第2話
―Elzion―
しかし、こうしてクレアの推測を聞いた後で話してみても、やはりこの女性があんな危険なことを企てたとは思えなかった。
クレアに報告するかどうかはともかく、アルドは彼女に訊ねてみることにした。
「あのさ、どうしてこんなことしたんだ?」
「どうして? 決まってるじゃない! ハンター様が好きだからよ!」
「ああ、いや、そうかもしれないけど……」
「いつもいつでもどんな時も、私の視界に入れていたいの! そして彼の一瞬一瞬の時を止めて、一生を記録して、私の中でずーっと守っていきたいの!」
このまま彼女の高揚に任せていたら、話はあらぬところまで飛んで、もう永遠に戻っては来なさそうだ。アルドは慌てて声を張った。
「だからって、こんな危ないことしちゃダメだ」
「ふふふ。ハンター様もそう言ってくれたのよね?」
―ダメだ、こりゃ。
何を言っても聞いてくれそうにない。
そういえば、この感じ。つい最近もどこかで。
ああ、クレアか。
あいつも何を言っても聞く耳を持ってくれない。
案外、似たもの同士かもしれないな。
アルドは咳払いをして、淡々と言った。
「君がクレアを好きなのはわかったよ。けど、好きだからって何をしてもいい訳じゃないだろ?」
「……私はただ、あの時のかっこいいハンター様にもう一度会いたくて!」
「かっこいいハンター様?」
「はい! 私を助けてくれたあの時のような! だから、いけないことだとはわかっているんですが、居ても立ってもいられず……」
「でも、わざと危険な目に遭わせることはないんじゃ……」
「……わざと? それ、どういう意味ですか⁉︎」
「……うん?」
あんなに恍惚としていた彼女が突然、眦を吊り上げた。アルドへの不信感がその瞳に芽生え、仁王立ちでこちらの返答を待っている。
どうやら話が通じていないというよりも、前提から噛み合っていなかったのだと思い至った。
「君がクレアにこういう仕掛けをしたんじゃないのか?」
「違います! 私、そんなことはしてません!」
「でも、そうだとしたらこんな写真を撮ってる場合じゃないだろ。その間に助けることもできたんじゃないのか?」
「それは彼が自分の身を守れる人だと信じているからです! 確かに私はハンター様が危ないところに行く時は、勝手について行きました。写真も撮りました。私が危ない目に遭えば、また助けてくれると思ったから……!」
また、未必の故意か。いや、彼女の場合は未必の恋ってやつかもしれない。
クレアもまさか、自分の正義がこんなに熱烈なファンを作ってしまったことに気がついてはいないだろう。
しかし、彼女は恋に落ちてしまった。そして、その瞬間を取り戻すため、彼を追いかけ回していた。
―全く、聞けば聞くほど似たもの同士だ。
「そうか。でも、それならやっぱりそういう危ないことはやめた方がいい」
彼女がクレアの仕事についていくことを注意したつもりだったが、本人はそうは受け取らなかったらしい。
「……ハンター様は私が危険な仕掛けをしたと思っているんですか?」
「ああ。実際は君がしたことじゃないにしても、疑われても仕方なかったんじゃないか?」
正体のわからない視線というのは、受ける側にしてみれば怖いものだ。たとえ、理由が好意的なものであったとしても。
確かにクレアの言う通りなのかもしれない。
―悪いことをする理由が、必ずしも悪いことだと限らない。
それが、人間の厄介なところでもあり、面白いところでもあるんだけどな。
本当はクレアにもわかって欲しい。
アルドはそう思いつつ、最後の伝言を口にした。
「クレアはもう自分に関わらないで欲しいと言っていた」
「そう、ですか。わかりました。私もいつかやめなきゃって心の中では思ってたんです。止めてくれて、ありがとうございます」
「あぁ、いや、それはいいんだけど……」
行為の是非はともあれ、好きな人にそう言われるのは悲しいだろう。
アルドが黙って見守っていると、肩を落とした彼女は別の写真を取り出した。
「ハンター様にこんな顔をさせていたのは、私だったんですね。最近いつも元気がなくて、とても心配していたんです。私はファン失格です……!」
握り締められた写真には、アルドが初めて出逢った時のような、天に悲壮な祈りを捧げるクレアが写っていた。
「ああ……うん。でも、そんなに思い詰めることないんじゃないか……?」
確かに彼女のことも一端ではあるだろうが、アルドにはクレアの抱えるものがもっと深く、もっと濃い闇のような気がしてならなかった。
それに、似たもの同士、彼女にも極端な思考に陥られては困る。むしろアルドの方が思い詰めかけた矢先、俯いていた彼女が思いきり頭を上げた。
「はっ、そうだ! あなたにお願いすればいいのよ! もうハンター様にご迷惑をおかけしないって誓います。だから、もうそんな顔しないでくださいって、伝えてもらえませんか?」
「えっ? ……ああ、わかった」
また伝言を頼まれてしまった。
乗り掛かった船のつもりだったが、いつの間にか主を失って、自分の船になりつつあるようだ。
しかし、こうして出逢う人々に振り回されるのも慣れたものだ。
お人好しと呼ばれる自分には、きっと性に合った生き方なのだろう。
だからこそ、自分が気づかせてやりたかった。
たとえお節介と言われても、今さらそれを変えるつもりはない。
―クレアにもクレアの生き方があるはずだ。
クレアには早く自分自身を取り戻してもらわないと。誰かが代わりに彼の人生を生きてやることはできないのだから。
妙に機械的な風が吹き抜ける天空で、アルドはふと思う。
この伝言が、きっと道標になる―。
なぜだかそんな予感がする。
そうとなれば、とことん付き合ってやるまでだ。
アルドは前を向いて歩き出す。
―Route 99―
アルドはクレアを探して、再びルート99へと向かった。
彼は同じ場所で独り佇んでいる。何やら考え事の最中らしく、注意力が散漫だ。
案の定、合成人間が近づいていることに気がついていない。しかも、どう見ても一人で相手にできる数ではない。
合成人間が攻撃を開始する。クレアが不意を突かれて、膝をついた。
「くっ……やっぱり僕は……」
考えるより先に、足が動いた。
アルドはすぐさま、クレアのもとへ駆けつける。
「クレア!」
「アルド……? どうしてここに……」
「その話は後だ! まずは戦いに集中しろ!」
「……わかった」
アルドはクレアと協力して、数体の合成人間を倒した。
戦闘を終えたクレアは放心状態で、息を切らせてぼんやりと空を見据えている。
「クレア、こんなところで考え事は危ないぞ」
「わかってはいるつもりだったんだけどね。君が来てくれて助かったよ、ありがとう」
深いため息とともに、クレアが武器をしまった。口元にはまた、あの自嘲気味の笑みが浮かんでいる。
―強がっていても、怖いものは怖いんだな。
その根源は、敵に襲われたことでも、自分の命を失うことでもなく、もっと他の何か―。
「それで、今度は僕にどんな用なのかな」
クレアの声に我に返ると、そこには引き締まった顔をした彼がいた。
「ああ、伝言はちゃんと伝えたっていう報告に」
「そう。じゃあ、もう心配ないね」
少し安堵したように、クレアは肩の力を抜いた。
しかし、彼の表情はまだ晴れない。恐怖と怯えに苛まれた姿が頭にこびりついて離れない。
「……余計なお世話かもしれないけど、あんたがそんなに心配してるのは、本当にすとーかーのことだけなのか?」
「……どういう意味だい?」
「オレに伝言を頼んだ時点で、あんたの心配の種はなくなったはずだ。それなのに、今また考え事をしていた。あんたの言い分が正しければ、もう理不尽に危険な目に遭うことはないはずだろ? 何かもっと他に気にかかることがあるんじゃないのか?」
「……君には関係ないよ」
「それが、関係あるんだ。彼女から伝言を頼まれた」
アルドが内容を伝えると、クレアはバツが悪そうに視線を逸らした。
「あんたがそんな顔をしてると、あの子が心配する。やったことはともかく、彼女なりにあんたのこと想ってるみたいだったから」
アルドの言葉にハッと顔を上げたかと思うと、クレアは大きく息を吐いた。そして、傷ついたような表情で瞳を揺らした。
「……知ってるよ」
ゆるりと首を振った彼は、またあの儚げな笑みを浮かべていた。
「何を知ってるんだ?」
「……彼女に悪意がないってことも、僕に危険な仕掛けをしたのが彼女じゃないってことも、ついでに言うと僕の命を狙ってるのが人間じゃないってこともね」
「……は?」
情報量が多すぎて頭が追いつかない。
しかし、クレアは開き直った様子で淡々と続ける。
「ストーカー、つまり僕に好意を抱いてくれている人の存在には、ずいぶん前から気がついていた。どこに行っても視線を感じていたからね。でも、それだけだったんだ。特に僕に危害を加えるわけじゃない。ただ、見ているだけ」
「それがわかっていたのに、オレにはストーカーが命を狙ってるように言ったのか?」
「……命を狙っているのがストーカーだなんて、僕は言ってないよ。君が勝手にそう思い込んだんだ。まあ、それを利用させてはもらったけどね」
「あんたの目的は、命を狙っているヤツじゃなくて、最初からストーカーの正体を暴くことだったんだな?」
「そう。視線や気配は感じても、どうしても誰だか突き止められなかったから」
「そこまでして、ストーカーを見つけ出したい理由は何だ?」
クレアの中には確かに言いようのない激情が眠っているが、それは怒りや不快感とはベクトルが違う気がする。単に責めることが目的で探していたとは思えない。
「……もうやめて欲しいからだよ」
―それはそうだろうけど……。
本当にただやめて欲しいだけなのか? 彼女を咎めるわけでもなく、苛立ちをぶつけるわけでもない。クレアは一体、何を求めているのだろうか。
「やめてさえくれれば満足。クレアはそう言ってたよな。でも、それだけじゃわかり合えないんじゃないか?」
彼女の気持ちも知った今、このままではいけない気がする。
「わかり合う必要なんて、ないだろ?」
その台詞を、そんな泣きそうな顔で言うのか? 本当は、わかってみたいんじゃないのか?
アルドは確信した。
―彼らが出逢って始まるまだ見ぬ未来を、ここで諦めてはいけない。
「クレア、オレはあんたの本心が聞きたい」
アルドが真摯にクレアに向き合うと、彼はふっと視線を落とした。しばらくの沈黙の後、遠い目をして徐に口を開く。
「僕は生まれた時からずっと不幸体質なんだ。行く先々で危険な目に遭ってきた」
「……ああ、それで命を狙う〝人間〟に心当たりはないって言ったんだな」
その正体は、姿を見せない〝人間〟ではなくて、本当に目に見えない〝何か〟だったのだ。
「頭の上に物が落ちてきたり、手に触れた物が壊れたり、何度も僕は僕を失いかけた」
「それも人間の仕業じゃなくて、不幸体質のせいだったのか。じゃあ、研究者の噂は何だったんだ?」
「それは僕が流したんだ。僕の周りが危険だってわかれば、ストーカーも自らやめてくれるだろうと思って」
「……なるほど」
逆効果だったみたいだけど、とは言えなかった。アルドは話の先を促す。
「僕には家族がいないって言ったけど、みんな短命なんだ。その原因もおそらく……」
「あんたの不幸体質にあるっていうのか?」
クレアは上目遣いにアルドを窺って、コクリと頷いた。そして、小さく息を吐く。
「……僕は、というか、僕の血筋はきっと、呪われてるんだ……」
そうか。アルドはようやく合点がいった。
彼が独り闘っていたものは、これだったのだ。
「だから、僕に関わらない方がいいんだ。僕に関わったら、みんな不幸になる」
「それで、彼女のことも遠ざけようとしたのか……」
俯くクレアに見えないように、アルドは眉を寄せた。
なんだか思っていたよりもずっと、この問題は根が深そうだ。
「僕なんていっそ、生まれて来ない方がよかったんだ……」
クレアの自信喪失ならぬ自身喪失も、ここから来ていたらしい。
どうあがいても不幸に導かれる人生、抗いようのない数奇な運命―。
穿ち過ぎかもしれないが、クレアが本当に変えて欲しかったのは、これだったのではないか。
―僕はそう簡単に変えられるとは思ってないけど。
クレアの言葉が蘇る。全くだ。普通はそんな簡単に変えられるものじゃない。
アルドは大きく息を吐いた。
元より乗り掛かった船のつもりだったが、これじゃあまるで最初からオレの船だったみたいじゃないか。
すう、と息を吸い込む。そして、ありったけの笑顔でアルドは言った。
「じゃあ、その呪いってやつを解けば、万事解決ってことだな!」
「………………」
アルドの突拍子もない台詞に、クレアは信じられないものを見るような目で沈黙した。アルドは気にせず続ける。
「で、何か心当たりはないのか?」
「……君、ずいぶん素直なんだね。呪いなんて普通信じないよ」
「それでもクレアはそう思うんだろ? 何か理由があるんじゃないのか?」
クレアは少しの間、アルドの顔をじっと見つめた。冗談を言っているようでも、からかっている風でもない。それを確認したのか、ゆるゆると首を振って切り出した。
「僕だって呪いだなんて非科学的なことは信じたくない。でも、この間エアポートで背中を押されたって言っただろ? その時、こんなものが落ちて来たんだ」
「紙切れ?」
手渡されたのはちぎれた紙片。
「文字が書いてあるだろう?」
「……人ならざるものの呪い……」
薄墨らしき消え入りそうなそれを、アルドは読み上げる。
前後の文章は欠損と経年劣化で判読できない。
「今はデータで管理する時代だし、ずいぶん昔のものだと思うんだけど。それが、どうして僕の元にやって来たのか……書いてあることも意味深だし……」
これは、もしかして―。
「その紙が落ちて来た時、何か他に見なかったか? 例えば、青い空間とか……」
「うーん。確かに何か風みたいなものを感じたような気もするけど、いかんせんそれどころじゃなかったから……」
でも、これがあれば。形さえあれば辿ることができる。過去に戻れば、手がかりを掴めるかもしれない。
文字が読めること、紙質に覚えがあることから、それほど昔ではなさそうだ。
呪いに詳しそうな人がいないか、バルオキーの爺ちゃんに聞いてみよう。
「クレア、これしばらく借りてもいいか?」
「いいけど、どうするの?」
首を傾げるクレアに、アルドはにっと笑った。
―殺された未来を、救けに行くんだ。
たとえ悩みを解決できても、彼が未来に前向きになる保証はどこにもない。
もしも彼自身を取り戻せなければ、結果は大きく変わらないかもしれない。
けれど、とアルドは思う。
クレアだって本当は、未来を望んでいるはずだと。
誰かに助けて欲しい、そう願っているはずだと。
だからこそ、今ここで彼を見捨ててはいけない。
彼の居場所を見つけなければならない。
アルドにできることは、ほんの小さなお手伝い。
それでも、彼が生きたいと思ってくれるなら。
幸せを求めることを、諦めないでくれるなら。
そのためには、クレア自身に気づいてもらわなければならない。
命あるからこそ信じられる、この世界の素晴らしさを。この世界の美しい未来を。
クレア自身のその目で、確かめて欲しいから―。
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