死王が生まれた日

マリッサ・アインホルン /


ーーあの日、アタシは燃え盛る炎の中にいた。


迷宮街セントラルの北、死の樹海に立ち昇る黒煙に、その日、Aちゃんねる中がどよめいた。


のちに、“影と陰の内戦”と呼ばれるこの戦いは、二人の影鬼族の衝突から始まった。


今でこそ死王による支配下にある影鬼族だが、アタシが幼少の頃は“八咫烏やたがらす”と呼ばれる三人の族長による合議制を採っていた。


“鬼神”クロード・シュバルツ。


“影法士”シャギー・アインホルン。


そして、“魔人”サタン・デスペラード。


三人は“八咫烏”として、影鬼族の王として君臨し、五年以上に渡って統治をしていた。


アタシは“八咫烏”の一人、シャギー・アインホルンと“潜者”との間に生まれたハーフだ。


圧倒的な戦闘能力を誇る“鬼神”クロード。影鬼族とその他の亜人の中を取り持つ“影法士”シャギー。そして、“潜者”であり、“善王”二宮と過去にパーティを組んでいた実力者、“魔人”サタン。


全ての調和が保たれ、影鬼族は安寧の中にあった。


アタシの幼少時代の記憶はどれも穏やかなものばかりだ。殆どが母との記憶だが、忙しい族長の仕事の合間を縫って遊んでくれた父のことも鮮明に憶えている。


死の森は敵を阻み、影鬼族は他の亜人とも手を取り、全ては順調かに思えた。


しかし、あの日を境に、全てが変わった。変わってしまった。いや、終わってしまった。


「説明しろ、クロード」


父の怒鳴り声が今も頭から離れない。


「何を説明する必要がある」


「前回のダンジョンでお前とダンジョンに入った者達のことだ」


「あぁ」


隣の部屋でアタシは母とその言い争いを聞いていた。


「シラを切れると思うな。お前と一緒に戻ったトグサから言質は取れている」


「口が軽いなぁ、アイツは」


「答えろ」


鮮明に焼きつく、父の怒り。


「どうして彼らを殺した……ッ!! 答えろ、クロード!」


その日、“鬼神”クロードと共にダンジョンに入ったパーティのうち、二人が帰らぬ人となった。


戻ったのは、クロードと影鬼族の若者トグサだけ。死んだ二人は獣人だった。


ダンジョンの難易度は決して高くはなかった。少なくとも、“八咫烏”が一人でもついていれば、余程のことがなければ、死ぬことはない。


だが、結果として、亜人の二人は戻らなかった。


父シャギーはそれに納得がいかず、当初二十歳にもなっていなかったトグサを問い詰めたらしい。


恐怖に震えるトグサの口から明らかになったのは、クロードの凶行だった。


二人はクロードの手によって殺されていた。


「何故だ、クロード。俺達はここまで、ここまで……ッ」


「甘いんだよ、テメェは」


「あ?」


「お前が仲間として他所の亜人を連れていたときから、オレはずっと悶々としていた」


「どういう意味だ」


「影鬼族の誇りってのはどこに行っちまったんだ、ってな」


あの日の会話は一言一句憶えている。


忘れようがない。


アタシにとって、決して忘れることのできない日になった。


「“潜者よそもん”の女と寝て、牙も誇りも抜かれたか? オレ達に他の亜人との共存なんてあり得ねぇ。オレはずっと我慢してきた」


クロードは言った。


「終いには、テメェは一線を越えちまった。聞いたぜ、“善王”と接触したんだってな」


「それを、どこで……?」


「関係ねぇだろうが! どういう了見だ? ついに敵方に尻尾を振ったかよ、“影法士”さんよぉ……ッ! それは、紛れもなく裏切りと違うんか!?」


「違う……! 俺は、誰も死なない道を模索しているだけだ。せめて上層では、誰も争わなくて済むーーそんな世界を!」


「戯言だ。そんなもんは、世迷いごとだ。オレ達は、影鬼族は、そんな平穏な世界じゃ、満足できねえ。そういう本能が備わってんだよ!」


「クロード、聞け。俺は新しいーー」


「うるせぇんだよ!!!」


そして、クロードの一撃から戦いが始まった。


“影と陰の内戦”と呼ばれるその戦いは、死の森に住む多くの人間を巻き込み、二日間に渡って続いた。


結果として、死の森に住んでいた影鬼族以外の亜人は虐殺され、その日だけで五十人近くもの死者が出たとされる。


“鬼神”と“影法士”の戦いは、丸一日経っても終息することが無かったが、最後には、父シャギーの右腕を捨てた特攻により、クロードの首が刎ねられた。


“鬼神”と“影法士”の戦いが終わり、父がアタシ達と合流するのを見計らったかのように、それまで微動だにしなかったサタン・デスペラードが現れた。


サタンは笑っていた。


「クロードと丸一日殺し合って、薄々感じていた。誰かが裏で糸を引いているような予感をな」


「真相は闇の中だ。お前が死ねばな」


「クロードに“善王”との密会を伝えたのも、影鬼族を扇動したのも、全てお前の仕業か」


「さあな、何にせよ、お前が知る必要は無い」


父に勝ち目など無かった。


影鬼族で最も強い男と丸一日戦い、利き腕すらも失った父と、無傷のうちに満を辞して現れたサタン。


冗談にしても、笑えない出来レースだった。


「何故だ、サタン。俺達は同じ方向を見ていると信じていたのに」


「同じ方向でも、俺とお前では視点が違いすぎたのかもしれないな」


「ふざけるなよ、サタン……ッ」


父の背後に浮かび上がる最後の影。


父の影は、阿修羅と呼ばれ、六本の腕と剣が繰り出す手数の多さが特徴的だった。


「“善王”との歩み寄りがまずナンセンスだ。奴と手を組むなら死んだ方がマシだってのが第一の食い違い」


サタンの腕がブクブクと膨れ上がっていく。


「そして」


化け物のように膨れ上がった腕は、その身体のサイズに全くと言っていいほど釣り合わない。


「王は三人もいらない」


サタンの口角が吊り上がる。


「王は一人で十分だ」


サタンの腕が更に肥大化し、次の瞬間には、父の肉体を飲み込んでいた。


あまりにも呆気なく、父は死んだ。


「同族殺しの謀反者を始末し、俺はただ一人の王になる」


母がアタシの前に立ちはだかる。


「全て……貴方の謀略のうち……そういうことなのですか……サタン!」


「俺の王道のために親子共々死ね」


魔導書を構え、サタンと対峙する母の後ろでアタシは泣き喚くことしかできなかった。


その日のアタシはまだ未熟で、あまりにも幼く、あまりにも無力だった。


「スペル、“ライトニング”!」


サタンは母の手から放たれた光弾を難なく払い除けると、ワニのようにギザギザに尖った歯を見せつけるように笑った。


悪魔のようなあの笑顔を思い出すと、今も憎しみの炎が沸々と湧き上がるのを感じる。


「逃げなさい、マリッサ」


「ママ、でも……」


「貴方がいて、私達は本当に幸せだった。貴方を守るためなら、私は、私達は、何だって出来るの……」


「嫌だよ、ママ、アタシ……アタシ」


「そうだよ、ね。辛いよね。一人で走るなんて、まだ、貴方には……」


母はアタシを強く抱き締めると、もう一度サタンに向き合った。


「貴方を一人にはしない」


サタンはまた笑う。


「母は強し、と言ったところか」


あのおどろおどろしい声が憎い。


「アクティブスキル『戦乙女の鎖』」


無数の鎖が母とサタンを結界となって囲う。


母の特異点は戦闘に特化したものではなく、鎖の内部の自身と対象を閉じ込めるものだった。


母はアタシが見守る中、サタンと死闘を繰り広げられた。まさに、それは死闘と呼ぶべきもので、母は結界の中で少しずつ死に逝く。


母が血溜まりに崩れ落ちた時、サタンは肩で息をするほど疲労していた。


「すぐに娘も送ってやる」


そして、母もまた、サタンの右腕に


父と母を両方に、目の前で失ったアタシは、もはや泣き叫ぶこともできず、目の前で起きたありのままの事実に震えるしかなかった。


「すまんの」


母の死闘が意味のあるものだったと知ったのは、アタシが絶望に崩れ落ちたまさにその時だった。


「あまりにも遅すぎたようじゃ」


天狗面の男、そして、アロハシャツの金髪。それから全身をマントで覆い隠した美青年。


「“善王”の狗どもが今更になって登場か。遅過ぎたな。ほぼ成した後だ」


「おめぇさんの情報工作と陽動にまんまと嵌められたわ。シャギーのおっさんはどこじゃ」


「ここだ」


サタンは肥大化していない左手の親指で自身の胸を指差すと、悪魔のような口角で満面の笑みを浮かべた。


サタンの背後に浮かび上がる黒く大きな影。六本の腕と剣を持つその影は、アタシ達を守り続けてきた父のそれと全く同一のものだった。


「畜生めが」


天狗面の男が吐き捨てると、マント男が前に出た。


「ここで殺すぞ、異論はないな」


男が自身の身体に触れると、青い閃光が走った。


青い閃光はサタンの背後に立つ阿修羅の影によって打ち消される。


「カイドウ、いつまであの老耄おいぼれのぬるま湯に浸かってるつもりだ。奴の元では、お前の目的はいつになっても達されることはないぞ」


「黙れ」


無詠唱によるスペルの発動。


マント男ーー今や、“三傑”と称されるまでに至ったカイドウの特異点が成す技だが、サタンは意にも介さない。


「あのジジイに伝えておけ。俺は今日、王として立つ。影鬼族を率いるただ一人の王としてな」


サタンの背中から黒い翼が生える。


「逃がすか……ッ!」


天狗が刀を振るうと、凄まじい熱気と共に灼熱の炎が放たれる。


「魔王ってのは少し縁起が悪いか。そうだなーー」


サタンはそれさえも阿修羅の剣圧で遮る。


「“死王”、だ」


サタンは笑う。


「いずれ、“善王”の首を獲る。あのジジイに狂わされた全てを取り返すために」


サタンが空を飛び、遠のいていく。


アタシはそれを見ていることしかできない。無力だから。非力だったから。


「嬢ちゃん、立てるかぇ」


アロハシャツの男ーーシュウゾーがアタシに手を差し伸べる。


アタシは泣いた。


一生分の涙が溢れ出たのではないかと思うほどに泣いた。


程なくして、サタンは自らを“死王”と名乗り、奴の率いる影鬼族らは自らを死神と称するようになった。


“八咫烏”は死王の直属の部下ーー最高幹部という地位に位置付けられ、サタンの信用する強者が新たに選任された。


アタシは今でも鮮明に憶えている。


あの日の血の臭いを、あの日の涙の味を、あの日の父の叫びを、そして、母の想いを。

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