仮面の教団


この世界を統べる三人の偉大な王、“三王”はそれぞれが上層に王国を築き上げた。


他の王の追随すら許さない絶対的王者、“善王”二宮善一郎は、バラックや掘立て小屋を寄せ集め、死ミットに縛られない多種族国家ーー通称、ユートピアを築いた。


影鬼族を率い、残虐の限りを尽くす漆黒の王、“死王”サタン・デスペラードは、迷宮街セントラルの北に、森林と岩山、そして、深い霧に囲まれた自然の要塞、死の樹海に砦を築いた。


そして、“教皇”メシアは自らの教典を掲げ、迷宮街セントラルの南に巨大都市サンクチュアリィを建造した。


通称“仮面の教典”と呼ばれるメシアによる教えは、Aちゃんねるで苦しむ人間達の、とりわけ、“潜者”の心に強く響いた。


この世界に必要なのは、信仰だった。


教典に従う信者達は例外を除き、仮面でその素顔を隠し、偽名を使う。


“潜者”達にとっては、Aちゃんねるは仮初の世界であり、この世界にいる己は、元の世界の己とは全く別物なのだという暗示を自らにかけるのだ。


この世界で起こす如何なる事象も、仮面と偽りの名の元に許される。


誰を殺そうと、それは仮面を被った仮初の自分でしかない。


いつか、元の世界に戻るその時に、その罪の重さに耐えられるように。そして、罰を受けないように。


リアリストで、精神衛生的な教典だと思う。



ーー仮面で己を覆い隠す信者達を、いつしか人は“仮面の教団”と呼ぶようになった。



俺は扉を潜るなり、目隠しをされて手足を縛られた。


今は、どこかに座らされている。

前が見えない。

何かが顔に被せられている。


おそらく、仮面だ。

穴の空いていない仮面。


「教皇が君の処遇を俺に一任してくれた。煮るなり焼くなり好きにしろとよ」


仮面の向こうから佐久間の声が聞こえる。


「人間ってのは、根っこの部分じゃ、野蛮で残虐な生き物だ。それは人類史が教えてくれてる」


残酷な言葉を並べる佐久間。


これは講釈を垂れているわけでは勿論なく、脅しの類なのだろう。


「要するに、君の口を割るのに、俺はどこまでも残酷になれる。君が想像しうる限りの、いや、それ以上の拷問をすることに俺は躊躇しない」


息を呑む。


拷問なんて言う言葉から、つい半月前までは遠くかけ離れた場所で生活していた俺にとっては、佐久間の言葉はどこか現実離れしているように聞こえる。


しかし、紛れもない事実として、起こりうる現実として、それはすぐそこまで来ている。


頭の中に浮かび上がる悪い想像に身の毛がよだつ。


死より辛い思いを、俺はこれから経験することになるかもしれない。


「何を聞きたいんですか」


「チェシャ猫ってのは、何だ」


「チェシャ猫、ですか」


やはり、という思いだった。


そして、最悪なことにいくら拷問を受けたとしても、佐久間が満足するような回答を俺は用意できる気がしない。


「俺の腹部に眠っている使い魔です」


「使い魔、ね。どこで使役したの、それ」


俺は首を横に振る。


「チェシャ猫について、俺に分かることは殆どありません。気がついたときには、チェシャ猫の声が聞こえて、気がついたときには、腹部にコイツがいた。それだけです」


「ふーん。もう一度言うけど、俺は君に拷問をすることに対して、何の躊躇もしないよ?」


俺の素顔を覆い隠す仮面の向こう側で、佐久間はニヤリと笑っているような気がした。


吐き気がする。


この先に待ち受ける苦難を想像すると死にたくなる。


俺は辛抱強い人間ではないし、痛いのだって嫌いだ。


できれば、拷問なんてものからは、死ぬまで関係のない人間でありたかった。


「ーーと、ここまでは趣味の悪い冗談だ。そんな趣味は俺には無いし、そんな必要も無い」


佐久間の笑みの質が変わったのが分かった。


「俺の特異点は、いわゆるところの嘘発見器ってやつでね。拷問なんてナンセンスなものに頼らなくても、真偽のほどは分かる」


趣味の悪い冗談だ。


佐久間の言葉の真偽のほどは分からないが、彼は俺の言葉に嘘はないと判断したようだった。


「君を拘束するつもりは無い。というより、Aちゃんねるにおいて、捕虜を生かしておくことは例外を除いて不可能だ。捕虜であろうと、死ミットに縛られているからな」


佐久間は俺の顔を覆い隠す仮面を取り除いた。


「だから工夫が必要だ」


ようやく、佐久間の顔が見える。


褐色の肌に、カールの掛かった黒い長髪。整った顔立ちは美男子とやらに分類されるだろう。ラテン系の顔立ちにも思える。


オシャレで派手な紫色スーツに黒いシャツは、彼でなければここまで着こなすことはできないだろう。


「喜べ、少年。VIP対応だ。“円卓の騎士”が二人がかりで君を監視する」


佐久間の横には、二人の男が立っていた。


「“氷の騎士”オズモンド」


銀髪のツンツン頭に分厚いマフラーと銀色の鎧。口元はマフラーに隠されていて、その目も心を宿していないような気配すら感じる。


冷たい瞳をしている。


「“華の騎士”李信」


もう一人の男は佐久間に紹介されると、無駄に丁寧だと感じるほどゆっくりとお辞儀をしてみせた。


二メートルはありそうな長身に、青いチャイナ服。鼻先から二股に伸びるちょび髭が特徴的な中年の男は「李、ね。よろしくお願いするよ」と言った。


彼らは仮面をしていない。


“仮面の教団”の第一の教義とも言える素顔を隠す仮面は、殆どの信者なら身につけている。


例外は、二つ。

部外者か、“円卓の騎士”。


佐久間の紹介の通り、この二人も“仮面の教団”の最高戦力の一角である騎士達ということだ。


もし、その“円卓の騎士”が二人も割いて、俺の監視を務めるとすれば、まさしくVIP対応と言っても過言ではないだろう。


「ぶっちゃけた話をすると、俺は君を懐柔したい。あわよくば」


佐久間は続ける。


「ユートピアを見てきた君なら、それに敵対する俺達はさぞ悪い人間に見えるだろうが、それは誤解だ」


佐久間は俺の目の前にヤンキー座りで座り込む。


「全ての物事には多面性がある。分かるだろ。万人受けする正義なんてもんは、どこにもないんだ」


真っ直ぐに見つめられる。

その目は無垢で、澄んでいる。


この男の言葉に間違いなんてないのではないかと錯覚しそうになる。


「善なる王なんて言われていようが、その善良なる行いの裏で涙を流す人間が必ずいる」


佐久間は立ち上がると、両手を大袈裟にバンザイする。


「おっと、悪いね。ユートピアを悪く言うつもりじゃない。正直、あちらさんの日頃の行いの良さには感心してるのさ、俺も」


佐久間は言う。


「だけど、自信を持って言おう。この国も、悪くない。きっと、気に入ってもらえるはずだ」


ここでの生活は、それを証明するものになるはずだと、佐久間は言った。

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