第10話 初任務

 バーバリウスに屈したその日のうちに、俺は初めての任務に就くことになった。


 母さんと、半ば強引に引き離された俺は、これと言った説明もなく、街の出入り口である門へと誘われる。


 仕方なく、トルテの後に着いて歩いていた俺は、街の人々から注がれる視線に、気づかざるを得なかった。


 なぜ注目を集めてしまうのか。


 不思議に思った俺は、街を歩いているうちに大きな違和感を覚え、その正体に気が付いた。


 そして、先程バーバリウスが言っていたことを思い出し、一人で納得する。


 シエルが背中に居る。


 アイツが言った言葉が、そのままの意味なのだとしたら、間違いなく、箱の中にシエルが居る。


 そして同じように、あいつはこうとも言った。


 お前は今日から俺の奴隷だ。


 突如として自分の身に降りかかる、非情な現実を前に、俺は歯を喰いしばり続ける。


 これほど理不尽な事があるだろうか。


 5歳の誕生日を迎えたが故に、複数の男達から暴行を加えられ、母親を人質に取られ、奴隷となる。


 首元の金具を勢いよく破壊し、箱の中からシエルを助け出そう。


 そんな考えが脳裏を過ろうとするが、大きな壁にぶち当たり、通過することは無かった。


 そんなことをしてしまえば、母さんの身に何が起きるか、目で見ずとも分かる。


 今は黙っていう事を聞く他に無い。


 それから街の正門を出て、しばらく歩いた俺達は、平原のど真ん中に空いている巨大な穴の縁に辿り着く。


 底が見えないほどに深いその穴は、まるでらせん階段のように、壁沿いに通路があるらしい。


 その通路のいたるところから、壁の内部に入り込めるような横穴が空いている。


「よし、着いたぞ。少しここで待ってろ」


 俺に対してそう告げたトルテは、俺たちと同じように穴の縁で待機している人々の元へと歩いて行った。


「ここは、何なんだ?」


 トルテが居ない間に、穴の中を覗き込んでみるが、壁沿いの道以外には何も見えない。


 黒く渦巻いた鋭い風が、穴の底から込み上げて来るような気がして、俺は数歩後ずさった。


「よし、それじゃあ、今日はこの面子めんつで行くぞ。おいクソガキ、お前が先頭だ! さっさと進め!」


 ゾロゾロと人を引き連れて戻って来たトルテは、腰に携えた片手剣に右手を添えながら、俺に指図する。


 そんな指示に渋々従いながらも、俺はトルテが引き連れてきた人々を見やった。


 全部で5人の男女。


 今にもぶっ倒れてしまいそうな爺さんを、ひょろくて泣きだしてしまいそうな男が支えている。


 その隣には、本当に見えているのかと疑うほど、目の細い男が突っ立っており、憐れむような表情で俺を見ている。


 唯一、体格のいい男は、トルテのすぐ近くに立ち尽くし、俺をあざけるように見下ろしている。


 そして、俺と同い年くらいの幼い少女が、爺さんの隣でべそをかいていた。


「行けって言われても、どこに行けば良いんだよ? もしかして、この穴を降りるのか?」


「おい、クソガキ。誰に向かってそんな口を利いてんだ?」


「……すみません」


 思わず口をついて出た言葉を聞かれていたらしい。


 トルテの言葉に身を小さくした俺は、文句を垂れることなく、穴の底へと続いているであろう道を、ゆっくりと進みだした。


 頑張れば二人横並びで歩ける程度の幅の道を、歩くこと数分だろうか。


 ゴツゴツとした岩肌の地面と壁に、どこか飽きを感じ始めた頃、背後を歩いているトルテが声を上げた。


「そこの横道から、中に入れ!」


 声を聞くと同時に立ち止まった俺は、視線を右側に空いている穴に向ける。


 暗闇の広がる穴の中を覗き込んでいると、吸い込まれてしまいそうになるのは俺だけだろうか。


 不安と恐怖の綯い交ぜになった汗が、全身から噴き出してきたのを感じる。


 そんな折、ふと何かが俺の手に触れた。


 思わずギュッと手を握り込んだ俺の耳に、甲高い声が入り込んでくる。


「ひゃっ!?」


 何事かと声の方を見た俺は、松明を持ったまま呆然とする少女の姿を捉えた。


 それと同時に、俺の右手が少女の手を握り締めていることに気が付く。


「あっ、ごめん」


 咄嗟に手を離しながら謝る俺に、少女は首を横にブンブンと振りながら、松明を手渡してくる。


 ウェーブの掛かった栗色の髪を、大きく揺らし終えたらしい少女は、少し俯き加減のまま、二、三歩後ずさりした。


「ありがとう」


 取り敢えず短く礼を言うと、受け取った松明を手に、一歩を踏み出してみる。


 今まで通って来た道と同じく、石を荒く削ったような作りの穴の中は、思ったよりも整理されているように見えた。


「こんなところに何をしに来たんだ?」


 松明の光で辺りを照らしてみても、何もない。


 しいて言うならば、小さな石ころがそこら中に転がっているくらいだ。


「おい、何をしてる! 早く奥に進め!」


「奥って、どっち……ですか?」


 危うく乱暴な言葉が出そうになりながらも、背後のトルテに問いかける。


「このまま真っすぐだ。そこに行けば、何をするべきなのかすぐに分かる! 良いから進め!」


 問い返されるのがよほど面倒くさいのか、それとも、何か焦りでも抱いているのか、トルテが妙に急かしてくる。


『これ以上機嫌を損ねても、良いことないよなぁ……』


 俺はため息交じりに独白すると、意を決して歩きだす。


 くらい足元を松明で入念に照らしながらも、躊躇することなく進む。


 少し広めだった穴の付近から、細い洞窟に入り込み、尚も前に進む。


 そうして、洞窟を抜けた先で、俺は信じられないものを目の当たりにした。


「な、なんでこんなところに……?」


 洞窟を歩いている時から、少しずつ気が付いてはいた。


 妙に煩かったのだ。


 洞窟の中とは思えないような、鳥の鳴き声や枝葉のなびく音。


 大勢が騒いでいるかのような奇声。


 何かの幻聴かと思っていた俺は、洞窟を抜けた先に広がる緑を見たことで、自分の誤りを知った。


 洞窟の中に、小さな森のような場所が出来上がっているのだ。


 驚きを隠せない俺を見て、多少気をよくしたのか、トルテが一点を指差すと、小声で呟く。


「あそこを見ろ。あいつらが、お前たちの獲物だ。分かるな? 分かったらさっさと仕留めて来い」


 示された先を見た俺は、森の中で焚火を囲み、騒ぎ立てている生物を発見する。


 そして、思わず言葉を漏らしてしまったのだった。


「ゴブリン……なのか?」

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