039 例の少年とおつかれさま。


 ガルグイの言葉を聞き、魔王は少し顔を浮かせた。


「……ほう、人族ごときがこの俺に逃げろだと?」


「あ、あの、魔王様!」


 その声のトーンは先ほどまでの面倒臭そうな声とはうって変わって低く冷たい。


「人族の奴ら、我々がおとなしいと思って最近魔族を舐めていると思わんか」


 魔王は眉間に深く皺を寄せ、立ち上がりながら身に纏っていた緩い雰囲気を一変させた。協定を結ぶまでは全人類から恐れられていた魔族。その長ともなれば流石の迫力がある。


 周囲の空気が暗く淀んだように歪み、窓は閉まっているというのにそよりと風が渦巻く。先程まで陽気を感じるほどだった空は厚い雲が覆いはじめ、突如として閃光が室内に差し込み雷鳴が轟く。


 それが意図して起こされたものか否かはともかく、人族の前でこの現象が起こったとしたら、大抵の者は震えあがって命乞いをするだろう。


「ま、魔王様、魔王様! どうか落ち着いて下さい、その……あの、怒った魔王様はとても怖くて恐ろしくて、私泣いてしまいそうです」


「はっ、すまんすまん! ああお前に怒ったわけじゃないんだ、人族にだよ、人族!」


 魔王はふと纏っていた威圧的なオーラを消し、慌てた様子でガルグイを宥める。


「ああこの構図を誰かに見られでもしたなら、絶対に配下を苛める悪い奴にしか映らない。権力による嫌がらせや高圧的な態度って最近何かと煩いんだからさあ、魔王が威張って偉そうだなんて陰口叩かれたら俺魔王やっていけないよ、魔族でなしだよ、立ち直れない」


 魔族は怖い存在であり、それは時に魔族同士であってもそうである。しかし魔族は無秩序な悪者ではない。恐怖の対象でありたいが、決して悪い行いでそれを維持しようなどと思ってはいない。


 ガルグイはそんな魔王のフォローをどう受け止めたのか、安心したような表情でため息をつき、目元の涙を指で拭った。


「いえ、魔王様、違うのです。私は心まで凍るようなその恐ろしさに感動したのです! これぞ魔族の王、魔王なのだと、世界に恐怖を与える勇ましい王なのだと!」


「えっ、そ、そう? 俺そんなに怖かった?」


 魔王はガルグイの言葉を聞いてなんとか笑みを堪えながら確認する。怖いと言われて嬉しいのだ。


「ええ、恐ろしさとえげつなさと心強さを感じました! 強い人族の少年ソルジャーと言えど、この魔王様の前には平伏し、泣いて命乞いをするしかないでしょう」


「そ、そうかな、へへっ、そう言われると気分がいいな! よし、出来るだけ恐ろしい雰囲気に城内を改装しようじゃないか! 玉座の間をとびきり陰気でおどろおどろしくするぞ! 来い、ガルグイ!」


 魔王はやる気満々と言った様子で、陰気やおどろおどろしさなど微塵も感じないファンシーな部屋を後にする。しかしどこか何かが違うように思える。


 城の内装を変えて怖い空間を演出する……それはつまり巨大なお化け屋敷だ。






* * * * * * * * *






「ですから! もう何時間も待たされてるんです! 審査って具体的に何をするんですか?」


「護衛以外のソルジャーは越境禁止だと? そんな今思いついたようなルール受け入れられるか!」


「武器を捨てて丸腰で通れ? ふざけるな!」


 一方、エインズたちが足止めを食らっているジュナイダとの国境では、待たされるソルジャーの数が50人近くにのぼっていた。ソルジャーに護衛を依頼している商人たちまで足止めを食らい、ソルジャー以外にもかなりの人数がいるようだ。


 商人のギルドや物流のギルドを敵に回せば、いくら軍と言えど分が悪くなる。そこでこの国境の砦では急遽、護衛などの仕事を請け負っていれば大丈夫、もしくは武器の類をすべてここで預ければ大丈夫、そうルールを作った。


 ただ、それが受け入れられたようには見えない。


「どうしよう、護衛しますよって声掛けなくちゃ! どんな手を使ってでも入国しないと」


「でもここまで来てるってことは、既に護衛されてるってことよ? タダでもいいから護衛させて下さいって頼むしかないわね」


「ああ、エインズ様。大変申し上げ難いのですが……相手は商人、商魂たくましい者たちです。どうやらすでに護衛させてやるから幾ら払うんだと商人が話を持ち掛け始めております」


「護衛させてやるから金を出せって、いったい何の話なのよ。訳が分からないわ」


 商人たちはソルジャーの窮地を救ってやると言わんばかりに金を取ろうとしているようだ。ここまで護衛してきたパーティーには強気で減額を言い渡し、代わりはいくらでもいるとふんぞり返っている。


「こんな塀、ジャンプすれば飛び越えられるのに……」


「ま、まあエインズはそうね。でもそれをやったら今度こそ捕まって檻に入れられるわ」


「その時はちゃんと精霊であるわたくしも捕えて下さるのでしょうか」


「大丈夫だよチャッキー。俺がちゃんと頼むから。どうかチャッキーも捕まえて下さいって」


「ああ、訳の分からないのならここにもいたわね。捕まえて貰いたいなんておかしいでしょ」


 ニーナはちっとも困った状況とは思えない1人と1匹に向かってため息をついて見せた。けれどこの状況を打開するには、追われる身となろうとも壁を超えるべきなのかと考えるのも致し方ない。


 そうやってニーナが砦の両脇の山を越えれば密入国出来るのではと考え始めていた時だった。


「おっ? なんだお前ら。こんな所で足止め食らってんのか」


「えっ……あ、あんた! えっと……ジタ、さん?」


「おう、えっと……お前は……わりい、名前忘れちまった」


「ニーナよ! エインズ、この人がジュナイダ特別自治区を案内してくれるって言ってくれた人よ」


 現れたのはジタだ。彼は親である魔王を討たんとするソルジャーの情報を仕入れ、魔王城に帰るところだった。


 色黒な肌にニッと笑えば白い歯が映える。そんなジタにエインズは行儀よく頭を下げ、自分とチャッキーの紹介をした。ジタはまさか目の前の少年少女が警戒されているソルジャーだとは思っていない。


 もちろん、エインズたちもジタが魔王の息子だなどとは知りもしない。


「お前ら、俺を護衛させてやろうか。金は要らねえ、ジュナイダ特別自治区を案内してやるって約束したしな。魔族……いや、俺はそういう口約束でもきっちり守る主義なんだ」


「本当ですか!? わあ、有難うございます!」


 エインズとニーナは嬉しそうに笑顔で礼を言い、せめて入国したら食事くらいはご馳走させて下さいと伝える。チャッキーはもうリュックサックの中に入って準備万端だ。


「んじゃあ行くか!」

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