仮面卿

石造りの街並み。街に張り巡らされた水路。植栽された木々や花々。行き交う人々は、買い物や談笑を楽しみ、そこにある日常を享受する。


街の入り口には、巨大な門とそれを見下ろすさらに巨大な二体の石像。


それぞれが手にした剣を重ね合わせる石像は、あまりにも大きく、街のどこからでも確認することができる。


文明都市、サンクチュアリィ。


Aちゃんねる最大の都市にして、仮面の教典による秩序が保たれた理想郷。


“三王”の一人にして、このAちゃんねる唯一の宗教を創った“教皇”メシアが築き上げたこの街には、百人を超える亜人と三十近くの“潜者”が住む。


彼らは教典に則り、その素顔を仮面で隠す。


人々は仮面の模様で人を識別し、やりとりをする。誰も相手の素顔や本名は知らないし、知ろうともしない。


それが、この巨大な教団の原則だ。


「教典に書かれた教えさえ守れば、基本的に何をしても構わないーーというのが、この国の前提です」


この巨大都市サンクチュアリィを案内してくれているのは、トランプのマークをあしらった仮面の女性。名前をレイシーという。


「あの二体の石像は何なんですか?」


「サンクチュアリィを守る守護神を象っているそうです。実際、どのようにして建てられたかは私にも分かりません」


レイシーは物静かで親切。俺の質問にも、的確かつ丁寧に答えてくれる。


だが、その様子はどこか機会的で、人間味を感じない印象を受けた。まるで、AIと会話しているような気分になる。


ここに住む人々は、教義を重んじる。


教典に従うからこそ、人らしさを感じないのか、それとも、それが元々の彼女の人間性なのか、俺にはまだ判断がつかない。


“氷の騎士”オズモンドは、俺とレイシーの後ろを歩く。寸分違わず五メートルの距離を取っているようだ。


どうやら、“華の騎士”リーシンと二交代制で俺を見張るらしい。


オズモンドは無口だ。

まだ一度も声を聴いていない。


刺すような冷たい眼差しでずっと俺を監視し続けている。


「ここにいる人達は、みんな死ミットの制約を受けているんですよね?」


街を行き交う人々は、誰も彼もどこか忙しない。時間に追われているように感じるのはきっと気のせいじゃない。


「ええ、メシア様も含めて例外はありません」


「そうすると、“教皇”も迷宮街セントラルに出てダンジョンを攻略することがあるんですか?」


「いえ。滅多なことが無ければ、それはありません。メシア様は特殊なアイテムをお持ちです」


「レイシー」


オズモンドがレイシーの説明を遮った。それ以上は喋りすぎだ、と言う意味らしく、彼女はそこで押し黙った。


「えっと、じゃあ、でも殆どの人は定期的に迷宮街セントラルに……?」


レイシーは後ろのオズモンドを気にかけながら頷いた。


「私達の教団は基本的に“円卓の騎士”様が率いる騎士団を単位に行動しています。私のように、特定の騎士団に所属していない人間も一割程度いますが」


レイシーが立ち止まった。


「着きました。こちらでユズハ様の仮面を選定しています。仮面の祭壇、と教義では言われています」


街を案内される前に手渡された分厚い教典には、仮面に関する教義も記されている。


教典の最初のページには、『信ずる者は須らく仮面を被り、真名を伏せよ』とある。


次のページには、『仮面の祭壇にて、神託を受けよ。神の代理人が洗礼を授ける』と記されている。


ここに『神の代理人』なる人物がいて、仮面と仮初の名前を信者達に与えることになっているようだ。


「胡散臭い、と思いましたか?」


「正直……」


ふふっ、とレイシーは可愛らしく笑った。

初めて人間臭い一面を見た気がする。


「信者の中でも、この教典を心の底から信じている人間は一握りですよ」


「それは宗教として、どうなんですか、ね?」


「生きる術ですよ。この教典は、教典のていこそなしていますが、実際はこの世界で正しく生きるためのガイドラインに近い。それも“潜者”に向けたガイドラインです」


そう言うレイシーも、宗教としては仮面の教団を信じていないようだ。


「ユズハ様のいた世界は争いも少なく、死ミットも無かったと聞いています。それがこんな世界に突然落とされたら、人はきっと絶望せずにはいられません」


彼女は続ける。


「人が正しく人で在り続けるためにも、皆何かに縋りたいのです。そして、メシア様の作った教典は縋るにはちょうど良すぎる、そういうわけでここには沢山の信者が集います。例え、胡散臭くとも」


ある意味で、彼女も心酔しているように思えた。


教典に真の姿を見出し、その先にある現人神の御心を知り、そのうえで、全幅の信頼を寄せている。


「そういうものですか」


「人によりますけどね。少なくとも、私はそう解釈しています。勿論、教典を神の創ったものとして、百パーセント信じている方もいらっしゃいます」


彼女は「さあ、どうぞ」と言って、仮面の祭壇がある石造りの建物の扉を開けた。


白い石で出来た建物は、小さな神殿のようだ。


中に入ると、目の前に飛び込んできた光景に思わず言葉を失った。


壁一面に掛けられた仮面。


シンプルな物から、カラフルで奇抜な物まで、そのバリエーションは実に豊富だ。


「祭司様、お連れしました」


建物の奥には、祭司と呼ばれる仮面の男ーー小柄な体つきからすると女かもしれないーーが座っている。


全身が頭の先までローブで隠されている。


「アレ?」


男とも女とも取れない中性的な声だ。


「アレアレアレアレ、アレェエエェェイ?」


不気味で、不穏な声色に一歩後ろへ下がってしまった。


人の形をしていた仮面の男は、その胴体が大きく膨れ上がり、頭と腕以外は人のそれとは大きくかけ離れたものとなる。


胴体がぼってりとしたそれは、化け物じみていて、少なくとも同じ人間とは思えない。


「久しぶりだねェェェい? ボキュの贈った仮面は如何だったかなぁ?」


どんどん大きくなっていったそれは首を長く伸ばして、胴体はその場に留まらせたまま、頭だけを俺達に近づけた。


「久、びさ……?」


こんな化け物じみた仮面の男とは、面識はない。そもそもこんな造形の人物に会っていれば、嫌でも忘れられないだろう。


「アレェイ? アレアレ、あ、そういうことね」


「えっと、その」


「ゴメン、ゴメン、これは失敬した」


仮面の祭司は大きな図体とは不釣り合いないか細い指先で仮面の頭を撫でた。


しばらく思案すると、彼は言った。


チミ、兄がいるよねェ?」


心臓が飛び跳ねるような思いだった。


藍澤一葉あいざわかずは


ついに、辿り着いた。

忘れかけていた当初の目的が頭の中に舞い戻る。


ーー行方不明の兄を探す。

俺はそのためにこの世界に来たのだ。


「兄貴を、知っているんですか……?」


仮面の祭司は大袈裟に何度も頷く。


「そうとも、そうとも! ぼきゅらは、それはそれは仲良しこよしだったからねェ」


やはり、兄はこの世界に来ている。

死と策謀に塗れた、この混沌とした世界に。


「兄貴は今、どこに……!?」


「さァねェ? しばらく会ってないからねェ。キャレのことだから、どっかでくたばってるなんてことは無いだろうけどォ」


仮面の祭司は言う。


「あ、そんなことより自己紹介が先だよなァ、普通。ボキュのことは、仮面卿かてんきょうと呼んでくれよぉ、ブラザー」


変なテンションだ。

何だかペースを崩される。


「あ、すみません。ユズハです。藍澤柚葉」


「知ってるよ、知ってるよォ。佐久間きゅんからなんとなーく話は聞いてるよォ」


仮面卿の身体が更に膨れて、ビヨンと伸びる。下半身は祭壇に座ったまま、上半身だけがすぐ目の前に来ていた。


ローブまで伸び縮みするのか、中身がどうなっているのか殆ど分からない。


「仮面だよねェェぃ? ボキュの創る仮面が欲しいんだよねェ?」


仮面にくり抜かれた穴から仮面卿の目が垣間見えた。目を見て、初めてこの人が本当に人間なのだと思えた。


「会った時から決まってるんよ、インスピレーションが湧き上がってたからねェェェェェい?」


もはや、奇声とも取れるような発声で仮面卿が言うと、その手に光が集っていく。


ボキュの特異点は【創造主クリエイター】。好きな物は何でも思い通りってわけ!」


収束する光はやがて、仮面の形を成す。


「芸術家のボキュにはピッタリの力だよねェ? そう思わないかい、ブラザー?」


「えっと、ブラザーって言うのは……」


ボキュの仲良しこよしの弟なら、それはもうブラザーってことじゃないのかい、ブラザー?」


「はぁ……」


「さっ、出来たよォ! チミの、チミだけの、チミのための仮面だ! 作品名は『眠れる鬼の仮面』。なんたって、あのカズハきゅんの弟だからねェェい? 伸び代だらけだろォォ?」


仮面卿の手元に現れる仮面。


瞼を下ろした黒い仮面は、鬼というにはどこか可愛げがある。


仮面卿は創り出した仮面を強引に俺に押し付けると続ける。


「付けるも付けないも自由! もし、付けるという選択を選んだなら、ボキュらはチミを歓迎するよ? なんたって、ボキュらはもうブラザーだからねェェい?」


仮面卿の身体が縮小していく。


みるみるうちに体が縮んで、元の人と同じサイズにまで戻る。不思議な体の作りをしているようだ。


「仮面を付ける覚悟ができたらまたおいで。その時に、仮初の名前を与えてあげるからね?」


そして、付け加える。


「それとチミの兄のことも」





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