かえるべき場所

ユラセツコ

第1話

―Elzion―


 アルドたち一行は、曙光都市エルジオンのガンマ区画にいた。ここのところ続いていた戦闘が一段落し、束の間の穏やかな時間をそれぞれ過ごしている。

 ようやく見慣れた世界を改めて眺め回していると、道の端に佇む一人の青年が目に止まった。

 天を仰ぐ彼の横顔には、アンドロイドと見紛うほど何の感情も浮かんではいない。

 ―無心で神に祈りでも捧げているのだろうか。

 そうは思うのに、何故だか目が離せない。

 その訳は、決して機械には出せない、この人間特有のオーラのせいかもしれない。悲壮感に満ちた儚げな佇まい。それでいて、心の奥底で誰にも知られず慟哭しているような、そんな今にも溢れ出しそうな激情を身に纏っている。

 瞬間。その頬を滴る涙が見えた気がした。迸る叫びが聞こえた気がした。

 アルドは頭をよぎったその光景を放っておけなくなって、何気ない風を装って声をかける。

「どうしたんだ?」

 すると青年は、その質問を予想していたかのように、ふっと微笑んでこちらを向いた。

「……もうすぐ、僕は死ぬんだ」

 その表情とは裏腹に、発した言葉にやはり感情は一切ない。妙に達観した様子だが、その瞳だけはどこか危うげに揺れている。それは希望とも絶望ともとれる、狂気じみた昏い光。

 アルドは言葉の真意を図りかねて、恐る恐る訊ね返した。

「……びょ、病気か何かか?」

「違うよ。病気よりもっとタチが悪い」

「ま、まさか! その、おかしなことは考えるなよ?」

 もしも、彼が自らの意思でそうしようとしているのなら、アルドのこの言葉でさえ、彼の背中を押しかねない。それでも、止めずにはいられなかった。

「おかしなこと? おかしなことを考えているのは僕じゃないよ。僕はいたって普通さ」

 ハハハ、と乾いた笑いが響く。

 遥か遠くの古代や、アルドの棲むひと昔前ならともかく、この発展し尽くした洗練された世界で、よもやこんな不気味な笑い声を聞くことになろうとは。

何がそんなにおかしいんだ……?

 アルドが思う「普通」とはあまりにもかけ離れている気がしてならない。

 それともこの世界ではこれが普通なのか?

 いや、何度も過去と未来と現代を行き来している(むしろどこが現代なのかわからなくなる瞬間があるほどだ)が、どれだけ世界が変わろうとも、人の感情というのは今も昔も大きく変わらない。だからこそ、何千年何万年も離れた遠い場所でも、言葉が通じて、想いが通じるのだ。

 そして、哀しいかな、いつの世にも闘いが存在している。

 それも「人間」が変わっていない証拠だ。

 とどのつまり、彼はやはり普通ではないのだ。

 彼は独り、何と闘っているのだろうか―。

 元より、話しかけた時点で乗り掛かった船だ。彼をこのままにしておくわけにはいかない。

 アルドは気を取り直して、再び口を開いた。

「その、何があったんだ? よかったら聞かせてくれないか」

 できるだけ刺激しないように問いかけたつもりだったが、彼は急に笑いを引っ込めて、キッとこちらを睨みつけた。

「あんたに話したら、何か変わるのか?」

「わからない。何も変わらないかもしれない。でも、変えることならできるかもしれない」

「へえ。なら、やってみてよ」

 青年は挑戦的に口端を上げた。

 一方で眉は苦しげに寄せられ、何とも言えない複雑な表情で放たれたその台詞は、自嘲気味でさえある。

 まるで、始める前から何もかも無駄だとわかっているかのように―。

 それでも、何かできることがあるはずだ。

 今までだってそうして来たじゃないか。

 アルドは自分自身にそう言い聞かせ、彼を正面から見つめた。

「じゃあまず、あんたの名前を教えてくれるか? オレはアルドだ」

 そんなアルドに、彼は一瞬、面食らったようにのけぞった。

「……クレア」

 そして一転、小さく答えた。自信がなさそうに視線を落とし、消え入りそうな声音で呟かれた名前は、主を失って儚く宙を舞っていく。

 そんな彼を呼び留めるように、アルドは力強く手を伸ばす。

「クレアだな? よろしく」

 その手を握ろうとはしなかったが、クレアがこくりと頷いたのはわかった。

 あんなに強気だった彼はどこへやら。

 アルドはそっぽを向いたクレアの横顔を窺った。

 今そこに浮かぶ感情は、憂いと戸惑い、そして僅かな安堵。

 どうにも情緒が不安定らしい。

 しかし、ふと思い出した。

 ―もうすぐ、僕は死ぬんだ。

 そう言った彼の表情を。

 絶望というよりむしろ希望や切望に近い、心の叫びを……。

「それで、あんたは一体、何に悩んでるんだ?」

 アルドは努めて明るく訊ねた。

 しかし一方のクレアは、おどおどと視線を天空の地面に彷徨わせたまま、首を振るばかり。

「……ここでは話せない。エルジオンエアポートにいるから、誰にも言わないで君だけで来て。それから気配にも気をつけて。万が一、誰かや何かの気配を感じたら、僕のところへは来ない方がいい」

「……うん? ああ、まあ何が何だかわからないけど、わかったよ。だけど、人間はともかく、あそこは敵がたくさんいるんじゃないか?」

「うん。でも、僕はこう見えてハンターだから。何考えてるかわからない人間より、サイボーグのあいつらの方が相手にするなら何倍もマシだよ」

「そういうものか……?」

 そもそも合成人間とかいう代物も、元は人間が造り出したものではなかっただろうか。

 どうしてこんなに分かり合えないものなのか。

 反旗を翻したという彼らに並々ならぬ思いを抱いている人間は多いと聞くが、クレアの答えはその一端であるハンターらしくなかった。

 疑問は尽きないが、ここであまり問い詰めるのも気が引ける。詳しい話はエアポートでしてくれるようだし、アルドはとにもかくにも頷くしかない。

「じゃあ、待ってるから」

 そう言ってクレアは、挙動不審に足早に去っていった。

 神に祈りを捧げる敬虔な姿は、幻だったのだろうか。

 アルドは半ば本気でそう思ってしまった。


―Elzion Airport―


 アルドがエアポートにやって来ると、クレアはしつこいほどに周囲を確認し始めた。

 ヴァルヲもびっくりの警戒心の強さだ。

「大丈夫そうだね」

 一通り見渡し終えると、クレアは大きくため息を吐いた。

「……さっきから気になってたんだけど、何をそんなに怯えてるんだ?」

「それはこれから話すよ」

 アルドが不思議に思って訊ねると、クレアはまたもやこれまで見たことのない別人の顔をして、こちらを見据えた。

 意志の強そうな瞳と、引き締まった唇。

 この顔だけ見れば、ああ確かに彼はハンターだった。

「改めて、僕はクレア。よろしく。薄々気がついてると思うけど、いろんな事情があって今はハンターをしている」

「……いろんな事情ね」

「そう。僕の家族はもう誰もいなくてね」

「……そう、だったのか」

 妙にサバサバとした口調で言うものだから、アルドは反応に困ってしまう。

「それが一つ。あとはさっきも言ったけど、生身の人間を相手にするより、誰にとっても害悪とわかっている合成人間を一人で相手にする方がマシってことが一つ」

 ずいぶん周りくどい言い方だ。

 わざわざ言葉で説明しなくても、そんなことはみんな大体わかっている。

 この時代の住人でないアルドでさえ、街の人たちの話を聞けば、共存を目的としていた合成人間がいつの間にか敵になっていた、そんな非情な構図が見えているのだから。

 その瞬間、ふと頭の中にリィカの機械的な声が響いた。

「ワタシは汎用アンドロイド、デス。ノデ!」

 ―そうだったな。悪かったよ、リィカ。

 アルドの百面相をじっと見つめていたクレアは、意味深な笑みを浮かべて言う。

「まさしく、君と行動を共にしている彼女なんかは良い例だろうね」

 アルドには、リィカと合成人間の見た目以外の違いが未だによくわからないが、人間に好意的かそうでないかはこれまで何度も目の当たりにして来ている。

 敵対する合成人間にも、彼らなりの理由があるということも然り。

 どうやらクレアも人造人間だからと一緒くたにせず、人間に攻撃的になってしまった合成人間と、そうでないリィカのような本来の姿とを、しっかりと区別しているらしい。

 もっと過激な思考の青年かと思ったが、なかなかどうして冷静で客観的な視点の持ち主のようだ。

「僕には家族がいない。正規軍にしろ、孤独なハンターにしろ、守るべき人のために闘っている人間が大勢いる。だけど、僕にはその守るべき人がいない。だからこそ、ハンターの道を選んだ」

「一人でも多くの人を守るために、か?」

「いや、違うね。そんな英雄気取りの理由じゃない。むしろ、逆とも言えるかもしれない」

「逆?」

「守るべき人がいないってことは、僕はいついなくなってもいい存在ってことだ。哀しんでくれる人も、寂しいと思ってくれる人もいない。ハンターなんていつ死ぬともわからないだろう? だから、僕のような人間にはうってつけなんだ」

「自分自身でさえ、守るべき対象じゃないってことか?」

「そういうこと。僕はいつ死んでもいいと思ってる。これは僕の選んだ道だから、綺麗事はお断りだよ」

 いわゆる未必の故意というやつだろうか。

 アルドは開きかけた口を、ゆっくり閉じた。

 クレアにはこれから自分が何を言おうとしたのか、見透かされているような気がしたから。

 アルドにとっては決して綺麗事ではないのだが、彼にはきっと何を言ってもそう聞こえてしまうだろう。

 押し黙ったアルドに、クレアは「よろしい」とでも言うように頷いた。直後、彼は小さく息を吐いた。

「だけど、自分自身で決めた末路じゃないなら、話は別だ」

「は? どういう意味だ?」

「前置きが長くなったけど、ここからが本題なんだ」

「つまり、オレに変えて欲しいことか?」

「まあね。僕はそう簡単に変えられるとは思ってないけど」

 そして彼はまた、あの自嘲めいた笑みをこぼした。

「実は、僕の命を狙っている人間がいる」

「えっ、人間なのか? 合成人間じゃなく?」

「そうなんだ。だから困ってるんだよ。僕は害悪である合成人間を相手にするハンターだ。人間に命を狙われる覚えなんてないよ」

「うーん。クレアの個人的な事情はともかく、側から見れば人間のために働いてるハンターなわけだしな。具体的にどんな被害に遭ったんだ?」

「そりゃもういろいろ。頭の上に物が落ちて来たり、触れた物が尋常じゃない電気を放っていたり、ハンターの仕事終わりに背中を押されかけたこともあるよ。危うく、あの衰退した大地まで真っ逆さまだったね」

 そう言ってクレアは、エアポートから地上を見下ろした。

 どの時代で聞いたか忘れたが、この広い世界のどこかでは、履物に画鋲なるものを仕込む嫌がらせがあるらしい。それを彷彿とさせる陰湿で悪質な行為だ。

「合成人間は不意を突くことはあっても、そういう意表を突くようなことはあまりしないんだ。いくら知能が高くてもね」

「まあ、奴らには姿を隠す理由もないしな。敵対勢力として、組織自ら名乗りをあげてるわけだし」

「そうなんだよ。そうやっていろいろ仕掛けられてはいるけれど、一度も姿を見たことがないんだ。徹底してるよ」

「じゃあ、その人間の正体にクレアは心当たりがないんだな?」

「最初にも言ったけど、人間に命を狙われる覚えはないからね」

 そう言ってクレアは大きくため息を吐く。そして、小声で呟いた。今までで一番の憂い顔だった。

「ストーカーもここまで来ると、過激だよ」

「……すとーかー?」

 言葉の意味はわからないが、あまりいい響きでないことは確かだ。

 クレアは何でもないと言うように首を振ったかと思うと、再び不敵な笑みを作って切り出した。

「そこで、君の出番な訳さ」

「つまり、そのすとーかーの正体を突き止めて欲しいってことか?」

「このまま悩まされ続けるのはごめんだからね。僕は僕の意思で未来を決めたいんだ」

 ―絶望の未来を、か?

 出逢ってから間もないが、どうやらクレアは生きることで得られる幸せを望んではいないようだ。

 それならついでに、その楽しさも教えてやろうじゃないか。

 アルドは力強く頷いた。

「わかった。とりあえず、街でいろいろ聞いてみるよ」

「気をつけた方がいいよ。当の僕でさえ姿を見たことがないんだ。背中を押されたこともあるのにね。僕には街中の人が怪しく見えて仕方がないよ。……おっと、そろそろ仕事の時間だ。これからルート99に行かなきゃいけないんだ。あとはよろしく頼んだよ」

 そう言うや否や、クレアはハンターの顔をして颯爽と去っていった。

「さて、どうしたもんか」

 クレアは街中の人が怪しく見えると言っていた。つまり、仕事以外の時でも気配を感じていることになる。それに、アルドをここに呼び出した時も過剰なまでに警戒していた。そんな彼でさえ、未だ姿形を認識できずにいる。

「ともかく、クレアが襲われかけた現場を見た人がいないか、確認してみよう」


―Elzion―


 アルドは再び、エルジオン・ガンマ区画に来ていた。

 ひとまず道行く人に、クレアの名前は出さずにそれとなく聞いてみることにした。

「この辺りで、最近おかしなことなかったか?」

 どの時代にもいる噂好きそうなおばさんは、水を得た魚のように活き活きと答えた。

「あったわよ! 宙を飛んでたドローンが急に落ちて来たの! 危うくその場にいたハンターさんの頭に直撃するところだったんだから!」

 一を聞いたら十が返って来たので、アルドは瞬間うろたえた。だが、確かにクレアが言っていた通りの出来事である。

「そのドローンの持ち主、わかるか?」

「誰かまではわからないけど、どこかの研究者が何かの実験のために飛ばしてたらしいわよ!」

 言葉数は多いが、それではほとんど何もわからないのと同じだ。

 まだまだ話し足りなさそうな彼女を振り切り、アルドは少し離れた場所で聞き込みを再開した。反省を踏まえて、今度は若い男性にもう少し具体的に聞いてみる。

「尋常じゃない電気を放つ物? うーん、そんなのあるかな」

「命の危険を感じるような物らしいんだけど」

「それなら、人造人間撃退用の装置かもしれないね。誰かが実験してるって聞いたことがあるけど、僕たち一般人には関係ないよ」

「じゃあ、どこにあるかはわかるか?」

「さあ。使い道から考えて、エアポートかルート99じゃないのかな。ゆくゆくは都市廃墟に設置するんだよ、きっと。でも、僕には関係ないから、それ以上のことは知らない」

 これは反省を踏まえ過ぎたかもしれない。今時(?)の若い男は、何事にも無関心らしい。アルドの奇妙な質問に疑問を持たれなかったことだけが、唯一の救いか。

 アルドは三度場所を変えた。次は、場所も人も間をとって、ガンマ区画の中心部にいる若い女性に聞いてみることにした。

「最近、研究者の実験で危ない目に遭った人がいるって聞いたんだけど」

「あら、実験の成果を確認してるの?」

「……まあ、そんなところかな」

「そういうことなら、写真があるわよ」

「写真?」

「ほら。聞きたいのは、このドローンのことなんでしょ?」

 渡された数枚の紙切れ。鮮明に映し出された一部始終。アルドは時系列に写真を捲った。

 場所はガンマ区画。ドローンの真下を歩くクレアの姿。急にドローンの様子がおかしくなり、騒ぎ出す周囲の人々。すんでのところで落下したドローンを避けるクレア。そして、壊れたドローンを見下ろすクレア。その顔には、何かを堪えるような表情が浮かんでいた。

 他にも、クレアが機械に触れて感電している姿や、危うく天空の地面から落ちかけている光景まであった。場所はどちらも、エルジオンエアポート。

「これ全部、あんたが撮ったのか?」

「そうよ」

 彼女は自慢げに胸を張ったが、そんなにタイミングよくいくものだろうか。敵が現れる場所に出向いて行ったことといい、クレアを助ける素振りがなかったことといい、気にかかる点が多い。

 しかし、その違和感の正体を掴むことはできず、彼女には曖昧に礼を言うに留めた。

 写真は一旦預かることにして、研究者という新たな情報を元に聞き込みを続けることにする。

「情報収集なら、やっぱり酒場だな」


―Elzion―


 エルジオン・ガンマ区画の一角にある酒場。

 今日も今日とて、陽気な酔客たちが集まっている。この光景はどの時代、どの街に行ってもあまり変わらない。アルドは人の好さそうな店主に声をかけた。

「この辺で危ない実験をしてる研究者って知ってるか?」

「最近噂にはよく聞くけど、詳しいことはわからないね」

「じゃあ、知ってそうな人に心当たりはないか?」

 店主が首を傾げるのとほぼ同時に、耳元で叫ぶような声が聞こえた。

「ボクは知ってるよ!」

「わっ!」

 一人の若者がアルドに突進して来た。どうやら酒場の隅で聞き耳を立てていたらしい。よくこの騒がしい中で聞き取ったものだ。

 クレアの忠告もあって身構えたが、目の前の若者は目を輝かせてうずうずと頬を蒸気させている。純粋に話の内容に釣られただけのようだ。

 アルドは肩の力を抜いて、彼に向き直った。

「名前とか、居場所とかわかるか?」

「ううん、わからない!」

「えっ、今、知ってるって言ったじゃないか」

「うん。だから、知らないってことを知ってる!」

 そんな自信満々に言われても、アルドにはまるでちんぷんかんぷんだ。

「……どういう意味だ?」

「ボクは研究者マニアなんだ。だから、このエルジオンにどんな研究者がいて、その中の誰がどんな研究をしているのか、全部知ってる」

 まにあ、とは何だろう。アルドはとりあえず話を合わせてみる。

「へえ、研究が好きなんだな」

「違うよ、研究者が好きなんだよ! まあ、研究者を研究するって意味なら間違ってないけど」

「…………?」

 自称研究者まにあは、フフンと鼻高々に、恍惚の表情を浮かべた。

 話の先が見えずに黙っていると、彼は前のめりになって流暢に語り始めた。

「だって、研究者ってすごいんだよ! どんなに否定されても、どんなに失敗しても、この世界の未来のために何度でも科学の限界に挑むんだ!」

「確かに、それはすごいけど……」

「ボクはその姿勢に惚れちゃったんだ! 研究のことは難しくてよくわからないんだけど、そういう人たちを応援したいっていう気持ちは誰より強いよ!」

「ああ、うん。そうみたいだな……」

 この話、いつまで続くんだろうか。そもそもこれがどう質問の答えに繋がるのか。予測もつかないアルドには、質問を挟むこともできない。その間も、彼の声は途切れず右から左へ通り過ぎて行く。

「……だからね、最近の噂にはほとほと呆れてるんだ。誰がそんな根も葉もない噂流したんだろうね」

 不意に意味ありげな言葉が脳内に飛び込んで来た。

「……ん? ど、どういうことだ?」

 危うく聞き流してしまうところだった。アルドは慌てて彼の話を止める。

「だから、そんな研究者は存在しないってことだよ」

「いや、でも、実際に被害を受けた人もいるし」

「対人造人間の装置を開発している研究者が、人間に危害が及ぶような実験をすると思うのかい?」

「…………」

「人造人間撃退用装置の研究者が本当に存在するなら、ボクが知らないはずがないんだ」

 それで、知らないってことを知ってるって言ったのか。

 ようやく彼の話を理解できたものの、クレアを襲った人間の正体に関しては振り出しに戻ってしまった。

 研究者まにあはまだまだ話し足りないようだったが、アルドはお礼を言って酒場を後にした。

 空飛ぶ物体やら放電する機械やら、こんな大掛かりな仕掛けをしたのが研究者だというならまだしも、一般人だとはどうしても思えない。それとも、この時代なら当たり前なのだろうか?

 そもそも、クレアが呟いていたすとーかーという言葉の意味さえ、アルドにはわからないままだ。存在自体が曖昧模糊としているのだから、これ以上むやみに聞き込みを続けても無駄だろう。

「ともかく一度、クレアに報告に行こう」


―Route 99―


 クレアの仕事は無事に終わっただろうか。

 アルドが彼を探しに向かうと、ルート99の中ほどで彼の姿を確認した。

 ガンマ区画で預かった写真を手に、アルドは事の顛末を話す。すると、驚いたことにクレアは大きく笑い声をあげた。

「ど、どうしたんだ?」

「ごめんごめん。君、僕が思ってたよりずっとすごい人だったんだ」

「何の話だ? オレは結局、すとーかーとやらを見つけられなかったんだぞ?」

「いや、見つけてくれたよ」

「は?」

「この写真さ。この写真を撮った人間がストーカーだ」

「えっ? じゃあ、クレアに危害を加えていたのは?」

「それもきっとこの人の仕業だよ。自分が仕掛けたって僕に知られたくないから、研究者の噂なんか広めたのさ」

 本当にそうなのか?

 もしそうだとしたら、アルドが研究の成果を確認しているのではないことは、彼女が一番よく知っていたはずだ。わざわざ自分から口にするとは思えない。

 思案に耽るアルドに、クレアが明るく声をかける。

「そうだ。君にもう一つお願いしたいことがある」

「何だ?」

「この人にもうやめてくれって伝えて欲しいんだ」

「……自分で伝えた方がいいんじゃないか?」

「そんなの嫌に決まってるだろ。僕はこの人に命を狙われてたんだ。どうやって向き合えって言うんだよ」

「人間に命を狙われる覚えはないって言ってただろ。理由は聞かなくていいのか?」

「聞いたところで理解できる気がしないね。悪いことをする理由が、必ずしも悪いことだと限らないのが、人間の厄介なところだよ。だから、ロボットを相手にする方が楽なんだ」

「そうか」

 苛立たしげにそう言い放ったクレアはしかし、急にしおらしく肩を落とした。

「僕はやめてさえくれたら……僕にもう関わらないと約束してくれたら、それで満足だから」

 またもや安定の情緒不安定を発揮され、アルドは放っておけなくなって頷いた。

「……わかった。それがクレアの気持ちだって言えばいいんだな?」

「うん。よろしく頼むよ。僕はこのままここに残るから」


―Elzion―


 再びアルドはエルジオン・ガンマ区画に来ていた。写真を見せてくれた女性を探してきょろきょろしていると、見覚えのある顔が視界の端で綻んだ。

「さっきのお兄さん! 私の写真、役に立ちました?」

「えっ、ああ、うん。ありがとう」

「どういたしまして」

 嬉しそうに写真を受け取った彼女に、若干の心苦しさを覚えつつアルドは静かに切り出した。

「あのさ、この写真に写ってる人からの伝言なんだけど」

「えっ! 私のハンター様から伝言⁉︎」

「……私の、ハンター様?」

「彼は私の心を奪ったハンター様なんです!」

「……………………」

 さっきの自称研究者マニアといい、今日はこんなのばかりだ。

 好きという気持ちも臨界点を超えると、狂気に近づいてしまうものなのだろうか。

 興奮気味の彼女にクレアの伝言内容は酷な気もするが、致し方ない。

「その人が、もうこんなことはやめて欲しいって」

「…………えっ?」

 笑顔が固まった。しかし、もう戻れない。

「こんな危険なことはやめて欲しいって言ってるんだ」

「……………………」

 押し黙ってしまった彼女に、アルドはいたたまれなくなる。しばらく静寂の時間が続く。

「そんな……そんなことって……」

「あ、えーと、あの……その……」

「そんな言葉、私には勿体ないわ〜!」

「…………は?」

 彼女はアルドから聞いたクレアの台詞を、噛み締めるように何度も口ずさむ。その度に頬を朱に染めては、クネクネと体を揺らした。

 どうやら言葉にならないほど嬉しいらしい。

 よくわからないが、これでクレアからの依頼は無事に果たした、ことになるだろうか。

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