのだろう。


 この状況で、誰かが助けに来てくれることなど、ありはしないのだと。


 そんな希望を抱いたところで、意味がないと言うことを。


 彼女は今、どんな表情をしているのだろうか、泣いているのだろうか、怖いのだろうか、不安なのだろうか。


 ……諦めてしまったのだろうか。


 それらの考えが、脳裏を過った時、俺は自分でも信じられない行動に出ていた。


 今までに出したこと無いほどの大声を張り上げながら、勢いよく立ち上がると、デタラメにゴブリンに飛び掛かってゆく。


 立ち並ぶゴブリンの頭や腕を狙った俺の拳は、勢いに反して、全て外れてしまった。


 それでも、突然の乱入者に驚いたのか、怯んだ様子のゴブリンは、俺を避けるように一歩退く。


 自分でも驚きながら、ゴブリンに対峙した俺は、周囲を威嚇しながら身構える。


 何しろ、状況が優勢になったわけでは無いのだ。


 この状況を理解したゴブリン達が、俺も含めてしとめてしまおうと動き出すのは、想像に難くない。


 しかし、俺の想像が現実になることは無かった。


 一向に動かないゴブリン達に違和感を抱いたのと同時だろうか。


 俺は一つの異変に気が付いた。


 俺の右手が、光を帯びているのだ。


「なっ!?」


 左手であれば、俺が驚くことは無かっただろう。


 右手には紋章は無かったはずである。


 それが今、くっきりと、左手と同じ紋章が右手にも浮かび、煌々と輝いているのだ。


 何故だろう。


 新しく抱いた疑問とともに、俺は一つ、納得した。


 拳に光を帯びている人間を、ゴブリン達は警戒したのだろう、と。


 試しに、右手で軽くジャブを打ってみると、それに合わせるように、ゴブリン達がピクリと反応を見せる。


「どうした? これが怖いのか?」


 完全に警戒しきって近づいて来ようとしないゴブリン達を前に、俺は思わず軽口を叩いた。


 まさか、通じるとは思っていなかったのである。


「バカに……するな!」


 手製の斧を持ったゴブリンが、俺の言葉に反応したかと思うと、5体が一斉に動き出す。


 思わぬ反応に、俺が歯を喰いしばり、ゴブリンとの乱闘を覚悟した瞬間。


 5体の内3体が、勢いよく地面に叩き付けられた。


 その様子に呆気にとられた俺の目の前で、残りの2体が切り伏せられる。


 手際よく2体を切り伏せた体格の良い男は、地面に叩き付けられた残りの3体にとどめを刺してゆく。


 そんな様子を横目で見ながら歩くトルテは、舌打ちをすると、俺に嫌味をぶつけてきた。


「ったく、俺は分断させるように言ったはずだぞ!? なに、そのガキを庇ってやがるんだ。5体のうち、3体くらいを、お前が引き付ければよかっただろうが!」


「ちょ!? ふざけるな! そんなことしたら、俺はともかく、この子が助かる訳ねぇだろうが!」


「おい、お前はご主人様に向かって何を言っている? 身の程をわきまえろよ?」


 トルテの嫌味に食って掛かる俺は、鋭く伸ばされた切っ先を首元に受け、体格の良い男を睨みつけた。


 どうやら体格の良いこの男は、トルテに従順な奴隷といったところだな。


 俺を諫める男の様子を、微笑ましく眺めて居たトルテは、キッと顔をしかめると、俺に歩み寄って来た。


「おい、ガキ、今度同じようなことをしたら、その時は……」


 何かを言おうとしたトルテが、一呼吸置いた、その時。


 俺達は嫌な気配を感じた。


 それは、その場の全員が感じたもののようで、眼前に居るトルテの顔が、真っ青になってゆく。


 俺も、自身の顔が真っ青になってゆくのを感じながら、ゆっくりと背後を振り返った。


 ズシンと胃に響くような足音とともに、何かがこちらへと近づいて来ている。


 そしてそれは、ゆっくりと姿を現したのだった。

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