第3話
―Baruoki―
バルオキーにやって来たアルドは、晴れ渡った空の下で大きく息を吸い込んだ。
やはり故郷の風の匂いが一番落ち着く。道行く住人との挨拶も、鳥の囀りや虫の鳴き声も、猫たちの喧嘩の光景でさえ、穏やかであたたかく感じられる。
長い旅の途中だからこそ、こうして帰って来る場所があるというのはいいものだ、とつくづく思う。
だが、あまりゆっくりしている時間もない。さっそくアルドは呪いについて村長に訊ねてみる。
「爺ちゃん、ちょっと聞きたいんだけど」
「何じゃ、アルド」
まずはクレアに預かった紙片を差し出した。
「こういう呪いに詳しそうな人に、心当たりはないか?」
「そうじゃな。人ならざるものの正体にもよるが、思い当たるのは魔獣や魔物あたりかのう。わしは直接見たことはないんじゃが、王都のミグランス城には古今東西、数多の書物が集まるそうじゃ。王と魔獣との因縁も深い。何か手がかりがあるかもしれんぞ」
「ミグランス城か。ありがとう、行ってみるよ」
「うむ。気をつけるんじゃぞ」
挨拶もそこそこに、アルドは王都ユニガンへと向かった。
―Miglance Castle―
魔獣との戦いで満身創痍のミグランス城も、日に日に元の姿を取り戻しつつある。
城内は相変わらず騎士たちが忙しそうにしているが、アルドはその中の数人に隙を見て声をかけることにした。
入り口付近にいる年嵩の騎士に、あてもなく例のちぎれた紙切れを見せる。
「これ、何かの一部だと思うんだけど。心当たりはあるか?」
「ううむ。悪いが、私にはわからないな」
「そうか……」
「しかし、皮肉なものだな。人ならざるものの呪いだなんて。この城の有り様を見ていると、本当に呪いというか、怨念のようなものを感じるよ」
「あ、悪い……思い出させて……」
この騎士も命を賭して戦った一人だ。アルドは軽々しく質問したことを悔いた。
しかし、予想に反して騎士は首を横に振った。
「そうじゃない。本当の意味で、呪いをかけていたのはどちらだったんだろうと思ってね」
「何の話だ?」
「乗り込んできた魔獣の中には、どう見ても戦闘力の低いものもいた。それでも戦いに挑む、人間を滅ぼす。そういう思いに駆られるまで追い詰めたのは、結局のところ私たち人間だったのではないかと思うんだよ」
「……ああ、そうかもしれない」
たとえ自分がそうでなくとも、人間全てがそうとは限らなくても。
これが大昔からの逆らえない時間の中で生まれた結果だとしても。
それでもこうなってしまうまで変えられなかったのなら、魔獣にとっては同じことだ。
人間とはそういう生き物だと、分かり合えないものなのだと、魔獣たちが思い込んでしまうには十分だったのだ。
「人ならざるもの。それは形や姿ではなく、心を表したものかもしれないね」
「そうだな。……もうこんな、どちらにも悲しいことが、ないといいんだけど」
「君みたいな旅人がいれば、また違うだろう。私には私のできることをするさ」
お礼を言って、アルドは騎士と別れた。
城の中ほどまで進んで、今度は少し若い騎士を見つける。
あまり気を遣わせるのもどうかと思い、紙切れは見せずに何気ない風を装うことにした。
「呪いに関する記録を読みたいんだけど、どこにあるかわかるか?」
彼は唐突な質問に首を傾げつつも、真摯に答えてくれた。
「呪いか……。実は先の魔獣との戦いで書物がバラバラになってしまってね。その辺りの管理は後回しになっているから、未だ行方不明のものも多いんだよ」
「バラバラになったっていうのは、この城内でか?」
「大方はそうだけど、中には生き残った魔獣が持っていったものもあるらしい」
「らしい?」
「仲間が見たと言っていたんだ。激しい戦闘の後でも、どうしても離さなかったってね」
「その仲間に直接話を聞きたいんだけど」
「ああ、もう少し奥で仕事をしているはずだよ」
「わかった、ありがとう」
先刻の騎士が言う通り、さらに奥の通路へとアルドは進んだ。
確かに同じ歳格好の男の姿がある。
「なあ、ちょっといいか」
「何だい?」
「魔獣との戦いの時、本を持って行ったやつを見たって聞いたんだけど」
「ああ、そうだよ」
「それ、どういう内容の本かわかるか?」
「さあ。僕は小さい頃から武道一筋だったから、そういうのには疎くて。でも、ずいぶん古い本だったのは覚えてるよ。破れかけてたページもあったようだし。わざわざ持っていくほどの価値があったとは思えないんだけど」
首をひねる彼の横で、アルドは騎士たちの話を振り返った。
戦闘力の低い魔獣。バラバラになった書物。破れかけていた本。
脈絡のないキーワードが、魔法のように綺麗に繋がった気がした。
―きっとそれだ。
確証はないが、確信がある。
アルドは勢い込んで訊ねた。
「その魔獣が逃げた先はどこだ?」
「えっ、わからないよ。でも、魔獣城とは反対側に行ったと思うけど」
魔獣城とは反対側、そして魔獣が生き残れる可能性のある場所。
「月影の森だな!」
「ああ、うん。まあ、そうかもしれない。でも生き残ったと言っても、命からがら逃げ延びたって感じだから、今も生きているかはわからないけどね」
申し訳なさそうな顔で、騎士は頷いた。
だが、その魔獣が少しでも生き延びたのは、彼と彼の仲間たちのおかげなのだろう。
戦闘力が低かったからこそ、脅威ではないと判断された。だから多少の傷はあれど、逃げ切れた。
「……ありがとう」
アルドは情報以上に、大きなものを得たような気分でミグランス城を後にした。
お互いを目の敵にするだけじゃ何も解決しない。
人間も魔獣も、いつか分かりあえる時が来るといい。
こんな風に、悲しむ誰かがいなくて済むように―。
―Moonlight Forest―
昼なお暗い月影の森。少しひんやりとした空気が、よりその静謐さを際立たせている。
「さて、魔獣を探すか」
と言っても、どこにいるのだろう。
このあたりは確かに魔物は多いが、魔獣の話は久しく聞いていない。アルドやフィーネが小さい頃は普通に住んでいたようだけれど、今や魔獣城の存在の方が色濃く、その魔獣城でさえも非戦闘員には安全なところとは言い難い。
「手がかりはこの紙切れだけか……」
待てよ。エアポートのクレアの元にこれが落ちてきたということは、単純に考えて時層の穴に吸い込まれたということだ。
「つまり、あの場所の近くにいるはずだな!」
ともかく、今のアルドにはその選択肢しかない。
月影の森の奥深く、ようやく目的地へ着いた。アルドは青い光の前で立ち止まる。
その時、ほど近い草むらでガサリと音がした。
「ん? 何か、聞こえたような……」
こそこそと姿を現したのは、魔獣の子供。その胸には大判の本が抱えられている。
「あっ!」
思わず叫んだアルドの声に、びくうっと子供の体が飛び跳ねた。そして、見る見るうちに泣き出しそうな表情に変わる。
「う……わあああああん!」
「あっ、いや、違……違うんだ、ごめん、ごめんな……な? 怖くないから、な?」
どうしていいかわからず、アルドは兎にも角にも優しく宥めることしかできない。
「おい、何してる!」
「えっ……あ、これは、その、違うんだ」
「何が違う! 俺の息子に何してる!」
わけもわからず戦いが始まってしまった。
騎士の言っていた魔獣だとしたら、戦闘力は低いはずだ。それでも子供を守るために、人間に立ち向かおうとしている。
話を聞いてくれ、と言える状況ではもはやない。
アルドとしても剣を抜かないわけにはいかない。
できれば傷つけたくはないのだけれど、ここは戦うしかない。
複雑な思いを抱えて、アルドは剣を振るう。
幸いなことに、魔獣はすぐに戦意を喪失した。
「頼む、息子、俺の息子だけは勘弁してやってくれ……」
「いや、違う。そういうつもりじゃないんだ。ひとまずこの子を落ち着かせてくれ」
ようやく泣き止んだ魔獣の子供は、父親に本を預けてヴァルヲと楽しく戯れ始めた。
アルドはその本を求めてここに辿り着いたことを父親に説明する。
「そういう事情だったのか」
「紛らわしくて悪かった。大きな怪我がなくて、よかったよ」
「それは君が手加減してくれたからだろう。こちらこそ見境なくすまなかった」
「……オレは魔獣のあんたたちにも、幸せに暮らして欲しいと思ってる」
「人間にしては、変わってるな」
「そうかもしれない」
短く答えたアルドに、魔獣の父親は子供を見つめながら、大きく息を吐いた。
「君になら、わかってもらえそうだ」
「うん?」
「この本を探しに来たんだろう。内容は知らないのか?」
「頼まれごとでさ。人ならざるものの呪い、っていう言葉が出てくることしか知らないんだ」
「そうか。……この本は、俺たち魔獣と君たち人間との約束の書だ」
「約束?」
「ああ。それ、貸してみろ」
父親に促され、アルドは紙片を渡した。
破れたページの欠けた部分とぴったり一致する。
「読んでみてくれ」
本ごと返され、アルドは戸惑いつつも目を通してみた。
「人間と対立することは、我ら魔獣の運命なのだ。これは人ならざるものの呪いなのだ。しかし、我ら魔獣とて、好きで人外に生まれたわけではない。だからといって、人間に生まれれば須く幸せ、そう思ったこともない。我らは我らとして生きることに、誇りと幸福を感じている。人間も同じだと知ったのはいつのことだったか。遥か遠い昔であって、時の河の流れのほんの一瞬の出来事だった。それでも、確かに存在したのだ。この記録がその証だ。この世界には魔獣を虐げる人間ばかりではない。我らはきっと似たもの同士。魔獣と人間との共存、これがこの書に関わる我ら魔獣と人間の祈りだ。たとえ遠い彼方の未来だとしても、暗黒の中のほんの僅かな光だとしても。いつか必ず叶う日が訪れることを。素晴らしい世界を、美しい未来を、須く全ての生物が得られんことを―」
アルドは静かに本を閉じた。
人ならざるものの呪い。この書に記されたその言葉は、クレアの言うそれとは全く逆の意味を持っていたのだ。
「これ、いつ書かれたものなんだ?」
「わからない。だが、俺の家系が残したもので、長い間行方不明になっていた。現物はなかったが、小さい頃から話に聞かされていたよ。それがある日、王都にあるらしいって小耳に挟んで、どうしても取り返さなければと思ったんだ。けれど、今は魔獣と見れば攻撃される可能性の方が高い。全ての人間がそうでなくても、そういう時代なのさ。俺たちが思うより、時の力ってのはすごいもんだ」
「だから、魔獣が集まる戦いの最中を選んだのか」
「ああ。決死の覚悟でな。見ての通り、俺は弱い。だが、こうして今も生きている。人間ってのも悪くない、そう思ったよ。実際にこの本を読んで、余計にな」
「この本があれば、こういう時代にはなってなかったのかもしれないな……」
「ああ。だが、今更嘆いたって始まらないさ。希望が潰えたわけではない」
「希望?」
父親は力強く頷いた。その瞳は、まさにその希望のごとく輝いている。
「それ、どうして君たちが読めると思う?」
「えっ、あ、そういえば……」
「確かに魔獣が書いたことにはなっているが、正確に言うと、魔獣の言葉を人間が文字に起こしたんだろう。手伝った人間がいるってことさ。このページの欠けた部分、人間のところから持って来たと言ったね。この書も持ち主の手元に戻ってきたことだし、もしかしたら、同じように引き合わせられたのかもしれないよ」
つまり、クレアはその人間側の家系ってことか?
荒唐無稽な話ではあるが、絶対にないとも言えない。
「その人間たちは、今どこで何してるかわかるか?」
「それが、わからないんだ。我ら魔獣を手伝ったせいで、人ならざるものと判断されたと聞かされてはいるが。おそらく、故郷を追われて我らのようにひっそり暮らしているだろうとも。だが、彼らの意思は強かったそうだよ。人間側から変えねばならない。そう言って、魔獣を守るために命を賭した者もいると聞く。もしかすると、先の戦いで俺を守ってくれたのも彼らなのかもしれないな」
そう言って、父親は徐に立ち上がった。アルドが彼の動きを目で追うと、ヴァルヲと仲良く寝ている子供の元へとしゃがみ込む。
「俺はこの子にも伝えようと思うよ。今はまだこの本も玩具でしかないが。その意味が失われるまで、語り継いでいって欲しいからね。今日ここで君みたいな若者に出逢ったことはきっとこの子の糧になるだろう。……そうだ、その欠けた部分、拾った人間に返しておいてくれないか」
どうやら、子供が本という名の玩具で遊んでいた時に誤って、破れた部分が時層の裂け目に吸い込まれてしまったらしかった。
アルドは好意に甘えて、そのまま紙片を持ち帰ることにする。
もしもクレアが、魔獣を救けた人間の家系でも、そうでなくとも、彼がこの紙片を手にした意味がきっとあるはずだから。
そして、どんな成り行きであれ、出逢ったアルドによってこの言葉の意味が明らかになったことも然り。
「ありがとう。元気でな。こっちの新しい持ち主にも、オレが伝えるよ」
アルドの呼びかけにのそりと起き上がったヴァルヲと共に、寝ぼけ眼の子供に手を振った。父親はアルドたちの姿が見えなくなるまで見送ってくれた。
さあ、これでクレアの呪いは解けた。
未来へ戻って、クレアに伝えに行こう。
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