025 例の猫、猫かぶりを披露する。
しかし……
「なんだか、活気がないと思わない?」
「そうね、一応街道から入ってすぐだし、この時間なら一晩過ごす商人のキャラバンが来ていてもおかしくないわ」
「場所もいいし立派な村に見えますが、あまり人気がない村なのでしょうか……」
ちらほらと村人が行き来しているだけで、他所から立ち寄ったような者が見当たらない。時刻は19時、外で騒ぐような時間ではないにしろ、ガイア国一番の街から伸びる街道沿いにしては静か過ぎる。
「街から歩いても半日の距離……近すぎてみんな通り過ぎちゃうのかしら」
「いや、これは……俺分かっちゃった」
「エインズ?」
「罠だよ、やっぱり罠なんだ」
「罠ってキーワードからいったん離れなさいよ。とにかく私達は今日ここに泊まる、いいわよね」
「大丈夫かな……」
心配そうなエインズを強引に引っ張り、ニーナは道沿いにある1軒の宿を選んだ。
空色に塗られた木造の宿は2階までしかなく、よく磨かれた板張りの床、温かい白熱灯の明かり、掃除の行き届いた花瓶やテーブルなどなかなかお洒落でこじんまりとしていた。
吹き抜けのロビーから見える2階の回廊沿いに部屋が並んでいるが、その扉は8個。部屋数は8部屋しかないらしい。
「いらっしゃいませ、ご宿泊ですか?」
「はい、ソルジャー2人と……1匹なんですが」
「ペットをお連れの場合、清掃料でお1人様分頂く事になりますが、それでも宜しければ」
「大丈夫です!」
フロントでチェックインを済ませ、エインズとニーナは部屋の鍵を受け取った。新米ソルジャーに1部屋を1人で使うような経済的余裕はない。
「温泉の入浴時間は夜22時までとなっております。お早めにお入り下さい。猫ちゃんは湯船には入れないで下さい」
「分かりました。やった、温泉だって!」
「素敵ね、今日はゆっくりと疲れを癒せそうだわ!」
「あの、わたくしの事を猫ちゃんではないと説明して下さらないのですか?」
2人は2階の部屋に荷物を降ろすとすぐに食堂へと降りていった。30人分ほどの席があるにも関わらず、今日の宿泊客はエインズ達しかいないらしい。
「あの、わたくしは猫ちゃんでは……」
「なんだか……こう言っちゃ悪いけど人気がない宿なのかしら」
「今日はたまたまなんじゃないかなあ。そんなに寂れた村には見えないよ?」
「あの、わたくしは精霊なのです、猫ちゃんでは……」
チャッキーは食堂のテーブルについたエインズの膝に飛び乗る。そしてエインズに撫でられながら気持ちよさそうに目を閉じ、グルグルと喉を鳴らして首を左右に捻って顎の下を撫でさせる。
どう見ても猫なのだが、猫呼ばわりはあまりお気に召さないらしい。
「分かったよ、ちゃんと説明する」
「あら可愛い猫ちゃんだこと! 特別に魚を焼いてあげようかしら」
お客が他に誰もいないせいか暇を持て余していた従業員が、厨房から出来上がった料理を持ってくると話しかけてきた。
歳は40歳くらいだろうか、元気の良さそうな女性はチャッキーを見てニッコリ微笑み、特別サービスを提案する。今日のメニューは肉料理とサラダ、それにライスとコーンスープだ。魚は用意されていない。
「さ、魚!」
チャッキーはパッと顔を上げて女性を見上げ、大きな目で強請るような視線を向ける。魚が欲しいということだろう。
「あ、すみません、チャッキーは実は……」
「にゃあーん」
「あら、お魚と聞いて理解できるのね、賢いわぁ。ちょっと待っててね」
女性が嬉しそうに厨房へと戻り、シェフに事情を話し始めると、エインズとニーナはチャッキーへと視線を向けた。その目はやや非難めいたものだったが、チャッキーは余程嬉しいのか目を真ん丸にしたまま、尻尾を大きく揺らし全く気にしていない。
「猫じゃないんじゃ……なかったっけ」
「ちょっと利口な猫のように振る舞う事で、皆わたくしにご褒美をくれますからね。その程度で魚をいただけるのであれば、わたくし今日と明日は猫呼ばわりされても構いません」
「やだこの猫、思ったよりしたたかだわ」
「わたくしは本日1人分の料金が掛かっているのです。エインズ様にお支払いいただく以上、魚料理も温泉もフカフカのベッドも、きちんと利用させていただきます」
「でも魚は特別に用意してくれるだけで、タダじゃないと思うわよ?」
「えっ!?」
エインズとチャッキーは同時に同じ反応を示し、目を真ん丸にしてニーナへと振り向いた。従業員の女性はサービスとは言っていない。
「も、申し訳ございませんエインズ様、わたくしがちょっとばかり食い意地の張った精霊であったために……」
「いいよ、チャッキーのご飯を頼まなくちゃいけなかったんだし、好きなもの食べようよ」
「ああ、なんとお優しい……! わたくし、困った時にはいつでも前足をお貸しする所存です! ニーナ様も気兼ねなくおっしゃって下さいませ、一宿一飯の礼でございます」
チャッキーはとても凛々しくきちんと座り、ニーナへと精悍な顔を向ける。
「ねえ……時々気にはなってたんだけど、猫の手も借りたいって言葉、『あってもなくても一緒だけど無いよりマシ』って意味合いなの分かってる?」
「え? そんなはずはないよ、チャッキーはすっごく役に立ってくれるんだから。俺がいくら田舎者で世間知らずでも、そんな罠には掛からないよ」
「わたくしこう見えてもドアノブ回しからネズミ取り、暖かい場所探しまで得意分野が多岐にわたるのです。ちゃんとお役に立てるかと思いますよ」
「いや、これはそういう言葉なんだって……」
「さあさあ、猫ちゃんお待たせ~ほら、どうぞお食べ」
どう説明していいものかとニーナがため息をついていると、焼き上がった魚が運ばれてきた。
サケだと分かった瞬間、チャッキーは行儀よく床に降りて言われてもいないのに待ての姿勢を見せる。
「まあお利口!」
そして皿を置かれてから骨を取り除かれたその大きな切り身に齧り付き始めた。
「……後でその役に立つ猫の手で、肉球マッサージでもしてもらおうかしら」
身をほぐして冷ましてあげるエインズを見て、どっちが主人なんだかと笑い、ニーナは気を取り直したように食事を再開した。エインズは丈夫なマイスプーンとマイ箸、マイフォークを使ってゆっくり食べている。
しかし、あとはスープを残すのみとなった頃、その和やかな夕食のひとときは突如として終わりを告げた。2人と1匹の耳には非常事態を知らせるサイレンの音が入って来たのだ。
同時にフロントからオーナーのおじいさんが駆け寄ってくる。
「た、大変だ!」
「どうしたんです?」
「ま、魔族が、魔族が現れた!」
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