第4話

―Elzion―


 エルジオン・ガンマ区画。初めて出逢った同じ場所に、彼はいた。

 また遠い目をして、天を仰いでいる。今度は一体、何を祈っているのだろうか。

 自分の悲壮な未来を嘆いているのだろうか。

 それとも変えられない過去を憂いているのだろうか。

 アルドは魔獣の父親の言葉を思い出した。

 ―今更嘆いたって始まらないさ。希望が潰えたわけではない。

 そうだ。まずはそれをクレアにわかってもらわなければ。

「クレア、待たせたな」

「アルドかい。どこに行ってたんだい?」

「いや、ちょっとこれの持ち主を探しに」

「持ち主? こんな古そうなものの? ……それで見つかったのかい?」

「ああ、見つけたよ」

 アルドは一部始終をクレアに報告した。魔獣の部分は、長らく敵対していた相手とした。混乱させるかとも思ったが、聡明なクレアらしく察してくれたようだ。

「そうか……そんなことがあったんだね。じゃあ、僕が命の危険に晒されていたのは……」

「あんたの勘違いじゃないか? 偶然そういう出来事が続いたから、研究者のせいにしたのと同じように、呪いのせいにしただけだ」

 自分の浅はかさを恥じるように、クレアは唇を噛み締めた。けれど、直にふっと表情を緩めたかと思うと、思いの外落ち着いた声音で呟いた。

「……そうかもしれないね。誰かや何かのせいにして、僕は全てと向き合わないようにして来たんだろう。怖かったんだ。自分も、大切な誰かも傷つけてしまうことが。でも、それだけじゃ何も変わらないんだね。僕の人生も、僕のいる世界も。君の話に出てきた人たちは、自らそれを変えようとしていた。たとえ自分の決めた末路じゃなくても、みんな不幸だったとは思えない。きっとそれが彼らにとって幸せな生き方だったんだと思うよ」

「……あんたがその家系かどうかまでは突き止められなかったけどな」

「いや、それは些末なことさ。……僕はとんだ思い違いをしていたみたいだ」

 クレアは力なく首を振る。何かを言いたそうに口を開いたり、躊躇ったりを繰り返している。

 アルドは黙って彼の言葉を待った。

「呪いなんかじゃなかったんだ。これは、幸福追求のための言葉だったんだね」

 そう。呪いをかけていたのは、他ならぬクレア自身。本当はそんなもの存在しなかったのだ。

 クレアはじっと紙片を見つめる。その瞳には、深い後悔の念が浮かんでいる。

 だが、それだけではなかった。決意を秘めた強い光。そして、覚悟を宿した熱い眼差し。

「僕は過去ばかりを見つめていた。どうしたって変えられない過去をね」

 果たして顔を上げたクレアの表情は、驚くほど晴れやかだった。

 アルドは強く頷いた。

「たとえ僕がその子孫じゃなくても、今ハンターでいることにはきっと意味がある。絶望の淵で、これを手に入れたことにもね。僕は僕にしかできないことを、探すことにするよ」

「ああ、それがいい」

「……僕はこれを持つ人間として恥じない生き方を目指すよ。ありがとう、アルド」

 出逢った頃とは見違えたように明るくなった横顔を見つめていると、その視界の端を何かが横切った。

 あれは、まさか―。

 アルドはもう一度よく確かめて、クレアに声をかけた。

「じゃあ、もう彼女を遠ざける理由もないな」

「え?」

「おおーい!」

 アルドが呼ぶと、彼女はバツが悪そうに俯きながら近付いて来た。

「君……」

「ごめんなさい! 危険なところじゃなければ、遠くから見るくらいはいいかなって……本当にごめんなさい。でも、安心しました。ハンター様の素敵な笑顔が見られて。つい写真を撮ってしまいたくなります」

「えっ、あ、いや……それは困るけど……」

「もう満足です。旅人さん、ありがとうございました!」

 そう言って立ち去ろうとする彼女を、慌ててアルドは呼び止めようとする。

 これじゃ何も変わらない。せっかくここまで来たんだ。

 わかり合える未来を目指してみないか―。

「待ってくれ!」

「えっ?」

 アルドが言葉を探しているうちに、最もシンプルな台詞を放ったのはクレアだった。

「あ、いや……その、もしよかったら、少し話をしよう」

「私でいいんですか?」

「君がいいんだ」

「じゃあ、また私を助けてくれますか⁉︎」

「えっ。それとこれとは話が別……というか、もう危険なところにはついて来ないでって言っただろう! 頼むから君はここで待っていてくれ!」

「わかりました! じゃあ、私がいの一番におかえりなさいって言えるように、お仕事に出かける時は必ず教えてください!」

「わかったよ!」

「ああ、やった、やりました! これで今まで知らなかったハンター様を見ることができます!」

「うん?……って、あれ……僕の話聞いてたかい? あぁ、アルド、助けてくれ……!」

 アルドは大きく笑った。

 平和そうな二人の世界を横目に、ヴァルヲが大きくあくびをする。

 楽しそうに戯れるクレアと彼女を見ながら、アルドは思う。

 魔獣を助けた人間の一族の末裔。結局最後までそれははっきりしなかったが、アルドは半ば確信していた。

 思えば、クレアは最初からその片鱗を見せていたのだ。

 全ての敵を殲滅するのではなく、わかり合えないと判断したものだけを標的にしていたこと。

 自分の人生の幸福を犠牲にしても、彼女の人生の幸福を願ったこと。

 そして何より、たった独りでも大きい何かに立ち向かって、必死に生きようとしていたこと。

 その全てが良いことだとは思わない。

けれど、クレアは今の自分にできる精一杯、最善の道を選んで来たのだろう。

だからこそ、これからのクレアには後悔しないように生きて欲しい。

 わかり合えないのなら、わかり合えるように努力しよう。

 自分の人生も愛する人の人生も、二人で共にわかち合おう。

 そして何より、この世界でたった独りじゃないと信じよう。

 昏く淀んだ地上を脱して、今この眩く煌く天空の世界にいることも、きっとまた必然なのだから。

 絶望しかないと思っていた世界も、少し顔を上げればこんなにも優しい光に満ちている。

 ―クレア、気づいているか?

 助けるも何も、オレは最初から何もしていない。ただ、あんたと出逢っただけだ。

 あんたはかえるべき場所を自分で見つけた。

 ―僕はこれを持つ人間として恥じない生き方を目指すよ。

 あんたには還るべき場所ができた。もうきっと迷わない。

 ―私がいの一番におかえりなさいって言えるように。

 あんたには帰るべき場所ができた。もう独りじゃない。

 ―僕は過去ばかりを見つめていた。どうしたって変えられない過去をね。

 あんたには変えるべき場所ができた。きっとあんたのこれからには希望が溢れてる。


 さあ、一緒に殺された未来を救けに行こう。

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かえるべき場所 ユラセツコ @yura_setsuko

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