第6話 刻銘の儀式

 いつも通り母さんに起こされた俺は、寝ぼけた頭のまま、ちぎられたパンを食んでいた。


 俺の肩に腰を落としている少女も、未だ寝ぼけているらしく、俺の髪の毛を頬に溜め込もうとしている。


「おい、よだれでベトベトになるだろ」


「へ? はいが?」


 俺の指摘を受けた少女は、上手く言葉を発する事が出来ていないことに気が付き、口の中身を吐き出した。


「うえ……最悪……」


「それはこっちのセリフだよ! べちゃべちゃじゃないか!」


 口元を拭う少女と濡れた髪を拭く俺は、互いに視線を向けると、失笑を交わす。


「朝からご機嫌ね。まぁ、今日は二人にとって大切な日だものね」


 机を挟んで二人を眺めて居たセレナが、ニコニコとした表情のまま告げた。


 普段であれば、痩せこけた彼女の様子を、どこかみすぼらしいと感じてしまう俺だったが、今日はどこか違く見える。


「母さん、何か嬉しそう。何か良い事でもあった?」


「ううん。なんでもないわ。あなたが気にすることじゃないのよ。そうだ、それを食べ終わったら、早速刻銘の儀式を行いましょう!」


「セレナってば分かってるぅ! ほらニッシュ! パンなんか一口で食べ終わりなさいよ!」


「分かったから、髪を引っ張るな! 痛いだろ?」


 刻銘の儀式と言うのは、言葉通り、バディに刻銘する儀式のことだ。


 そう言えば、母さんはどうやってバディの名前を決めたのだろう。


「ねぇ、母さんがバディの名前を決めた由来とかあったりするの? 何て言ったっけ?」


「テツよ。皆幼い頃に決めるんだから、由来なんて無いと思うけど? 人によっては、刻銘の儀式を一生後悔する人もいるらしいわ……だから、変な名前にはしない事ね。ふふふ、その意味では、ウィーニッシュは年の割に大人びてるから、大丈夫なのかもだけど」


「え? 俺、そんなに大人びてる?」


「うん、かなり」


「え~? そうかなぁ? 私はまだまだお子ちゃまだと思うんだけどなぁ。テツはどう思う?」


 母さんの目の前で机に腰かけているテツは、珍しく話を振られたことに動じることも無く、ただ無言で頷いた。


「いや、どっちなんだよ!?」


「テツも大人びて見えるらしいわ」


 流石バディと言ったところか、母さんにはテツの考えが分かるらしい。


 言葉を交わすことなく分かり合えるような関係を前に、どこか憧れを抱いた俺は、残りのパンを口に放り込むと、少女に頷いて見せた。


「なに? 喉でも詰まらせちゃった?」


 違うんだよなぁ……。


 キョトンとしている少女から視線を外した俺は、ため息を吐くと、机の上の食器類を片付ける。


 そうして一息ついた後に、再び椅子に腰かけると、改めて母さんに向き合う。


「で、刻銘の儀式ってどうするんだっけ?」


「まず、ウィーニッシュの手にバディの手を重ねるようにしてみて」


 俺が言われるままに両手を前に差し出すと、その両手の上に少女が手を重ねてきた。


 自然と視線が合うことに、どこか気恥ずかしさを覚えた俺は、ゆっくりと目を閉じる。


 その様子を見たのだろうか、母さんはいつもよりも穏やかな声音で言葉を続けた。


「まずは、バディが心の中で何度も問いかけるの、『私が私であることをしめめいを求む』ってね。そうしたら、ウィーニッシュの出番よ。きっと、彼女の問いかけを感じ取れると思うから、あらかじめ決めてた名前を、返してあげて」


 逸る気持ちを抑えきれないのか、母さんの説明を聞きながらも、少女は既に問い掛けを始めているようだった。


 彼女の手が触れている両手から、仄かに温もりを感じる。


 その温もりは、俺の腕を通って肩に到達したかと思うと、四方八方に広がってゆく。


 首筋を通って頭の天辺へ。


 胸元を通って腹の辺りへ。


 腰元を通って足の満遍へ。


 体の内側から圧迫するような彼女の温もりに浸っていた俺は、思い出したように念じる。


 シエル。


 それが彼女の名前だ。


 何度も何度も、心の中で念じ続けた俺は、ふと気が付くと、自身の耳でその単語を聞き取っていた。


「シエル。私の名前は、シエル」


 何かを確かめるように、小さく呟いたシエル。


 ゆっくりと目を開け、彼女の様子を見た俺は、自然と視線が合っていることに気が付き、思わず笑みを浮かべてしまう。


「良い名前だろ?」


「……うん。気に入った。ニッシュにしてはやるじゃない!」


「上手く行ったみたいね。シエル。改めて、よろしく」


 穏やかな日が差し込む小さな部屋の中で、俺たち家族は互いに微笑みを浮かべていた。


 これほどの幸福感に包まれたのは、生まれて初めてなのかもしれない。


 地獄に落ちる前のくだらない常識やどうでも良い知識だけを、一丁前に持っている俺にとっても、初めてだと言えるだろう。


 手放したくない。


 せめて、この小さな家族だけでも守って行けるようになりたい。


 俺がそんなことを考えていた時、何者かが玄関の扉をノックした。


 途端、現実に引き戻された俺達は、小さく咳ばらいをして座り直す。


 怪訝な表情で玄関を見ている母さんとテツ。


 そんな二人を見兼ねたのか、それとも、名前を貰った嬉しさで舞い上がっていたのか。


 フラフラと玄関の方へと飛んだシエルが、勢いよく扉をあけ放った。


「こんにちは! 私はシエルっていうの! あなたは誰ですか?」


 元気よく問いかけるシエルの言葉に応えるためだろうか、玄関先に現れた人物は、一つ咳ばらいをすると、言葉を並べ始めた。


「私はゼネヒット税務局より参りました。トルテという者です」


「税務局の方が何の用で……!?」


 男の言葉を遮るように呟いた母さんは、何かに気が付いたのか、息を呑んで黙り込んだ。


 そんな母さんの様子を見た後、俺はテツの表情を見て、驚愕する。


 焦りと困惑、そして並々ならぬ怒りへと表情を変えたテツが、まるで母さんや俺を守ろうとするように、玄関の方へと身を乗り出した。


 それに迎合するように、玄関先の男がシエルを押し退けて家の中へと入り込んでくる。


「ちょっと! 何するのよ! ここは私たちの家……」


 相変わらず怖気づくことの無いシエルが、乱暴に入って来た男に文句を言い始めたその時、彼女の口を何者かの手が塞いでしまった。


 トルテと言う男とは比べ物にならないほど屈強な男が、片手でシエルの顔を鷲掴みにしたのだ。


「な!? なにを!?」


 シエルが捕まってしまった様子を見て、俺は思わず飛び出しそうになる。


 しかし、そんな俺を止めたのは母さんだった。


 両手で俺の身体にしがみつきながら、ギュッと口を噛み締めている。


 何がどうなっているのか。


 混乱する俺をあざ笑うかのように、トルテは薄っすらと笑みを浮かべると、母さんに向けて言ってのけた。


「今日私がここに来たのは、税の滞納があると聞いたからだ。この街に住むからには、それ相応の責務を果たしてもらわねばならない。分かっているな?」


 無情に告げられるトルテの言葉を聞き、俺は説明を求めるために母さんを見あげたのだった。

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